私も還暦となり、とみにもの忘れは頻度を増している。そんな同世代の諸氏はこの本のタイトルを見ると読書欲が書き立てられるのではないかと想像される。ただ、この本を読んだからといって特別もの忘れをしなくなるということではない。忘れないためのヒントは指南されているものの、骨子は「忘れる」というメカニズムや「忘れた」という一言で片付けている状況での要因やメカニズムについての解説である。
従って、もの忘れを家人から厳しく指摘されたときに、慌てたり、動揺することなく「なぜ私は忘れたのか」を丁寧に説明出来るようになるというなかなか優れた本である。
忘れるということを要因からもう少し科学的に理解するために、まず、「し忘れ」と「し間違い」の違いから本書はスタートしている。「し忘れ」は「これからやろうとしている行為の記憶」に対するエラーであり、一方、「し間違い」とはアクションスリップといわれ、この分野のエラーは労働科学や人間工学の分野で研究が進められている。これは問題の大小に関わらず「ヒューマン・エラー」と称されるものであり、飛行機事故などが発生すると社会的に報道されて原因としていろいろ語られるのは、このアクションスリップである。
本書はこの二つの典型的なエラーのうち、「これからやろうとした」、「何かをやろうとした」という行為に対するエラー、「し忘れ」がテーマとなっている。
この種類の記憶は「展望記憶」とか「意図の記憶」と言われている。ここで言う「意図」とは人生といった長い時間レンジでもなく、今すぐといった極端に短いレンジでもない。例えば、時間・日・週・月といった単位で実現される範囲であり、展望記憶の特徴として「ひとから頼まれた用事」だったり「会う約束」だったりすることが多いため、他者とのコミュニケーションにおいて必要不可欠な記憶である。ここでエラーが発生すると人との信頼を裏切るといった状況になりかねないことから社会的意味が重い。子供の教育の観点でも、過去を覚えるという学問とともに、将来の計画を着実に実行する訓練は多く行われている。そうした記憶の想起とは意図=緊張といった図式で語られるようだ。
こんな例が上げられている。「ライオンが目の前に現れた」という緊張時に、人間は「嫌だ」「怖い」などの感情とともに「心拍数が上がり」「手に汗をかき」「胃が収縮する」といった身体的変化が生じる。こうした緊張状況を読み解く現代の生理心理学系の研究成果では、「恐怖」によって「発汗」するのではなく、身体的反応の方が早く生起することを示す結果がほとんどであると言われている。言い換えると、「悲しいから泣く」のではなく「泣くから悲しい」ということになる。これが緊張と記憶想起のメカニズムである。ライオンに出会うほどの極端な緊張がそうあるわけではないが、意図として記憶されたものは感情や気分の微細な変化を生み出し、さらには記憶の活動にも影響を与えているということのようである。
もう一つの展望記憶の特徴として、タイミングがあると言われている。つまり「適切な時期に思い出す」といった行為である。若年層と壮年層で一週間後にあることを思い出してもらう実験が紹介されている。結果は記憶力が落ちるといわれている壮年層の方が「し忘れ」が少ないという結果である。これは常識としては違和感があるが、展望記憶については社会生活の訓練によってスキルが蓄積される要素があり、例えば挨拶の仕方とか冠婚葬祭のプロトコールなどは社会生活のベテランである壮年層のほうが若年層以上の「し忘れ」を回避する高パフォーマンスを示すことになる。
こうした社会適応を「スキル化された記憶」と称して社会生活や経験が長いほうが有利に働くとともに、壮年層は補助記憶をよりく活用しているとのこと。手帳やカレンダーの活用は自らの記憶力の限界を感じているがゆえに記憶低下を補強する努力を老年は実行している。逆に、若者は記憶力に自信がある分メモを書く習慣が少ないといわれている。
日常的な「し忘れ」は誰にでも起こることである。しかし、病気や事故で記憶力の低下は発生する。それは周りの人間が適切に理解することで早期の発見と対処が可能となる。ある人のし忘れが単なる行為のし忘れではなく、意図そのものを忘れてしまったことが原因で起きているのであれば、それは病的な「し忘れ」の危険信号である可能性が高くなる。健忘症の場合には、記憶障害の発生時期が明白なことが多いため、以前との比較に基づいて病的な「し忘れ」が発見されやすい。
しかし、認知症の場合には、始まりが明白でないため、そのぶん発見が難しい難しいといわれている。こうした記憶や行為のエラーの要因や仕組みを知っていることで正しく家族の身体的変化をより正確に把握して「病気」としての記憶障害にも適切に対応することが期待されている。自身の高齢化だけでなく、家庭や社会で高齢化が進む中ではそうした知識の活用が必要だと思う。
新しい発見や事実の解明が進む中で、脳は意識する前に違いに気付く機能を持っているという研究が進んでいる。ある単語の組み合わせを示しておいて、後からある単語が示されていたものであるかどうかを再認させるというテストで、正しく「既出」の単語と指摘したケースと、誤って「既出」としたケースの脳の活動に違いがあるという。左右の前頭葉の外側でその違いが明確に出ることから、前頭葉では両者の違いを検知していたにもかかわらず、それを意識して再認判断に生かすことが出来なかったことを示唆している。視覚認知においても画像の違いに気付く前の段階で、脳で変化がある場合に敏感に反応する部位があることも明らかになっている。こうしたシステムによって人間は意識する前から、特に前頭葉では予測的な活動がなされており、意識した後にスムースに事を処理することが出来るようになっている。その意味で脳は極めて効率化されたシステムであり、意識というプロセスは脳の全活動のほんの一部分ということが言える。
Functional MRIとかPETなどの最新医療機器による脳の機能が詳細に分析され解明されてきているという事実は受け入れなければならないのだか、だからといってそのプロセスを解明できてしまうということも不健全に思えてならない。
最後は「し忘れ」を防ぐ方法のまとめである。
まずセルフモニタリング(メタ記憶)をしっかりすることである。すなわち、自分自身の複数の「し忘れ」に共通する要因を探り当てることができれば、自ずと対策が立てられてくるわけで、「自分の記憶力はどの程度のもので、自分の記憶力が影響を及ぼすことができる範囲はこの程度である」と認識しておくことが重要である。
つぎに、「予定が発生したら、なるべく具体的にそれを実行する時刻を定めておく」こと。やはり、午前中とか来週にはという記憶は強い意図をうまないということである。
また、環境デザインによる「し忘れ」防止という考え方がある。例えばメモを書いて玄関において置くとか手帳に書くといった身の回り(環境)のデザインである。しかし、これは自分自身で意味のあるデザインにしておかないと効果がない。つまり、手帳を見る癖のない人が手帳に書き込んでも効果がないことなので、セルフモニタリングを正確にして自分に適した環境デザインを行うことが必要ということである。
老妻と二人で食後の茶をすすりながら、「この本で記憶に関する理解は大変深まった」と言いつつ、「ほら、あの人、名前なんだっけ」「あの役者は何とかっていう映画に出てたじゃないか」「xxチャンは今年七五三?」などという疑問形続出の会話は今日も途切れることなく続き、夜は更けていくのである。(正)
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