ソープランドの前身、トルコ風呂とは<雑学倶楽部>



ソープランドの前身、トルコ風呂とは<雑学倶楽部>

その場がど~んともりあがる雑学の本
とにかく話をつなげたい雑学<第3章>

日本独特のSEXサービス業トルコ風呂がトルコ共和国からの苦情により、名称を改めることになりました。昭和59年(1984)のことで、業界の多くはソープランドという珍妙な和製英語名にして、営業内容までは改めませんでした。

そもそも日本のトルコ風呂は、前記よりちょうど33年前の昭和26年(1951)、東京・銀座の「東京温泉」に設けられたのが始まりで、それ以後「トルコ」を看板にする店が全国各地に広まりました。

ただし、本家のノーSEXをよそに、専門店のほうは個室でトルコ嬢と二人っきりなのを幸いに、健康増進を口実に特殊サービス(女性マッサージサービスも徐徐にエスカレ-トしていき、性的サービスになった)を競い出したのです。したがって、そうしたトルコと古来からのターキッシュ・バス(Turkish Bath)とは似て非なるもので、トルコ風呂と称しながら蒸気風呂はいつも「故障中」のところもありました。

じつは、日本式「トルコ」が急増したのは、売春防止法が施行された昭和33年(1958)3月31日からです。廃業させられた「赤線」の、いわゆる特殊飲食店の代用としてなのです。浅草の吉原や新宿など、旧「赤線」「青線」地区に多くありました。「赤線」「青線」やトルコ風呂についての詳細が知りたい人は、社団法人現代風俗研究会年報『現代風俗91』(1990年・リブロポート)の「特飲店発トルコ経由泡立て屋へ」をお読みください。

余談ですが、東京オリンピックのころ、外人さんへの手前、トルコ嬢によるスペシャルサービス自粛で当局に協力したのは東京都トルコ浴場協会で、会員店は「GTB」マークをかかげました。GTBとは「優良トルコバス」の略称とか。かつて全国一を誇った雄琴町(滋賀県大津市)の業者団体は、滋賀県特殊浴場協会と称し、トルコの3字は入っていません。

ところで、元「赤線」、いま「特殊浴場」街としてもっとも有名な吉原(現在の地名は東京都台東区千束4丁目)ですが、ここでは「ソープランド」という名称を使っていません。「コンパニオンクラブ」とか「バニークラブ」「トロピカルラウンジ」などと称し、かつてのトルコ嬢やミストルコはコンパニオンと呼ばれています。奉仕嬢とは、昭和39年(1964)の東京オリンピックにお目見えした職業名ですが、いまや姿も中身もすっかり変えて風俗業界に定着してしまったようです。

なぜ、吉原ではソープランドという名が用いられないのでしょうか。トルコ改称問題が起こったとき、ソープランドと名づけた業者団体に吉原の業者は入ってなかったからです。特殊浴場の某情報紙は、「る-とこ」と呼んでいました。現在の吉原では単に「おふろ」という人が多いようです。

「講談社+α文庫」所収

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