夏目漱石の本名はなぜ金之助なのか<雑学倶楽部>



夏目漱石の本名はなぜ金之助なのか<雑学倶楽部>

その場がど~んともりあがる雑学の本
相手をリラックスさせる雑学<第2章>

夏目漱石は、明治維新の前年、慶応3年(1867)1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町(現在の新宿区喜久井町1番地)で、夏目小兵衛直克(54歳)と千枝(41歳)の五男三女の末っ子として生まれました。両親が年をとってからできた、いわば、「恥かきっ子」だったわけです。

父は、江戸町奉行支配下の町方名主。いわゆる、町役人でしたが、時代の変化に適応できず、漱石が生まれたころの家運は、かなり傾いていたようです。また、母千枝は、鍵屋庄兵衛という質屋の三女として生まれ、御殿奉公もした気品のある女性でした。

漱石の生まれた時刻は、ちょうど申の日の申の刻で、古くからその日のその時刻に生まれた者は大泥棒になるといい伝えられていたのです。そこで、夏目家では「名前のつけ方」なる本と首っ引きで協議を重ねたのでしょうか、「金へん」のついた字を名前につければ、泥棒になるのを防げるという迷信にしたがって、金之助と命名したのです。

金がついたとは、まことにめでたい話ですが、古道具屋へ里子に出されたり、2歳のときには養子に出されたりと、漱石にとって幼いころは「とかく浮世は住みにくい」人生のスタートでした。

「講談社+α文庫」所収

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