その場がど~んともりあがる雑学の本
とにかく話をつなげたい雑学<第3章>
織田信長は実用本位の食生活でした。過食せず、がモットー。京風薄味よりも田舎風の塩辛い味つけを好みました。うまければ、なんといわれようと食べたといいますから、ある意味ではグルメ志向だったのかもしれません。
鷹狩りで捕らえた鶴や鷹の肉を食膳に添えることも、しばしば見られました。茶会の席には酒も出ましたが、がぶ飲みするようなことはせず、酒豪ではありませんでした。
豊臣秀吉は田舎料理が好きでした。秀吉は足軽の子として貧しく育ったせいか、美食は好まず、天下を取ってからもダイコンやゴボウを使った田舎料理に舌つづみを打ったといいます。病気療養のために、朝鮮から虎肉の塩漬けを送らせたこともあります。
白鳥や鶴の肉も体力増強の食事療法として食べています。割粥も好んで食べました。
明智光秀にはこんな挿話があります。本能寺の変が起きる1週間ほど前、光秀は連歌の会を催し、そのとき出されたチマキを皮ごとかぶりつき、側近を驚かせたといいます。このとき、すでに信長殺しを計画していたのかもしれません。
秀吉に才知を認められて近習(君主の側近に仕えること)となった石田三成は、かた粥を食べて胃腸を整えたそうです。関ヶ原合戦で敗北し、捕らえられて首をはねられる直前、三成は白湯を飲みたいといいました。しかし、白湯のかわりに干し柿を出され、「干し柿は痰によくない」といって断った話は有名です。死ぬ直前にも養生を忘れませんでした。
上杉謙信は一生涯独身でした。洒は飲みましたが、女は避けるというのが謙信の養生法。戦国武将にはめずらしいタイプの男性でした。
「講談社+α文庫」所収
【Amazon.co.jp】書籍、CDから家電まで購入金額1,500円以上で国内配送無料。
Copyright(c)2002-2010 Kenji Noguchi. All Rights Reserved.