今月の本棚

「アースダイバー」

中沢新一著
講談社(256p)2005.5.30

1800円+税
東京のあちらこちらを散歩しようと思うと、たいていの人は区分地図か『散歩の達人』といったガイド誌を持っていく。

最近は東京散歩のために昭和初期や明治・大正の地図も復刻されているから、それらを持っていく人もいる(明治20年に参謀本部から刊行された地図など、江戸の名残がそこここに残っていて面白い)。池波正太郎や藤沢周平のファンなら江戸切絵図を片手に下町を歩いているにちがいない。

『アースダイバー』の中沢新一が独創的なのは、彼が戦前でも明治でも江戸でもなく、遙かに時代をさかのぼって縄文時代の東京地図を自前でつくり、それを持って歩いているところだ。そこから、とてもユニークな東京論が生まれた。

縄文時代は氷河期が終わって温暖化が進み、氷河が溶けて海面が上昇した時期に当たる。それまで大陸とつながっていた日本列島は大陸から切り離され、現在の東京付近は山の手の台地奥深くまで海が入り込んでいた。

この本についている「アースダイビング・マップ」を見ると、海岸線は北から王子〜上野、お茶の水、皇居付近、芝公園、三田〜品川の台地となっている。現在の神田川や善福寺川流域の低地には海が流れ込み、それに沿った大小無数の台地はフィヨルドのように複雑に入り組んで半島か岬のような地形をしていた。

地質学の言葉で言えば、縄文地図で陸の部分は固い岩盤をもった洪積層、海の部分は河川が運んできた土砂の積もった沖積層ということになる。

中沢新一はこの地図に現代の情報、縄文と弥生の遺跡、古墳や墓地、神社、寺などを書き込む。すると、それらが縄文地図ではたいてい洪積層と沖積層のはざま、半島や岬の突端のような場所に位置していることを「発見」する。

「縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた」

「そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に、神社や寺がつくられたから、埋め立てが進んで、海が深く入り込んでいた入り江がそこにあったことが見えなくなってしまっても、……現代の東京は地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に察知していた縄文人の思考から、いまだに直接的な影響を受け続けているのである」

マップで薄茶色に塗られた洪積層と、青く塗られた沖積層(山の手の低地や下町)の対比を、中沢は専門の宗教学や人類学・神話学のフィールドに引き入れてこんなふうに特徴づけている。

洪積層 「乾いた土地」・精神的なもの(神)につながる・「乾いた文化・社会」=弥生的

沖積層 「湿った土地」・物質や肉体につながる・水の世界=死の匂い、「湿った文化・社会」=縄文的

ちょっと単純すぎる二分法のような気もするけれど、それだけに強力な武器を手に、中沢は東京を歩き始める。寺や神社の縁起が、あるいは盛り場の成り立ちが、またかつての聖域や墓域の上に立てられた電波塔(東京タワー、NHKやTBS)の意味が、何とも興味深く分析される。
 
例えば新宿伝説。

中野付近の台地に住んでいた男が浅草観音に信心したことから、突然に家に金銀の財宝が満ちて長者になった(中沢は、この男は東北の鉱山開発とかかわったのだろうと推測している)。長者は近くの低地の森に社(十二社)を祀った。

男は、財宝の秘密を知る者を橋を渡り原野に誘いだしては殺していた。人々は薄々そのことに気づき、その橋を「姿不見橋」「面影橋」と呼んだ。男には娘があったが、ある日、娘の全身に鱗が生え大蛇になってしまった。大蛇は雨を降らし、それが十二社の池となって、大蛇は池の主となった(「蛇池」「みたらし池」)。

中沢はこの「水と蛇と黄金」伝説を、貨幣経済が発達してきた時代に、「無から有を生む」資本主義の秘密を合理的に解釈しえない人々の想像力が生んだもの、と判断している。十二社は、そのような伝説を背負って、怪しい雰囲気をもった歓楽地として発達していった。

「新宿の定礎を語る物語は、乾燥した高台から湿り気を帯びた森の池に向かって、劇的に展開していく。高い社会的身分を得た者は、高台の乾いた土地に住んでいるが、その人が不思議なやり方で獲得している富の秘密をにぎっているのは、逆に湿り気をおびた暗い土地に住む者のほうである。この街では表の顔は乾燥地にあるが、真実の心は湿地帯にひそんでいる。乾燥した土地と湿地の対立は、そもそものはじめから新宿という土地の出来上がり方に、深くかかわっていた」

中沢はさらに十二社の東側、JRの線路をまたいだところにある、もうひとつの湿地帯について語る。湿地帯は明治になって、淀橋浄水場を作るために掘り出された大量の土で埋め立てられ、戦後、歌舞伎座を持ってこようという住民の運動から歌舞伎町と名づけられた。その名残は歌舞伎町のど真ん中、「王城」ビル隣に、弁天様を祀った小公園として残っている。

余談だけど、学生時代、「王城」ビルのコンパでハイボールを飲み、少量で酔っぱらおうとこの小公園でブランコを漕いだ記憶がある。あそこに弁天様がいたとは知らなかった。

「新宿では高台の周辺に広がる湿地帯から、さまざまな興味深いものが生まれてきた。歌舞伎町には、資本主義の『湿った部分』が、爆発的に開花した。湿地帯の記憶もなまなましいそこでは、貨幣のもつ『湿った』肉体的な本質が、女性の肉体的エロティシズムとして、そのまま商品になって売られている。水と蛇と女のエロティシズム――たしかに新宿の秘密を握っているこの三位一体には、どこか『縄文的』なものが潜んでいるのを感じ取ることができる」

この本の前半は、そのような洪積層と沖積層のせめぎあう土地、渋谷、四谷、麻布、赤坂、三田、早稲田、青山などが取り上げられ、後半は「マップ」で青一色に塗られた地域、当時は海の底にあった銀座、新橋、浅草、秋葉原、隅田川東の下町が取り上げられている。

前半はまだ「アースダイバーマップ」にもとづいた議論が展開されるけれど、後半になると中沢の筆はいよいよ自由奔放。神話学や宗教学の知見をはさみながら、ほとんど想像力が織りなす物語といってもいいようなエッセーになってくる。それがまた面白い。

秘仏・浅草観音とストリップの関係とか、金春芸者(銀座)と新橋芸者の違い、「お酉さま」鷲(おおとり)神社の熊手から鷲がなぜ消えたか(日露戦争が関係してくる)などなど。特に女性とエロティシズムが関連してくると冴える。

いま東京では何度目かの大がかりな再開発によって、六本木アークヒルズ(元の麻布谷町)に始まり六本木ヒルズや現在計画中の麻布我善坊谷(ここでも「谷」だ)のように、坂や崖下の池といった水や湿地の記憶=死の匂いを面としてまるごとつぶした、のっぺらぼうな都市化が進行している。

「こうしてみると、現在のぼくたちの東京に、閉塞感をもたらしているものの正体が、はっきり見えてくる。タナトス(注・死の衝動)のいきすぎた管理化が、この都市から死と再生の可能性を奪ってしまっているのだ」

そして『アースダイバー』は最後に、ここを論じなくては東京論が完結しない場所、皇居で締めくくられる。そこで展開されている中沢の「森の天皇」論も刺激的だ。(雄)