アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ【ジョー・マーチャント】

アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ


書籍名 アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ
著者名 ジョー・マーチャント
出版社 文藝春秋(288p)
発刊日 2009.05.14
希望小売価格 1,995円
書評日等 -
アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ

私は機械が好きだ。蒸気機関車や発電機といった鋼の機能美もさることながら、歯車・ナット・バネといったパーツの細密感にもかなり惹かれる。本書を開いて最初の写真はそうした嗜好者には極めて刺激的であった。写っているのは古代ギリシアで難破沈没した船から偶然引き上げられた物体で緑青に完全に覆われつつも歯車や円板のようなものが密度高く集積されている塊。その精密な加工レベルとそれが紀元前一世紀の製作物であるという事実に大きなギャップを感じ、戸惑いさえ覚える。本書はそのブロンズ製の道具がいかなる構造で、何のために作られたのかを推理し再現してきた多くの科学者の挑戦の記録である。

1900年、地中海で伝統的な海綿取りの水夫によって一隻の難破船が海底で発見された。クレタ島とギリシアの海峡にあるアンティキテラ島という小さな島の近海。ヘルメット型の潜水服の発明で70mまでの潜水が可能になり、海中作業は範囲が一挙に広がったといわれている。こうした新しい技術も貢献しての発見である。この難破船に対する組織的な調査が実施されて、海底からは多くの大理石やブロンズの彫像、細工物などが引き揚げられアテネの国立考古学博物館に持ち込まれた。

研究者たちはあふれかえる美術品に囲まれて彫像の復元や年代鑑定に力を注いでいたが、一つの木箱の中の腐食したブロンズと木の塊に目をとめる研究者は居なかったという。数ヵ月後、木が乾燥して縮んだときに、その中に隠されていた秘密が顔を出した。そこにはいくつもの歯車と、かすれた古代ギリシア文字がかすかに読み取れた。これが「アンティキテラの機械」の物語の始まりである。

最初にこれを見たアテネ国立考古学博物館長(医学と考古学を学んでいた)は歯車と正確に刻まれた歯、その複雑な組み合わせ、四角い針、手書きでビッシリと細かく書かれているギリシア文字、円板上の細かい目盛などから、この物体を計測や計算に使われた機械だと考えた。しかし、それは当時の常識ではありえないことだった。通説は、古代ギリシア人は複雑な科学的道具を持っておらず、科学と言えるものはまだ発達していなかったというもの。精密な機械仕掛けの道具は中世ヨーロッパの機械時計の出現が最初と考えられていたからである。

科学史的にいえば、道具に初めて歯車が使われたのは、紀元前3世紀のことだ。歯車(ピニオン)と台(ラック)に刻まれた、のこぎり状の歯によって、回転運動を直線運動に変換、またはその逆の変換をする仕組み。これによって「水時計」がつくられた。また、同時代のアルキメデスは「無限ねじ(エンドレス・スクリュー)」と歯車との組み合わせによって、無限ねじを一回転させて歯車の歯を一つ動かすという仕組みを発明した。これにより小さな力で大きな力を生み出せることから、地上にある船を動かして見せたという。今で言うウオーム・ギアだ。しかし、こうした道具は人間の力を軽減するとか、せいぜい歯車を1、2個連動させる程度の簡単な仕組みで、あまり精密さを要求されない大きな道具だった。

だが、これらとは全く異なる精密な道具を前に二十世紀初頭の研究者たちはいろいろな推論をした。「これは船の積荷ではなく、船乗りが用いた天体観測儀(アストロラーベ)」とする説や、「天体運行儀(プラネタリュウム)」の説など。しかし、構造の全てが残っているわけでもなく、見えている部分もあくまで一部であり、歯車の歯数や構造、枚数、円板類に刻まれた文字の解明には当時の科学技術の限界もあり、この道具の全てを解き明かすに至らなかった。この時点の研究者は「既知の想定」から逸脱した物体に戸惑っていたと思われる。

しかし、1950年代以降の技術進歩はこの機械の構造解明に大きな影響を与えた。その一つが放射性炭素測定法に代表される年代測定法。放射線同位元素から放出されるガンマ線によって物体を破壊せず内部を観察する技術の確立。CT断層撮影と画像処理技術の進歩による三次元グラフィクスの技術等の実用化。こうした新技術を活用して構造と細かく刻まれた文字の解読は一挙に進み、推論と論理を精緻に組み立てることが出来るという時代になり、研究者の間における「アンティキテラの機械」解明競争も激しくなったことが紹介されている。

謎解きの難しさの根底はこの道具が持つ想像以上に複雑な機構が何のために作られたかを解明することにあった。例えば、紀元前一世紀には月の満ち欠けに関する天文学的知識はあったとされているが、それを計算・予測するための機械であればはるかに単純な構造で済んだはずである。差動(デフアレンシアル)機構と思われる歯車と円板の組み合わせは何のためなのか、目盛の意味は何かといった疑問にぶつかる。複雑な機構を持っている理由の一つは「惑星の動き・揺らぎ」の予測のためと推理された。

ギリシア語で惑星(プラネット)の語源プラネテスには「さすらい人」とか「放浪者」の意味で、惑星の秩序を欠いた動きは古典的なギリシア人を狼狽させたといわれている。現在では太陽を中心とした楕円軌道によるものと誰もが理解しているが、当時のギリシア人は宇宙の全てを完璧なものとして捉え(彼らにとっての完璧な動きとは円を描くこと)、その完璧さに神々を投影させていた。したがって、いかなる逸脱も変則も許さない哲学が築かれており、「惑星の不安定な動き」とこの「完璧な宇宙観」との間にどう折り合いをつけるかが「哲学」の大きな問題だった。

このように科学と哲学と政治(占星術)が一体となった時代にこの道具は存在していた。それも天文学者・哲学者というプロ向けの道具ではない。読み解かれた古代ギリシア文字の中には現在の取扱説明書的な記述も見つかっている。現在までに解明されたこの道具の機能は以下のように紹介されている。

「その木造の箱の横にあるハンドルを回した者は、宇宙の主になれた。過去でも未来でも、自分が見たい時間の天空の動きを、見ることが出来たのだ。表側の針は十二宮の中で移り変わる太陽、月、惑星の位置を示し、月の満ち欠けを教えた。裏側の螺旋の文字盤は太陽暦と太陰暦の組み合わせで年と月を示し、食の時期を教えた。表側の文字盤に記された文字を読めば、どの星座が空に現れたり消えたりするかがいつでも判った。裏側の説明書きを読めば、予測された食の場所と見え方が判った。機械の持ち主は身近な時 - 今日・明日・先週の火曜日 - に焦点をあわせることも、はるか何世紀も先まで旅することも出来た・・・」

「事実は小説よりも奇なり」とは良く言ったもので、100年間の研究者達による推理競争は読んでいてまったく厭きることがない。同時に、機械マニアとしては「作り方」の推理が極めて魅力的だ。

「アンティキテラの機械の場合も、かならずしも一個しか作られなかったことにはならない。・・・・機械の精度の高さもその考えを裏付けている。・・これをつくるには訓練が必要である。誰かが歯車で天球を模倣しようと考えても、その設計を磨き上げ、完成させるにはおそらく何世代もの時間を要したはずだ。機械の部品もきわめて小さい。眼鏡なしには見えないほどである(そしてわかっている範囲では、古代に眼鏡は存在しなかった)。設計の面でも製造技術の面でも、精度を上げるにはまず単純で大きなものをいくつも作って試し、次第に形を小さくしていったのだろう。・・・」(正)

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