書籍名 | 日本で生きるクルド人 |
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著者名 | 鴇沢哲雄 |
出版社 | ぶなのもり(208p) |
発刊日 | 2019.08.01 |
希望小売価格 | 1,760円 |
書評日 | 2022.11.27 |
埼玉・東京・神奈川をつなぐ京浜東北線で、始発の大宮駅から東京方面の電車に乗ると浦和の先に蕨という駅がある。小生の実家の最寄り駅でときどき利用するのだが、東口へ出ると中東系のアジア人とよくすれ違う。その大多数が本書のテーマであるクルド人。そのほとんどがトルコ国籍を持ち、日本に約2000人滞在しているうち蕨駅周辺に約1500人が集まっているという。クルド人が住むアナトリア半島のつけ根はクルディスタン(クルド人の地)と呼ばれるが、そこから蕨駅周辺はワラビスタンと呼ばれることもある。
『日本で生きるクルド人』は、蕨駅周辺に住むクルド人を追ったドキュメント。著者の鴇沢(ときざわ)は元毎日新聞記者で2008年から川口通信部に赴任してクルド人を取材し、地方版に連載記事を書いた。この本は、その取材ノートをもとに書き下したもの。なお著者はその後退社し、現在はバルセロナに暮らしている。日本で暮らすクルド人の実態について記した、たぶん唯一の本だろう。
この本には何人ものクルド人が出てくる。まずはその一人、アリさんが日本に来た理由、そして来てからのことを紹介してみよう。
アリさんが一人で来日したのは1993年、17歳だった。来日したクルド人としては最初期に属する。トルコ政府はクルド人独立を目指す民族政党PKK(クルド労働者党)をテロ集団として弾圧しているが、アリさんの兄は別のクルド系政党DEPの党員で、こちらも政府により解散させられた。アリさんは「トルコに残っていたら逮捕されたかもしれない」危険を感じて単身、国外へ脱出した。日本へ来たのは、ヨーロッパ各国はビザ審査が厳しかったが日本は観光ビザで入国できたからだ。
当時、ネットに「日本へ行ったら蕨のマック(マクドナルド)へ行け」という書き込みがあり、そこで知り合ったクルド人に住む場所や仕事を紹介してもらった。仕事は造園関係や解体業。ところが5年後にオーバーステイで捕まり、収容中に難民申請をしたが却下された。2年以上収容された末に仮放免。難民不認定の取り消しを求め提訴したが、その最中に再び仮放免を取り消され1年間の収容。その後、日本国籍の妻と結婚したが、配偶者ビザはもらえなかった。現在は野田市に中古住宅を買ったが、ローンは奥さん名義。今も仮放免なので「明日どうなるかわからない」状態がつづいている。
以下、クルド人と日本の入国管理について、本書と「在日クルド人と共に 初の難民認定の意義と入管法の問題点」というパンフレットを基にまとめてみる。
クルド人は国を持たない世界最大の民族と言われる。人口は約3000万人。クルディスタンの地は第二次大戦後、英仏によって分割されトルコ、イラン、イラク、シリアに分かれた。クルド人は各国で少数民族として暮らしている。トルコではPKKがかつて独立を求めて武装闘争をおこない、トルコ政府はPKKをはじめとしてクルド民族を弾圧した。そのため1990年代からトルコ国籍のクルド人が国を逃れ来日しはじめたという。
彼らの多くは国際法上の「難民」に当たり、世界各国で難民申請したトルコ国籍クルド人の46%が難民認定を受けている。でも日本政府は「難民」の定義を極めて狭く解釈し、2018年だけでも563件のクルド人の申請があったが、これまで一人も難民として認定されてこなかった(今年、初めて一人が認定された)。先に紹介したアリさんもその一人だ。なぜ難民として認定されないのか。その背景を鴇沢は、「日本にとってトルコは友好国で、クルド人を難民として認めることはトルコ政府による政治的迫害を認めることを意味している」からだ、と記している。
難民として認定されず、オーバーステイで「不法滞在」となった外国人は入管の施設に収容される。収容はアリさんのように長期に渡ることもある。その待遇が非人道的なことは、昨年、スリランカ国籍のウィシュマさんが収容中に死亡した事件で明らかになった。収容の目的は、「いかなる名目があるにしろ、……肉体的にも精神的にも消耗させ、日本にいることをあきらめさせ、自主的に帰国させることだ」と鴇沢は書く。
収容者が一時的に収容を解かれる「仮放免」という制度がある。アリさんも二度収容され、二度「仮放免」されている。仮放免には「労働の禁止」「許可なく県外への移動の禁止」「月一回の入管への出頭」など厳しい制約がある。この条件に従えば、仮放免された人は自分でお金を稼げないから100%親族や友人、支援団体に依存しなければ暮らしていけない。長期にわたる仮放免でそれが不可能なことは、入管当局もよく知っているだろう。
実際、仮放免されたクルド人が収容される危険を承知で解体などの現場で働いていることは「公然の秘密」(鴇沢)だ。労働だけでなく、電車に15分乗って東京都内へ出かけるだけで違反となる仮放免の制度は、だから「いつでも拘束、収容できるんだぞ」という無言の脅迫になっている。ある仮放免中の人は、その状態を「生きながらの死(living death)」と表現している。
ところで、クルド人が多数住んでいるのは蕨駅東口だが、西口へ出るとまた少し様子が違う。西口には、2454戸の住民の過半数が中国人であることで話題になった芝園団地がある(ここについては団地に住むジャーナリスト大島隆の『芝園団地に住んでいます』<明石書店>に詳しい)。東口はケバブーの店やハラールの店がある程度でクルド色を感じないが、西口を降り巨大な団地へ行くと敷地内外に中国人向けの商店が並ぶ。蕨駅周辺は国際色豊かなのだ。もっとも、これには注釈が必要だ。クルド人が多く住むのは芝地区だが、ここも芝園団地も行政的には蕨市でなく川口市に属している。蕨駅は蕨市と川口市の境界近くにあり、ほんの数分も歩けば川口市になってしまう。
法務省が全国の自治体に住む在留外国人の数を発表している。それによると、いちばん多いのは東京都新宿区で43,985人(2018年)。次いで東京都江戸川区、三番目が川口市で36,407人。ベスト10に入っているのは川口市以外すべて東京と大阪の区部だから、市町村レベルでは川口は全国で最も在留外国人の多い自治体ということになる。それを国籍別に見ると中国(59%)を筆頭に、ベトナム(10%)、韓国(8%)、フィリピン(7%)、トルコ(3%)となっている(2019年)。これは川口市の数字で、蕨市は市域も人口も小さいから絶対数としては少ないが、割合で見ると、公立小中学校に通う外国人の比率は川口市より大きい。川口市と、隣接する蕨市はアジア人を中心とする全国有数の国際都市なのだ。
本書に戻ろう。アリさんは在日クルド人のいわば第一世代だが、今では小さいとき日本に来たり日本で生まれた第三世代も多い。その一人がメヒリバンさんだ。
彼女が、先に川口で暮らしていた両親の元へ来たのは6歳のときだった。小学校は、はじめ日本語が分からないので入学させてもらえなかったが、必死に勉強して2年生から小学校に入った。公立高校へも進学したが、先に希望が見えず中退。パニック障害も患った。その後、クルド人青年と結婚したが半年後の2017年10月、突然、入管から呼び出しがありそのまま収容された。収容は半年以上に及んだが、収容中に面会に訪れた著者に、メヒリバンさんはこう訴えている。「思い出がたくさんあるから日本にいる。80%以上(私は)日本人。実家は川口。家は日本。トルコには帰らない」。
メリヒバンさんのような第三世代のクルド人は、日本の生活や文化になじんでいる。日本語を覚えるのも早い。在日クルド人としてはじめて大学に進学したジランさんの場合、「クルド語は聞きとれるけど話せないので、母とはトルコ語。親同士はクルド語で話している。弟や妹は日本語しか使わない。だから兄弟では日本語」という状態だが、身分は家族全員が仮放免中。「自分は中身は日本人に近い。弟もそう。それなのに健康保険証もなく仕事もできない。これでは死ねと言われているのと同じ。どうやって生活していけばいいのか。頑張っている人にもう少し態度を変えるべきだと思うが、逆にいじめて、グローバル化といいながら何をしたいのかよくわからない」。
クルド人が経営するトルコ料理店「ハッピーケバブ」は蕨駅前にある。日曜日の午後、店は混んでいた。クルド青年の4人組。クルド青年と日本人女性のカップル。日本人のカップル。一人で黙々と食事する中年クルド人男性が何人か。店を切り盛りするのはもちろん全員がクルド人。小生にはトルコ語とクルド語の区別がつかないが、耳慣れない言葉が店を飛びかっている。その空気に、十数年前にニューヨークに滞在していたときの気分を思い出した。日本では家を出ても五感が緩んだまま動き回れるが、ニューヨークでは部屋を出た瞬間に無意識のうちに五感を緊張させアンテナを張り巡らせていた。その気分。ここは国際都市なんだ、と改めて思った。
芝園団地に住む大島隆は、先に紹介した本の末尾にこう書いている。「芝園団地は世界のいまであり、日本の近未来でもある」。この言葉は団地だけでなく、蕨駅周辺の川口・蕨地域に広げて、そのまま当てはめることができる。「川口・蕨は世界のいまであり、日本の近未来でもある」と。それが好むと好まざるとにかかわらずやってくる未来であるなら、私たち一人ひとりと国がこの近未来にどう向き合っていくのか。それが本書を読んだあとにやってくる問いになるだろう。(山崎幸雄)
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