戦後、それも1940年代後半から1950年代の高度成長以前のこの国の空気を追体験するとしたら何がいいだろうか。生活のなかにテレビが登場し、世の中全体がカラフルになってくる以前の、貧しかったこの国の町の表情や人々の喜怒哀楽の感情を、いま実感しようとしたら何を見たり、何を読んだらいいのか。
黒澤明の『酔いどれ天使』『野良犬』といった一連の現代劇。木村伊兵衛や土門拳のカメラが切り取った人びと。松本清張や水上勉の推理小説。「星の流れに」「カスバの女」など歌謡曲の数々。
いくつものものが思い浮かぶが、それらとともに、あの時代の空気をまざまざと伝えてくれるのが本田靖春の一連のノンフィクションだと思う。
「義展ちゃん事件」を素材に、貧しさによる犯罪を描いた『誘拐』。一人の在日朝鮮人の強烈な個性が引き起こした「金嬉老事件」を取り上げた『私戦』。渋谷の伝説的な愚連隊の生の光芒を追った『庇――花形敬とその時代』。戦後最大の歌姫に迫った『戦後――美空ひばりとその時代』。
これらのノンフィクションは、筑紫哲也が評しているように日本の戦後そのものをテーマとし、あの時代と、そこに生きた人々を深い共感と愛情をもって描き出している。いずれも『本田靖春集』(全5巻・旬報社)で読むことができる。
『我、拗ね者として生涯を閉ず』は、そのようないくつものノンフィクションの傑作を書いた著者の未完の遺作。自伝的な回想を記しながら、その端から、いまの日本と日本人に向かって言いたいことが、押しとどめようもなく噴きだしてくるといった体の本になっている。
朝鮮総督府の役人だった父親とともに「植民者2世」として暮らした朝鮮時代。島原半島に住み、引揚者へのいじめに日本人の狭量を知った中学時代。東京へ移り、貧乏ながらも民主主義のなかで個性を羽ばたかせた高校・大学時代。読売新聞社社会部に入り、「黄色い血」キャンペーンでスター記者となった時代。やがて社主・正力松太郎による紙面の私物化に抗議しての退社。
そのあたりまでが回想されている。以前の著書でいえば『私のなかの朝鮮人』『不当逮捕』『警察回り』が扱った時代やテーマと重なる。とりわけ、「いまも、変わりなく社会部記者をやっているつもり」と記すように、職業人としての本田靖春をつくりあげた社会部時代の記述が「社会部が社会部だった時代」を彷彿させて生き生きしている。
先輩たちに「生意気でいいんだ」と背中をたたかれ、「声にならない民衆の胸の内を掬い上げて権力に叩きつけるキャンペーンこそ、新聞の原点」と知る。当時、輸血のための保存血液がほとんどすべて売血だったのを献血に転換させた「黄色い血」キャンペーンは本田の手になるものだが、高校生だった小生も連日の読売の紙面が活気にあふれていたのを覚えている。
この取材のために売血を体験した本田は肝炎にかかり、やがて肝ガンも発見される。さらに別の部位にガンが見つかり、糖尿病の合併症もあって、「私はこの連載を書き続けるだけのために生きている」という状態のなかで、この本を書き継いできた。
第2部「植民地朝鮮、支配者の子として」の後には、編集部による次のような注が入る。「ここまで書き進めてきた著者は、二〇〇〇年六月に東京女子医大で大腸ガンの切除手術を行い、四カ月間の休載を余儀なくされる」。
その半年後には次のような注が挿入されている。「二〇〇〇年十二月にここまで書き上げた著者は、右足指に壊疽を起こし、東京女子医大で右膝上から切断、その後、三カ月間休載が続く」。その後もこうした注が繰り返され、連載は二〇〇四年一二月で中断されたまま終わることになった。
生涯、持ち家を持たなかった本田靖春は、みずからを「由緒正しい貧乏人」と称した。高度成長期に日本人が「マイホーム」にあこがれ、「三種の神器」(初代はテレビ、洗濯機、冷蔵庫だったっけ?)を夢見たのを「お仲間たちの裏切り」と感じた。「『豊かさ』が諸悪の根源、といったのではあまりにも言葉が過ぎるが、『豊かさ』を追い求めるあまり日本人は欲呆けしてしまった」と断言してはばからない。
「だから日本を昔の貧乏国に戻せ、とは、いくら私でも言いはしないが、いまの日本人は嫌いだ、とだけは力をこめていっておこう」
こういう感性をもった本田靖春の描く高度成長以前の日本と日本人が生き生きしているのは、当然といえば当然だろう。「人びとはいまとは比較にならないほど優しかった。それは、あまねく貧窮のどん底をくぐって、生きることの切実さが身に染みていたからではなかったか。だからこそ、他人の悲しさや苦しさにも、見て見ぬ振りはできなかった」。
むろん、貧乏に貧乏ゆえの問題があったように、豊かさには豊かゆえの深刻な問題がたくさんある。豊かさのなかで生まれ、育ってきた、いまこの国の多数を占める世代にとっては、そちらのほうが切実なのは、これまた当然のことかもしれない。
本田の体験を理解でき、高度成長以前の日本を体験している当方にしてからが、本田の言うことに頷きながら、でも、と留保をつけたくなるのも事実なのだ。日本人が貧しさを抜け出して豊かになったのは、そこからいろんな歪みが生まれ、バブルが生じ、人々がカネとモノに狂い、それは地球規模で考えれば発展途上国の犠牲の上になりたち、正されなければならないものだとしても、やはりわれわれが自ら目指したことだったのだ、と。
そういう留保をつけた上で、なお本田靖春の遺書というべきこの本に耳を傾けたくなるのは、この国ばかりでなく地球全体が、再び貧富の差の激しい世界へと向かっていると感じられるからだ。20世紀が部分的には平等化や所得の再分配が試みられた時代だったとすると、21世紀は、19世紀とはまた別のかたちで裸の資本主義が貫徹する時代になりそうな気配が濃厚だ。そのとき、われらは本田の描く高度成長期以前の日本人のように他人に対して優しくふるまえるのだろうか。
本田は、豊かさのなかで生きてきたわれらに向けて、こう言っている。「危険を承知でいうと、いまの不況がもっと長く続けばよい、と私は思っている。規制緩和、自由化が進めば、弱者には辛い社会になる。お仲間たちは、痛い目に遭わないとわからない。二十一世紀はそこから仕切り直しである」。(雄)
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