今月の本棚

香港映画の街角

野崎 歓著
青土社(336p)2005.2.25

2600円+税
『インファナルアフェア』を見て以降、香港映画を見ることが多くなった。

「香港ノワール」と称される香港の犯罪映画、黒(ヤクザ)社会と警察組織を素材にした映画は、かつてチョウ・ユンファが主演した『男たちの挽歌』シリーズが大ヒットして人気を集めた。でもシリーズの監督、ジョン・ウーらがハリウッドに去り、香港の中国返還などもあって製作本数やヒット作も減り、ノワールだけでなく映画界全体が沈滞期に入ったと言われてきた。

それが、『ゴッドファーザー』や『仁義なき戦い』にも比すべき『インファナルアフェア』3部作(2002〜2004)で息を吹きかえし、以来、『PTU』や『ワンナイト・イン・モンコック』など、香港ノワールが再び活気を取り戻しつつある。

僕の香港映画体験は、点と点をつなぐような断片的なものでしかなかった。単純化してしまえば、ブルース・リー−ジャッキー・チェン−『男たちの挽歌』−ウォン・カーウァイの線で尽きてしまい、それ以外は数えるほどしか見てない。だから香港映画のもう一方の柱である喜劇は全滅。ノワールだって、見逃したのが無数にある。

で、香港映画の全体像を知りたいと思って選んだのが野崎歓『香港映画の街角』。フランス文学の翻訳家にしてエッセイスト。『谷崎潤一郎と異国の言語』などアジア(中国)にも関心を持っていることは知ってたけど、香港映画をこんなに見ているとは思わなかった。

香港映画については、1970年代の勃興期からずっと見続けてきた宇田川幸洋のような信頼できる書き手もいる。それに比べれば、野崎は90年代に入ってから香港映画の魅力にとりつかれた「あまりに遅れてきた香港映画ファン」。

でも、それだけに香港映画にそそぐ愛と情熱がひときわ大きいことは、本書の目次を見、ぱらぱらと本文をめくるだけで伝わってくる。まるで『花様年華』でマギー・チャンが身にまとったチャイナ・ドレスみたいに深紅で統一された造本(カバー、表紙、見返し、扉)が、書棚で激しい熱を発していた。

この本の前半は「香港映画は屋上をめざす」「無防備都市、香港」と題された犯罪映画論と、「走れ! 香港恋愛映画」「香港映画、一家団欒」と題された恋愛映画論。後半は、ウォン・カーウァイ、ジョン・ウー、ウォン・ジン、チャウ・シンチー4人の作家論という体裁。

冒頭で野崎は、香港映画がしばしば屋上でクライマックスを迎えることから、香港映画がなぜ繰り返し屋上を目指し、そこからの墜落を描くのかを問う。そしていくつもの映画を引きながら、香港という過密都市と競争社会の物理的・心理的な「より高い場所を求めてよじ登ろうとする欲望」を明らかにしながら香港映画の魅力ににじり寄っていく。

香港映画は激しく執拗な暴力描写に特徴があると言われてきた。暴力だけでなくアクションも笑いも、物語が必要とする範囲を超えて、全体の構成をぶちこわしてまで暴力やアクションや笑いの描写にのめり込む。香港映画ファンは、その過剰に惚れた。しかし『インファナル・アフェア』の新しさは、それを転回させた「暴力の抑制」にある、と野崎は言う。

「剥き出しの暴力を回避することによって犯罪映画の画面に未知の緊張をみなぎらせた点にこの映画の大きな特徴がある。第一部前半でトニー・レオンの左前腕を覆っている白いギプスが『インファナル・アフェア』のいわばトレードマークだ。トニーの左腕に対してすでに暴力はふるわれてしまっていて、その痕跡のみが白々と謎めいた静けさを湛えてぼくらの眼前に示される」

「それは荒々しい力を封じ込めた繭であり、その白さは加虐的、嗜虐的場面の現前からぼくらの瞳を守っているのだが、同時にまた、コクーンの殻が割れるときにはふたたび暴力の狂奔が引き起こされるのではないかというおびえに似た感情を常にかきたてずにはいない。事実、いずれ殻が砕かれるときはくるだろう」

これは香港映画が良くも悪くも成熟したということなのだろうけれど、『インファナル・アフェア』を論じながら、その映画を通して香港という都市の現実や未来をもまた予感させているように感じられる。そのような解釈が可能な映画であり、野崎の読みなのだ。

後半の作家論では、熟練した脚本家だったウォン・カーウァイが、自ら『欲望の翼』を監督するに当たって、脚本を書かずに即興演出を試みて破綻し(本人曰く「発狂し」)、その結果として「異形のフィルム」の「新鮮なエモーション」が生まれたという指摘には、なるほどねと納得。

またジョン・ウーについて、「対なるものの支配」(2人のヒーロー、2丁拳銃、拳銃を突きつけあうシーン)からジョン・ウーがこだわる「仁義」と「朋友」を引き出し、ハリウッドへ渡って以後のテーマの変質と苦闘を追った第6章も面白い。

『Mr. BOO!』『少林サッカー』といったヒット作を除いて僕がほとんど見てない喜劇についても、歴史的な展開がきちんと押さえられていて、きちんと見なきゃ、という気にさせられた。特に恋愛映画や犯罪映画ではいつも憂い顔の色男である故レスリー・チャンやトニー・レオンがバカをやってるという喜劇の数々を見てみたい。

この本を読んで、すぐにでもレンタル・ビデオ店に飛んで行きたくなった映画。

トニー・レオン、マギー・チャン、カリーナ・ラウのトップスターがナンセンス・ギャグを連発するという怪作『大英雄』。アンディ・ラウが突如京劇ふうに踊りだしたりするらしいアクション喜劇『整蠱専家』。喜劇ではないけど、リンゴ・ラムがハリウッドで撮ったサスペンス映画『レプリカント』。

そんなふうに書物から映画へと誘惑してくれるのも、野崎が「とにかく、書いていて愉しくてしかたがなかった」と言うように、香港映画へのあふれるような愛と最前線の批評の言葉が共にそなわっているからだ。

「いかに荒唐無稽なギャグが乱れ打ちされようとも、それ(『Mr. BOO!』)は街の現実に根拠を持つ映画だったのである。……映画が街の真ん中で、街頭の空気を吸いこみつつ生まれてくる瞬間に立ち会うこと――それはぼくらにとって、そのたびごとに何とも喜ばしい体験をもたらす。街が映画を求め、映画が街を求める。そんな相互関係に支えられたフィルムのあり方に、まばゆいまでの幸福を感じずにはいられない」

筆者の香港映画への思いに、僕も激しく同意する。(雄)