「宗理様式」の年代 1795(寛政7)〜1804(文化1)ころ |
北斎36歳の寛政7年(1795年)から宗理の落款をもつ作品が見られる。おそらく前年に、琳派の町絵師・俵屋宗理を襲名したものらしい。以降、寛政10年(1798年)まで、宗理を名乗った数年間は、浮世絵世界と一線を画し、摺物や狂歌絵本などで、宗理風と称される佳品を次々と発表した。 |
1795(寛政7) | 36歳 | ▽狂歌本「狂歌歳旦 江戸紫」(万亀亭花の江戸住撰 宗理「年礼図」) | |
1796(寛政8) | 37歳 | ▽狂歌本「帰化種」(清涼亭菅伎撰 百琳宗理画) | |
1797(寛政9) | 38歳 | 狂歌本3種に挿絵をする | |
版元・蔦屋重三郎没(享年48) | |||
1798(寛政10) | 39歳 | 宗理号を門人宗二に譲り、北斎辰政を名乗る | |
1799(寛政11) | 40歳 | ▽狂歌本「東遊」(浅草庵市人撰 画工北斎)(後に「画本東都遊」と改題色摺本を刊行) | |
1800(寛政12) | 41歳 | ▽狂歌本「東都名所一覧」(浅草庵市人撰 北斎辰政)
▽黄表紙「竃将軍勘略之巻」(時太郎可候作画) |
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1801(享和1) | 42歳 | ▽黄表紙「児童文殊幼教訓」(時太郎可候作画) | |
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1802(享和2) | 43歳 | ▽狂歌本「画本忠臣蔵」(桜川慈悲成撰 北斎辰政)
▽狂詩本「潮来絶句集」(富士唐麿撰 絵師名なし) |
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滑稽本「東海道中膝栗毛」(初編)(十返舎一九) | |||
1803(享和3) | 44歳 | ▽黄表紙「不厨房即席料理」▽同「胸中算用嘘店卸」(ともに時太郎可候の画作)
▽肉筆画「柳下傘持美人」(画狂人北斎画 印=辰政)享和年間か |
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1804(文化1) | 45歳 | ▽狂歌本「画本狂歌 山満多山」(大原亭主人撰 北斎画)
▽音羽護国寺の開帳で120畳大の「達磨半身像」を描く(4月13日) |
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