1993年に出版されて吉野作造賞を受けた『キメラ』の増補版が出た。
法制思想史を専門とする山室信一のこの本は、「日本人が歴史上、初めて経験した多民族国家の形成と、そのユートピアの無惨な失敗」(増補版のためのあとがき)としての満洲国の歴史を扱っている。手軽に読める満洲国の通史はほかに見あたらないから、旧版はこの植民地国家について知ろうと思ったらまずこれを手に取るしかないという定評のある本だった。
増補版では、新たに「満洲そして満洲国の歴史的意味とは何であったのか」という80ページほどの補章が一問一答形式でつけ加えられている。ここでは、一方では満洲国の意味を17世紀以来の長いスパンで捉えなおしながら、一方では本文でほとんど触れられることのなかった有名無名の人たちのことが語られている。そこで、補章から興味をもった部分をひろいだしてみることにしよう。
その前に、本のタイトルである「キメラ」とはギリシャ神話に出てくる頭が獅子、胴が羊、尾が龍である怪物のこと。山室は「獅子は関東軍、羊は天皇制国家、龍は中国皇帝および近代中国にそれぞれ比す」と書いている。怪物の頭脳は関東軍であり、胴体は大日本帝国の模造国家にすぎず、飾りとしての尾は溥儀という「ラストエンペラー」だった、ということだろう。
満洲国は1932年、「五族協和」「王道楽土」をスローガンに欧米の帝国主義支配を排しアジアの理想国家をつくるとして「建国」された。
本文では満洲国の歴史を、石原莞爾の「最終戦争」政略のなかで浮上した満洲占領構想や、それに呼応した在満日本人の動きから説きおこしている。そして、建国された後の政府機関では日本人が多くを占めていたこと、公用語として日本語が使われていたことや、少数の満洲人・中国人・朝鮮人官吏は俸給の面でも差別されていたことなどが、主に政治や法制度の側面から叙述されている。
新書という制約もあってだろう、本文では満洲国の経済についてはほとんど触れられていない。満洲国の経済を支えたのは農業と石炭と製鉄だったが、それらはほとんど大日本帝国の戦争遂行のために吸いあげられた。補章では、それら以外にもうひとつ、アヘンがあったことが明らかにされている。
満洲国は表向きはアヘンを禁止していたが、陰ではアヘンを栽培し、あるいはペルシャから密輸して、その膨大な利益が満洲国の財政や関東軍の機密費を支えていた。
大杉栄を惨殺して満洲に渡った甘粕正彦が「影の皇帝」と呼ばれたのもアヘンが生みだした秘密資金があったからだった。岸信介(産業部次長、総務庁次長)は一介の官僚であるにもかかわらず、それらの資金から甘粕の特務工作に1000万円(現在の80〜90億円相当)を手渡していた。
それに続けて、山室はこう書いている。「A級戦犯であった岸を巣鴨プリズンを出て僅か八年で権力の頂点に押し上げたのも、この満洲人脈と資金力でした。その意味では、いまに至る政権党のある種の金権的政治体質は、満洲国にその起源をもっているといえなくもありません」
また「五族協和」(五族とは日満中朝蒙)の実態がどんなものだったかについて色々な例が挙げられているが、そのひとつに「血」の問題がある。満洲には開拓農民の「花嫁候補」として多くの日本人女性が組織的に送りこまれた。彼女らの役割について、当時の「女子拓殖要綱」には「一滴の混血も許さず、自ら進んで血液防衛部隊とならなければならない」と記されている。
満洲国には国籍法がなかった。ということは、ひとりの国民もいなかった。
五族はそれぞれの国籍を持ったまま、満洲国に住み、生活を営んだ。日本人の権益が最優先されたのは言うまでもない(朝鮮人は「日本人」だったが、本土の日本人とは区別され、待遇も満洲人よりは良いが日本人とは差別されている)。国籍法はさまざまな試案や草案が出されたけれど、ついに制定されずに終わった。その理由について、山室はこう言っている。
「国籍法制定を阻んだ最大の原因、それは民族協和、王道国家の理想国家と満洲国を称しながら、日本国籍を離れて満洲国籍に移ることを峻拒し続けた在満日本人の心であった、と私は思う。/王道楽土満洲国とは、国民なき兵営国家にならざるをえなかったのである」
満洲国が傀儡国家であり「偽国」にすぎなかったことは歴史上の事実だけれども、その歴史に巻き込まれた者のひとりひとりにとっては、そうした俯瞰的な歴史とは別のそれぞれの「夢」が賭けられていたこともまた確かだろう。補章では、そうした人たちについても触れられている。
開拓農民の花嫁として渡満した女性たちにもそんな「夢」があったに違いないし、男たちにしても、品川の武蔵小山商店街の商工業者は物資欠乏から商店や工場を閉めて集団で新天地を求めたという。また被差別部落の集団移民もあった(彼らは満洲でも差別を受け、開拓地から開拓地へと流れていった)。
また満州は「疑似亡命空間」として「日本近代のなかにあった唯一のアジール」でもあった。満鉄に多くの隠れ左翼、左翼転向者がいたことはよく知られているし、満洲に渡った芸術家にとっては「閉ざされていた戦時中の日本社会にとって西洋文明を吸収できる窓口」でもあった。
日本人ばかりではない。満洲にはロシア革命やナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人もいたが、彼らを定住させて「六族協和」をはかる計画もあったという(ユダヤの資本力・技術力を利用し、また対米交渉のカードとしても有効と考えられた)。
満洲人にしてもモンゴル人にしても、当時この地を支配していた軍閥・張学良を倒して独立するには日本を利用するのがいいと考えて満洲国に協力した者もいた。そもそも溥儀にしても、名目上の国務総理・鄭孝胥にしても、清朝復興の「夢」を抱いていた。
また大同学院、建国大学などの学校、軍の将校養成学校には、「五族協和」の建前から少数とはいえ他民族を迎えいれざるをえなかった。結果としてそこからも民族独立を夢見る人たちが育っていった(安彦良和の傑作『虹色のトロツキー』の主人公は建国大学に学ぶ日蒙混血の青年だった)。満州の陸軍軍官学校に学んだ朴正熙元韓国大統領もそのひとり。現在、その経歴が対日協力者として問題になっている。
そんなふうに、山室信一は数世紀の歴史の流れを俯瞰する「鳥の眼」と、ひとりひとりの「夢」の集積としての「虫の眼」の双方から満洲国の実相に迫ろうとする。
書きくわえられた補章はまだスケッチにすぎず、そこで触れられているテーマがそれぞれ更なる研究・検証を必要としていることは筆者がいちばんよく知っているだろう。補章が満洲国の歴史をさらに多角的に明らかにする本格的な叙述として生まれかわる日を期待したい。
なんといっても「満洲国の肖像」が過去の完結した歴史ではなく、現在の僕たちに直結する今日的な問題を孕んでいるのは明らかなのだから。(雄)
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