疾走中国【ピーター・ヘスラー】

疾走中国


書籍名 疾走中国
著者名 ピーター・ヘスラー
出版社 白水社(396p)
発刊日 2011.04.05
希望小売価格 2,730円
書評日 2011.05.12
疾走中国

大きな書店に行くと、棚に中国本がたくさん並んでいる。最近出たものは、「中国が沖縄を獲る日」とか「中国 この腹立たしい隣人」とか、尖閣問題をきっかけに中国と中国人の居丈高に感じられるふるまいへの反発と、覇権国家を目指して拡張を続ける大国への不安に動機づけられた本が多い。僕も編集者のはしくれだから、この時期に中国本が「売れるかもしれない」と企画を立てるのは理解できるし、本の内容になにがしかの根拠はあるにしても、感情的な反発や不安は往々にして事態を正確に認識する目を曇らせてしまう。

そういう時、読者として気をつけることがふたつあると思う。ひとつは第三者の視線を入れること。中国の問題を日中だけでなく、もっと広い地図のなかに置いてみたらどう見えるかと相対化することによって、より正確な認識が可能になる。もうひとつは、「中国人」とひとくくりにするのでなく、一人一人を見ようとすること。「中国人」とか「日本人」とか民族をひとくくりにした比較文化論は面白いし、僕たちはそういうのが大好きだけど、そこに一人一人への視線がないと、往々にして「だから中国人は…」とか「とかく日本人は…」といった誤解や偏見や誇張が生まれてくる。

書店の棚で『疾走中国』を手に取ったのは、この本が日中の抱える問題を直接に取り上げているわけではないけれど、現在の中国と中国人を知るために、その二つの視点を持っているかもしれないと思えたからだ。

著者のピーター・ヘスラーは1969年生まれのアメリカ人ジャーナリスト。2000年から2007年まで雑誌『ニューヨーカー』の北京特派員を勤めた。本書は、その『ニューヨーカー』と『ナショナル・ジオグラフィック』の記事をもとに書かれた「変わりゆく都市と農村」(本書のサブタイトル)についての「物語風ノンフィクション」(著者)。これが滅法面白い。

  内容は3部に分かれている。第1部「長城」は、中国の運転免許を取ったピーターが万里の長城沿いに内モンゴルから新彊ウイグル自治区までドライブする旅行記。第2部「村」は、北京近郊の村にセカンド・ハウスを借りたことから見えてくる農村の変貌。第3部「工場」は、浙江省の新興都市でブラジャー・リング製造会社を立ち上げた2人の社長と従業員の疾風怒濤の日々。

3部に共通しているのは、車を通して見えてくる中国社会だ。第1部「長城」でピーターがドライブした2001年は、中国のモータリゼーションが始まった時期に当たる。まだ北京近郊でも道路は整備されておらず、地図もない。外国人は車で北京市外に出ることを禁じられている。外国人ジャーナリストが許可なく入れない地域もある。地方でホテルに泊まれば通報されるかもしれない(実際、新彊ウイグル自治区で通報された)。

ピーターはレンタカー会社で中国製のフォルクスワーゲン・サンタナを借り、トランクに食料とコカコーラとテントを積み込んで野宿をしながら旅をする(レンタカー会社の社員・王さんは彼の旅を知りながら黙認してくれた)。町中に泊まらざるをえないときは、トラック運転手用の宿泊所を利用した。この好奇心とジャーナリスト根性には脱帽してしまう。

彼は長城に沿って野宿の旅をしながら、過疎化の進む村々に出会った。そこで言葉を交わす子供たちや老人の無垢、モンゴル人の漢族への冷たい目などが印象的だ。この第1部は外国人の辺境アドベンチャー旅行ふうな味わいがあるが、あくまで序章という感じで、中国人とじっくりつきあった2部、3部のほうが圧倒的に面白く、深くなってゆく。

第2部の「村」で、ピーターは「農村地帯に家を構えよう」と思いたつ。北京近郊を車で探し回り、北京から2時間ほどの三岔(サンチャ)村に空き家を借りることになる。1970年代に300人ほどいた三岔村の人口は、多くが都会に出ていって、今では150人もいない。車は1台もなく、誰も携帯電話を持っていない。レストランも店もない。村人はクルミや栗の実を売って2000元(約3万円)ほどの年収を得、畑の作物は自家消費用に当てている。

週末をこの家で過ごすうちに、ピーターは家主の叔父・魏子淇一家と仲良くなる。一家を通じて村に溶けこむことで、村のさまざまな実情が見えてくる。魏さんの年齢は書かれていないが、おそらく1960年代後半の生まれ。学校を終えた彼は村を出て北京近郊の工場で仕事をみつけ、コンデンサー工場、ダンボール工場などを転々とした後、9年後に村に戻り、クルミ、栗、アンズの果樹園を持っている。家族は奥さんと一人息子、それに知的障害のある兄と同居している。

ピーターが家を借りた後、村の道路が舗装され、自動車ブームに沸く北京からドライブで村を訪れる人が増えてくる。魏さんは家で食堂を開き、奥さんの簡単な料理を出すようになった。それが成功し、本格的なレストランに拡張した魏さんは村一番の起業家になった。

「事業は成功間違いなしと思われた。それなのに曹春梅(注・奥さん)は疲れきり、魏子淇は浮かぬ顔をしている。事業を始めたばかりのころ、魏子淇が紅梅タバコに火をつけるのはほんのときたま、取引相手に初めて会うときに限られていたが、いまではチェーンスモーカーだ。夜は夜で、白酒を飲みながら夜更かしをすることがおおい。週末旅行で村に来た都会人のストレスが、そっくりそのまま魏子淇の心へと移し替えられたようなものだ。……起業家として成功した魏子淇は、まったく未知の世界に足を踏み入れたのだった」

「家業がうまくいけばいくほど孤独感を深めた」奥さんは法輪功に参加し、魏子淇は事業拡大のために「関係(コネ)」を築こうと共産党に入党する。やがて若い魏さんは開発が進む村の党書記候補にかつぎあげられるが、いろんな思惑が入り乱れる選挙戦の内情はどこも同じだなあと苦笑させられる。

「中国に長く住めば住むほど、私は人びとが急激な変化をどう受け入れていくかが心配になった。近代化が問題だと言っているのではない。私は、発展に反対はしない。貧困から脱したいという人びとの気持ちはわかるし、努力して順応しようという中国人の意欲を深く尊敬している。だが、あまりに急激な変化は犠牲を伴うものだ。……一緒にいて幸せそうな中国人夫婦を、私はめったに見かけなかった。これほどのスピードで変化する国で方向感覚を失わずに生きていくのは、不可能に近いかもしれない」

第3部「工場」で、浙江省南部の高速道路を走っていたピーターは、麗水市開発地区で工場の図面を引いている2人の「社長」と知り合う。その一人「高社長」は職業学校で機械工学を学んだ後、400ドルの資本金を元にズボンの裏あて布の工場を家族でつくった。

「あのころ(注・1990年代)は何を作るかで勝負が決まった。誰も作っていない物を作りさえすれば、成功したんだ。でもいまでは、あらゆるものがすでに国内で製造されているから、何をやっても競争になる。いまは製品じゃなくて生産量で勝負するんだよ」

こう言う「高社長」は、裏あて布の後、叔父であるもう一人の「社長」と組んでブラジャーのアンダーワイヤー工場を立ち上げ、さらにブラジャー・リングに事業を拡張しようというのだった。工場には外国製機械を模倣したリング製造機が1台、機械を動かせる親方が1人、あとは地方の農村からやってきた若い女性工員を雇う。

「またたく間に農地は消え、工場が現われ、起業家や出稼ぎ労働者がどっと押し寄せる。私はこの変化の初期段階に興味があった」。この地域は、そんなふうにしてできた軽工業の「一製品の町」が多いことで有名だ。橋頭で製造されるボタンは中国製の服の7割に使われている。武義は年間10億組のトランプをつくる。義烏では世界のプラスチック製ストローの4分の1を製造している。菘廈は年間3億5000万本の傘をつくり、大塘では地球上の靴下の3分の1をつくっている。

この章では二人の「社長」だけでなく、工場で働く親方や農村出身の女子工員の姿が印象に残る。姉の身分証を使って年齢を偽り採用された妹の後に、当の姉がやってきて働きはじめ、やがて露天商をやっていた父親も押しかけて一家で働き始めるしたたかさ。15歳の妹は有能で仕事もよくでき、「社長」も一目置かざるをえない。やがて「社長」たちは、緑化計画のある地区へ工場移転を計画するが(いずれ消える地区なら規制もゆるいだろうと考えたのだ)、移転と給料をめぐって親方や工員一家と虚々実々の駆け引きが繰り広げられる。このあたりのタフなやりとりには、敵わんなあ、とため息も出る。

「いま起きているのは中国版産業革命なのだ。地方の人びとが都会へ出てくる。なんでも自分で考案する能力にかけては、ディケンズの小説の登場人物に引けを取らない人たちだ。そして、彼らはルールなき資本主義を実践している」

著者は2007年に中国を離れたが、最後にリーマン・ショック後の彼らにも触れている。「社長」たちの工場は人員を半減したが、なんとか生き残った。親方は会社を起こして自ら「社長」になった。姉妹はブラジャー・リング工場を辞め合成皮革工場で働いている。「いい職場よ」「でも1、2年働いたら辞めどき」とのことだ。

農村から都市へと人びとが押し寄せ、いまや中国が「世界の工場」になっていることは誰でも知っている。でも知識として知っていることと、中国版産業革命の急流に放りだされた人たちが懸命に、したたかに生き抜いている姿を、一人一人が名前と顔を持った存在として具体的にイメージできることとの間には、それが活字やスクリーンの上のことであっても確かな違いがある。それは小さなことかもしれないけれど、さまざまな中国と中国人にかかわる問題を考えるに当たって、大きな基礎知識になるのだと思う。(雄)

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