シルミド事件は1971年に起こった。ある部隊が基地を脱走し、バスを強奪しながら市民・警官を殺害してソウルを目指した。しかし最後ソウル市内に入ったところで犯人20人が射殺され、4人が生き残った事件である。この事件の伏線は1968年に発生した北朝鮮からの侵入者による青瓦台襲撃未遂事件と言われている。
31人の北朝鮮兵士が国境を越え青瓦台に1kmまで迫ったものの28名が死亡、2名逃亡、1名が投降した。時の大統領の朴正煕はこの侵略に対し厳しい対応を下したと言われている。そのひとつがシルミド事件の布石となる特殊部隊の創設で、シルミド(実尾島)を拠点にして民間人を集め訓練をする。
目的はただひとつ金日成を暗殺することだった。彼らは正式な軍籍を持つこともなく訓練に明け暮れていた。ただ、歴史の転換の中でその作戦が実施されないまま時間がたつに従って、訓練の過酷さと軍の方針に不満は募り青瓦台の朴大統領に直訴しなければとの思いが反乱の原因と言われている。
本書は非公開とされてきたこの事件の実相を丁寧に描いている。事件の概括から始まり、朴正煕政権とKCIAとの関係、現代から見た事件の意味づけ等、特に関係者の名誉回復に焦点をあてている。事件そのものが極めて暴力的であるが故にセンセーショナルに扱われるが、歴史としてその時代を切り取ってみるとその多様なうねりに驚くばかりである。
事件が発生した第一報は国防部スパイ対策本部から「北朝鮮からの侵略・武装共産ゲリラ」と発表された。しかし、この日の夕刻、「空軍管理下の特殊犯罪人」という報道が国防部よりなされた。事件から24日後の金鐘泌首相の国会答弁で、反乱者の身分は「特殊部隊の要員」だったことが明らかにされる。その後この事件は封印された。生き残った4人は軍籍を持たない民間人であったにもかかわらず、軍法会議にかけられ上告することもなく翌年春に全員が銃殺刑により処刑された。
朴正煕の時代は韓国国内の極度の混乱の時代であった。北を始めとした共産主義国家軍との対峙、軍人間の権力闘争、米国との軍事戦略上の暗流と闘争という三重の混乱があった。こうした軋轢から生れるのはあまりに暴力的な行動の策定と実行であり、国家として表立った姿を表さない底流としての暗部である。
在米のジャーナリストであった文明子は「朴正煕と金大中」(2001年刊)の中で、中央日報の記者だった金進も「朴正煕時代」(1993年刊)の中で朴正煕個人の資質や信条に関し極めて批判的に描いているが、社会の構造やプロセスというよりもこうしたカリスマ的な個人によって国家を牽引できた、またはせざるを得なかった時代だったということである。
この事件を題材にした映画も日本で封切られた。多くの人がこの事件を知ることになるだろう。また「韓流」といわれる大きなうねりが日本の中に起こり、多くの分野で新たな日本・韓国の関係とその理解が広がっている。日韓は確実に新しい時代に入っている。一方戦前から戦後にかけての韓国の歴史と時代を理解する努力はますます必要になってきている。
朴正煕が戦時中、日本帝国陸軍中尉だった経歴は韓国大統領になった時点で韓国国民にある種のかげを落としていたはずであるし、この事件の数年後に起きた金大中拉致事件は一般の日本国民にとってあまりに乱暴な手口であるが故に理解し難い事件として記憶されている。近代100年の韓国の歴史の襞には良かれ悪しかれわが国の歴史が投影される。古代においては朝鮮半島の歴史が日本の歴史の襞に色濃く投影されているように。
次の100年の関係に向けて、本書からこの事件を断片として理解するのではなく歴史の流れとして若い読者には読み取ってほしいと思う。 (正)
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