アメリカン・デモクラシーの逆説【渡辺 靖】

アメリカン・デモクラシーの逆説


書籍名 アメリカン・デモクラシーの逆説
著者名 渡辺 靖
出版社 岩波新書(232p)
発刊日 2010.10.20
希望小売価格 798円
書評日 2011.01.11
アメリカン・デモクラシーの逆説

4年前、アメリカに1年間滞在することを決めたとき、自分が住むことになる国を知るためにアメリカに関する本を10冊ほど読んだことがある。そのなかで、古典ではディケンズの『アメリカ紀行』や永井荷風の『あめりか物語』、新しいところでは高祖岩三郎『ニューヨーク烈伝』や小林由美『超・格差社会 アメリカの真実』なんかが自分の関心に引き寄せてすごく役に立った。そんなふうにアメリカ理解を深めてくれた何冊かの本のなかに、この本の著者である渡辺靖の『アフター・アメリカ』(慶應義塾大学出版会)もあった。

『アフター・アメリカ』は、ボストンに留学し文化人類学を専攻していた著者が、建国初期の成功者で「ボストン・ブラーミン」と呼ばれる上流階級と、アイルランド飢饉で移民してきたカソリック系労働者階級という二つの異なるコミュニティに入り込み、その生活と意見を分析報告した、とても面白い本だった。富裕層と中・下層という対照的なグループを対象にしているけれど、その内実はなかなかに複雑で、富と貧困、WASP対アイリッシュ、プロテスタント対カソリックという単純な構図では片づかない問題をたくさん抱えている。アメリカの多様性に改めて気づかせてくれた本だった。

『アメリカン・デモクラシーの逆説』は、オバマ以後のアメリカに焦点を当て、ハリケーン・カトリーナ後のニューオリンズや巨大ゲーテッド・コミュニティの出現などさまざまな現象をピックアップしながら、その背後に潜む「アメリカン・デモクラシー」の構造と歴史を考えようとしたものだ。

渡辺はまず、アメリカ建国の理念である「自由」という言葉の両義性に目を向ける。アメリカ独立宣言は専制君主制からの解放と共和制国家の誕生を謳ったが、各州にとって連邦政府は「自由への脅威」と受け取られ、連邦政府が「専制君主化」しないよう州権限を強化する仕掛けがほどこされた。南北戦争に勝利した北部の商工業者を基盤とする共和党は、政府の介入を排し、個人や企業、コミュニティの自由=自治を重んじる「自由放任」の政治思想を志向する。

ところが、金を儲けるのも貧乏になるのも「個人の自由」という自由放任の思想は1929年の大恐慌で破綻する。その結果、社会的弱者を救済し、公正で自由な社会を実現するためには連邦政府の積極的な介入が必要だという発想が広がった。これが「リベラリズム」と呼ばれ、民主党が主な担い手となる。自由放任は結果として社会の公正さや個人の自由を破壊してしまう。それを保障するためには、連邦政府が必要な規制や再分配などに積極的にかかわるべきだ。そのように「自由」の意味あいが逆転したわけだ。

この「リベラリズム」は第二次大戦後の福祉国家や公民権運動などを主導しながら1970年代まで続いた。この間、貧富の格差は縮小し、労働者でも豊かな生活を送れるだけの年収を得られるようになって、中流層が増えた。僕らが小学校のころテレビで刷り込まれた「豊かなアメリカ」というイメージは、この時期の時代的な現象だったのだ。

しかし1980年代のレーガン政権以後、こうした「リベラリズム」に対する反発が強まり、今度は共和党を中心に「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」が唱えられる。「新自由主義」のキーワードは「減税、規制緩和、民営化、自由貿易」であり、一言で言えば「小さな政府」を志向する。「自由」の意味がここでまた再逆転した。こうした経済保守に加え、「強いアメリカ」を目指す新保守主義(ネオコン)、キリスト教右派なども加わって1980年代以後のアメリカの基本的潮流ができあがった。

クリントン、オバマの民主党政権も、1980年代以後の「新自由主義」という大きな時代の流れのなかで妥協を強いられ、苦闘している。オバマの「変革」は同時に「建国の理想への回帰」でもあり、その意味では「保守」だと著者は言う。

しかし現在のアメリカは、新自由主義の過剰が公益性や公正を歪めてしまっている。レーガン、ブッシュ両政権が富裕層への減税を実施した結果、1969~2006年の全米の平均所得の伸びは約40%だったのに対し、富裕層の伸びは123%に達した。中流層が減少し、ほんの一握りの富裕層への富の集中が一層顕著になった。その一方、4人家族で年収2万1000ドル以下の貧困層は12.3%(なかでも黒人層では24%)で、1960年代からほとんど改善されていない。16.7%もの市民が医療保険を持っていない。

「本来、人びとの不安を取り除くべき制度が、逆に人びとを不自由に追いやって」しまっている。それを著者は「アメリカン・デモクラシーの逆説」と呼んでいる。さらにキリスト教原理主義と経済の市場主義が多民族国家アメリカの多様性を脅かしてもいる。 渡辺は、彼自身が訪れた次のような例も挙げている。ハリケーン・カトリーナで破壊されたニューオリンズでは、再開発の名のもとに低所得者向け団地が取り壊されようとしている。住民自治の思想のもとに、厳重に警備・検問され他者を排除する巨大ゲーテッド・コミュニティが建設されている。キリスト教保守派のメガ・チャーチも、セキュリティを求める信者の声に応えて学校、病院、銀行からホテル、レストラン、フットボール場まで備え「スモール・タウン化」している。

「どちら(ゲーテッド・コミュニティとメガ・チャーチ)も新自由主義の過剰によってもたらされた公共性の貧困を補うかのように作られたセキュリティ空間であると同時に、まさにその生成・拡張そのものを新自由主義の論理と力学に負う、極めて逆説的なコミュニティである」

しかしその一方で、「決して一つの考え方や生き方に収斂してゆかない多様性、つまり特定のディスコース(語り)を拒むカウンター・ディスコースが常に存在する点こそが、アメリカ社会の特徴であり、強靭さの源泉であるともいえる」と渡辺は言う。

たとえば著者がかつてフィールド・ワークしたボストン南部の貧困地区では、かつて「絶望的なスラム」だったところに住民主導の非営利組織ができ、雇用、住宅、サービス、学校、防犯などの課題に取り組んでコミュニティを再生させている。毎年2500人以上の難民を受け入れるジョージアのデカルブ郡には、難民の子供と地元の子供が共に学ぶチャータースクール(公設民営型の公立学校)がある。学業面でも好成績を上げて児童数も増え、私立高を選べる高所得者層でも、「多様な社会的・文化的背景を持つ同年代の子供たちや、世界の厳しい現実に触れる機会を与えるため、あえてこの学校を選ぶ親が多い」という。

渡辺は、現在のアメリカには建国の理念と相容れない現実がそこここにあることを指摘しながら、にもかかわらず建国以来の市民的自発性と自己修正能力がいまだ健在であることを強調する。そんな「陽気で、楽天的で、寛大で、そしてフェアな、私を魅了してやまない希望のアメリカ」に期待するのだ。(雄)

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