今月の本棚

マスコミを叱る
「『悪魔祓い』の現在史」

稲垣 武著 
文藝春秋(266p)1997.11.30 
1,500円 

マスコミに巣くう固定観念

 辛口の批評で鳴る著者が『正論』に連載した「マスコミ照魔鏡」17回分をまとめ、さらに書き下ろしの「日本の黄昏に跳梁する悪霊たち」を序章におさめた本書は、バブル経済崩壊、犯罪国際化、凶悪犯罪の登場の因にマスコミ・言論界での観念的平和主義、人権主義、人命尊重至上主義があるという。

 被害者の人権軽視、テロリスト人権尊重、自国民の人権無視、声高化してきた改憲論、「リベラル」「ハト、タカ派」言葉イメージの空体語化などに現れていると断じる。 

 しかし、戦後50年を経て、少年A報道での両論併記や民衆のバランス感覚の発露に黄昏が夜明けに転ずる原動力を見いだしている。この序章の結論が個別の章で各件ごとに詳細に当時の発言、記事を交えて解かれていく。

どの新聞も同じか
 
マスコミの最大の使命であり、またそれゆえに批判も受けなければならない機能は、アジェンダ・セッティング(議題設定)であろう。

 ほとんどの人は普通、新聞は一紙しか読んでいない。また、どの新聞でも同じとの論も多い。しかし、新聞によって取り上げているニュース、論調は異なり、逆に、いずれの日本の新聞でも取り上げられないか、取り上げていても同一方向性の時がある事実もまたしかりである。

 副題に「マスメディアの歪みと呪縛」とあり、帯にも「操られる情報 踊らされる人々」という視点はやや激越な感もあるが、本文は記事、あるいは新聞社の姿勢、またニュースキャスターの発言が一刀両断されていて、惹句より激越だ。テキストからの帰納法をメソドロジーとしているだけに、テキストの範疇に留まるケースが散見されるのが残念だ。あるいは序で語られた夜明けの傍証にも一章が欲しかった。

 なお著者は朝日出身者で現在フリージャーナリスト、もとより朝日に対しても激越さは全く変わっていない。(修)