「葛飾北斎」の年代 1805(文化2)〜1810(文化7)ころ |
寛政10年(1798年)に「北斎辰政」と改名し、独流を宣言した北斎は、文化2年ごろから「葛飾北斎」と号するようになり、読本の世界で斯界第一人者として、独創的な挿絵を続々と発表してゆくことになる。また、肉筆画についても、風俗や美人などを画題にして、晩年期とならぶ数多くの佳品を制作している。 |
1805(文化2) | 46歳 | ▽読本「新編水滸画伝」初編初帙(曲亭馬琴作・葛飾北斎画)以降、6編まで刊行
▽狂歌本「絵本隅田川 両岸一覧」(刊年未定) |
|
1806(文化3) | 47歳 | 春から夏にかけて、馬琴宅に寄宿する 6月頃、木更津方面に旅する
▽奉納額「富士の巻狩り図」(画狂人北斎旅中画 印=之印 木更津日枝神社) |
|
合巻「桜姫全伝曙草紙」(京伝作、豊国画)
喜多川歌麿没(享年54) |
|||
1807(文化4) | 48歳 | ▽読本「鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月」前編(馬琴作 葛飾北斎画)以後、残編まで
▽読本「墨田川梅柳新書」(曲亭馬琴作 葛飾北斎画)ほか |
|
深川冨岡八幡宮祭礼で永代橋が崩落 | |||
1808(文化5) | 49歳 | ▽読本「近世怪談 霜夜星」(柳亭種彦作 かつしか北斎画)
▽読本「三七全伝南柯夢」(曲亭馬琴作 葛飾北斎画)ほか |
|
イギリス船、長崎に入港 | |||
1809(文化6) | 50歳 | ▽肉筆画「八朔太夫」(葛飾北斎 印=亀毛蛇足)この頃か
▽読本「飛弾匠物語」(六樹園飯盛作 葛飾北斎画)ほか |
|
滑稽本「諢話浮世風呂」(式亭三馬) |