その場がど~んともりあがる雑学の本
相手の気をひく雑学<第1章>
徳川最後の将軍、15代慶喜です。77歳まで生きました。名前の喜の字は偶然かもしれませんが、喜寿(喜の字をくずして書いた草書体「 」から)にあたる歳です。
将軍在職期間はわずか1年で、政権を朝廷に返上した、いわゆる大政奉還(慶応3年10月14日)後の年齢も含むので、将軍としての寿命からいえば、慶喜ではなく、やはり江戸幕府260年の基礎をつくった初代家康でしょう。
家康は75歳という長寿をまっとうしましたが、現在でいえば100歳を超えていたと考えてもよいくらいです。なにしろ、徳川歴代将軍の平均寿命は49.6歳。いまでは働き盛りの年齢で他界していますが、当時はこれでも長生きのほうでした。
ちなみに、慶喜、家康に次いで50歳以上生きた将軍は、11代家斉(69歳)、8代吉宗(68歳)、5代綱吉(64歳)、12代家慶(61歳)、2代秀忠(54歳)、6代家宣、9代家重(ともに、51歳)、10代家治(50歳)です。
以下3代家光(48歳)、4代家綱(40歳)、13代家定(35歳)、14代家茂(21歳)、の順で、もっとも短命だったのは7代家継(8歳)でした。
さて、その死因や持病ですが、家康の死因は鷹狩りの帰り、宿泊先の旅館で鯛のてんぷらを食べてから腹痛で病の床に伏し、中毒あるいは流行病ではないか、というのが通説ですが、胃ガンであったという説もあります。家忠は寄生虫による内臓疾患、家光は腎臓病。家綱の病名は定かではありませんが、生まれつき病弱だったようです。犬公方といわれた綱吉は麻疹(はしか)。家宣は風邪をこじらせ、肺炎になったそうです。
4歳で将軍職を継いだ家継は、生まれながらの虚弱体質で、前述のように8歳で没。吉宗は菜食主義に徹していて頑強でしたが、脳軟化症に。
家重や家斉など、死因、病名が定かでない将軍もいます。
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