その場がど~んともりあがる雑学の本
とにかく話をつなげたい雑学<第3章>
毎年、交代する大名屋敷の侍たちや、入れかわりする出かせぎ労働者たちは、「江戸っ子」ではありません。
下町に家をつくり、江戸をふるさととして住みついた江戸の町人たちは、先祖代々の町人として、明和年間(1764~1772)に「江戸っ子」と呼ばれていました。といっても、こうした町人たちは、自分の土地や家に住むものは少なく、そのほとんどは長屋、借間、同居、借家の暮らし。町人に多い職人たちは、長屋住まいがほとんどでした。
ばくち渡世の遊び人たちは、町の長屋に住むためには、大工とか魚屋と職業を詐称しなければ長屋に住めませんでしたし、傘張りの内職をする浪人とかを除いて、まっとうな町人以外は住めなかったのです。
自治制の江戸の町には、3人の世襲の最高の責任者、町年寄がいました。月番の名主から町触れが全名主に伝えられ、さらに地主に伝えられました。
地主は所有地に貸家を建て、表通りでは商人に土地を貸し、裏地には長屋を職人たちに貸していました。その差配人が家主、あるいは大家です。江戸の3人の町年寄は、居住地のほかに目抜きのところに町屋敷を賜り、その地代だけでもたいへんな収入があったようです。
「おれは江戸っ子だい」という江戸っ子は「山王権現、神田明神の氏子」「親子3代つづいて下町に生まれ住んだ者」「職人であること」「宵越しの銭を持てない日雇いの貧乏人」のことをいいました。おかたい商人はどうも江戸っ子などと呼ばれるのをいやがっていたようです。乱暴で、教養がなく、といって、やたらと粋がって人を見下したような言い方をする、これがどうも江戸っ子気質だったようです。
「講談社+α文庫」所収
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