その場がど~んともりあがる雑学の本
相手をリラックスさせる雑学<第2章>
慶長8年(1603)、徳川家康が江戸幕府を開いたときから、慶応3年(1867)、徳川慶喜が大政奉還するまでの約260年間(江戸時代、あるいは徳川時代ともいう)に将軍となった15人のうち、在職期間がもっとも短かったのは、15代将軍の徳川慶喜です。
徳川慶喜は慶応2年(1866)7月、前の将軍家茂(在職8年)が21歳で亡くなったため、水戸徳川斉昭の第七男で、一橋家に入っていた慶喜が30歳で徳川宗家を相続し、その年の12月になって将軍職に就任しました。
しかし、慶喜が将軍職に就いたころは、反幕府運動が激しくなっていた時期でした。慶喜は、フランス公使ロッシュの軍事援助を受けながら、衰退の一途にあった徳川幕府の権力強化に力を尽くしました。それは「東照宮さま(家康のこと)の再来」とまでたたえられるほど、幕政改革をいろいろ進めましたが、すでに反幕府運動の波は強まる一方でした。
慶喜は、どのような政策をとっても、権威の回復は不可能と判断。土佐藩の大政奉還論にしたがうほうが得策であると考え、慶応3年10月14日に、政権の返上を朝廷に申し入れたのです。それは、翌日受け入れられたことによって、鎌倉幕府以来、約700年つづいた武家政治が幕を閉じ、再び天皇による政治が復活(王政復古)したのです。
したがっで、慶喜が将軍の地位にあったのは、慶応2年(1866)12月から翌年12月までの、わずか1年しかなかったのでした。ちなみに、将軍在職期間のもっとも長かったのは、11代将軍家斉で、50年間でした。
「講談社+α文庫」所収
【Amazon.co.jp】書籍、CDから家電まで購入金額1,500円以上で国内配送無料。
Copyright(c)2002-2010 Kenji Noguchi. All Rights Reserved.