その場がど~んともりあがる雑学の本
相手の気をひく雑学<第1章>
日本の新聞は現在、1面の広告は下3段だけで、朝刊ならたいていの新聞は8つの出版社の書籍広告が並んでいます。
しかし、大正4年(1915)から36年間は、おもな新聞の1面は上から下まで広告で埋まっていたのです。しかも、その主役はやはり書籍でした。
「毎朝起きて顔を洗ってから新聞を見る。まず第1ページにおいてわれわれの目に大きく写るものが何であるかと思ふと、それは新刊書籍、雑誌の広告である。世界ぢゆうの大きな出来事、日本国内の重要な現象、さういふもののニュースを見るよりも前にまづこの商品の広告が自然にわれわれの眼前に現れて来るのである」
これが「天災は忘れたころにやってくる」の名言を残した物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦(1878~1935)のエッセイ『読書の今昔』に見る当時の新聞の話です。
この1面の紙面に記事が登場し、書籍広告の大半が消えたのはいつごろでしょうか。なんと、昭和初期でした。あっと驚く改変をやってのけたのは昭和12年(1937)元旦の読売新聞です。「1面トップにニュースが満載された」と、同新聞120年史はページを割いています。
いわく、
「(1面を広告で埋めるならわしの)背景の中で、第1面にニュースを載せた本紙の大転換は、新聞の公共性、ニュース性を前面に押し出した画期的な試みであり、新聞史に大きな転換をもたらした意義は極めて大きい。その意味で、この年の本紙元日号は、永久に記録される価値がある」
と、いまでは常識の新聞1面の扱いも、当時は「大転換」としてニュースになったのです。
「講談社+α文庫」所収
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