Louis Armstrongー生誕120年 没50年に捧ぐ【外山喜雄・恵子】

Louis Armstrongー生誕120年 没50年に捧ぐ


書籍名 Louis Armstrongー生誕120年 没50年に捧ぐ
著者名 外山喜雄・恵子
出版社 冬青社(255p)
発刊日 2021.07.01
希望小売価格 1,980円
書評日 2021.09.18
Louis Armstrongー生誕120年 没50年に捧ぐ

「ジヤズの王様」と呼ばれてきたルイ・アームストロング(サッチモ)は1901年8月4日にニューオルリンズで生まれ、1971年7月6日ニューヨークで死去した。本書はその69年の人生を辿る「サッチモの解説本」であるとともに、著者の外山喜雄・恵子夫妻自身のジャズ人生の記録である。

サッチモの人生はジャズの歴史の原点であったし、アメリカの人種差別の歴史そのものであったと言える。それを象徴するようなエピソードが紹介されている。

「シカゴなどで人気を博していたサッチモが1931年にニューオリンズに里帰りして開催されたコンサートはラジオ実況されていたが、白人アナウンサーは困惑し、迷った挙句に『皆さん、私はニガーの紹介は出来ません』とサッチモの紹介を拒否した」

70年後の2001年、そのニューオリンズの空港が「ルイ・アームストロング・ニューオリンズ国際空港」と改名された。多様性を許容する方向に確実に進んだものの、まだまだ人種差別の壁は厚いのは周知の通りであるが、こうした時代背景を頭に置いて、サッチモの人生とジャズを考えてみようという一冊である。

著者の外山喜雄・恵子夫妻は早稲田大学のニューオルリンズジャズクラブで同時期に活動し、趣味としてのジャズに没頭していた。卒業後会社勤めをしたものの、一年で退職し、結婚とともに二人でニューオリンズにジャズの武者修行に出ると言う決断をしている。ほぼ同世代(私が4年下)の私から見てもいささか無謀と言わざるを得ないが、そうしたジャズ好きが高じてプロの道を歩み、現在も活躍している二人を見ていると、そのブレない人生を突き進むエネルギーは素晴らしいことだ。加えて、サッチモの映像や音源を集め、国内外の関係者との対話等も積み上げて、客観的にサッチモを描いている点も本書の特徴である。

本書は第一章から第五章に分かれ、サッチモのジャズ人生、演奏と歌唱、レコード、映像の記録、とともに外山夫妻のジャズ演奏歴や日本ルイ・アームストロング協会の活動などを紹介している。

外山は120年のジャズの歴史を、デキシー、スイング、ビーバップ、モダンジャズそしてフュージョンといった変化の流れとして捉えている。その「変化」を外山は「進歩」という言葉で表現している点が興味深い。「進歩」というと優劣が有る様に聞こえてしまうので違和感を覚えるが、このあたりの感覚はもう少し著者の思いを聞いてみたいところである。そうは言っても、ニューオリンズとサッチモを抜きにジャズの歴史を語ることは出来ないという考えを「ジャズを言語に例えると、ABCはニューオリンズの街とサッチモが作った」と説明し、マイルス・デビスの「もしルイがいなかったら、私は何も出来なかったと思うね。ラッパを吹いたら必ずルイがやった何かが出て来る。そんな具合なのさ」という言葉を紹介している。しかし、そうした外山の想いと異なる人達が居るのも事実で「若いジャズプレーヤー達にあこがれのジャズマンを尋ねると、マイルス、コルトレーン、パーカー、・・ロリンズ、ベイシー、エリントン・・ちょっと待った。一番大切な誰かを忘れていないだろうかと叫びたくなる」と外山の気持ちを素直に表現している。

サッチモの歌(Vocal)についても多くを語っている。「ハロードーリー」(1964)や「この素晴らしき世界(What’s a Wonderful World)」(1967)が代表曲だが、特にレコード会社の反対の中、ボブ・シールがプロデュースした「この素晴らしき世界」は発売後すぐにイギリスのヒットチャートで一位になったものの、反戦的なこの歌はアメリカではすぐにはヒットしなかった。後にボブ・シールは「60年代後半のアメリカはケネディ暗殺、ベトナム戦争、人種間の争いなど、いたるところで混乱していた・・・・人々がお互いに愛と思いやりを持てば世界はワンダフルワールドになる。それは世界で彼(サッチモ)にしか出来ないことだと思った」と語っている。そして、1967年のテキサス州の米軍基地で明日にでもベトナムに出兵する迷彩服の兵士たちに向かって、ルイ・アームストロング オールスターズが「この素晴らしき世界」を演奏する映像には当時のアメリカの苦悩が集約されているようだ。しかし、サッチモの死後16年目の1987年に公開された映画「グッドモーニング ベトナム」の主題歌として使われたことにより大ヒットとなった。外山の言葉を借りれば「早すぎた遺言状」ということかもしれない。

1971年のサッチモの葬儀の様子を丁寧に描写している。その時、夫妻は5年間のジャズ武者修行でニューオリンズに滞在しており、まさにその場に立ち会っている。ニューオリンズで行われたサッチモの葬儀は伝統的な黒人の葬儀として行われた。ジャズは宗教とともにありと言われる様に、多くのブラスバンドが集まり讃美歌を演奏し、「黒い大群衆」は行進をした。天に召されることへの祝福とともに、人種差別のもとでの「生の悩みや苦しみ」からの解放を祝っての行進である。人々が持つプラカードに書かれていた「サッチモの精神は永遠に(Satchmo’s Spirit Lives On Forever)」という言葉が外山のジャズ人生の根底に流れているのもそうした体験によるところも大きいのだろう。

ルイ・アームストロング秘話と題して、多くのエピソードが紹介されている。1956年のバーンスタイン指揮のニューヨークフィルとの共演、美空ひばりとの交流、1932年の初めてのヨーロッパツアーの時、イギリスのジョージ五世からトランペットをプレゼントされた話、スキャットの誕生秘話、ローマ法王との会話など一つ一つ面白く読める。

そして、サッチモとディズニーと外山を繋ぐエピソードが大きな鍵だと思う。サッチモは数多くのディズニーの名曲を歌い吹いているが、1960年からロスのディズニーランドの「Dixieland at Disneyland」というイベントに出演しており、「サッチモはジャズの王様であるとともに、ウォルト・ディズニーの魔法の王国の王様になった」と評価されていた。一方、外山は1983年から23年間にわたって東京ディズニーランドのレギュラーバンドだったが、「ステージは演技にはじまる」というショービジネスの考え方が徹底されたという。そしてサッチモを始めとした多くのジャズミュージシャンの演奏映像を見直して、「演技」と「演奏」の連携を再認識し、それによりサッチモの世界をより理解が進んだとのこと。エンターテイメントの本質を示された思いだ。

外山夫妻が1998年に日本ルイ・アームストロング協会を立上げて、サッチモの音楽や映像を楽しむだけでなく、その精神を伝えて行く活動を目指した。その一つが「銃に代えて楽器を」の実現だろう。貧しいニューオリンズの子供達に楽器を送ることに始まり、2005年のハリケーンカトリーナで被害を受けたニューオリンズのミュージシャン救援の募金活動を行っているのもサッチモだったらという思考の為せる業なのではないか。そして2021年の東日本大震災で被災した子供達・学生にニューオリンズのライブハウスを運営する団体から楽器が贈られたのも、外山夫妻が核になって実現できたことは間違いない。そんなサッチモ漬けの二人を現在に導いて来たサッチモという存在の大きさにまた一つ気付かされる一冊である。(内池正名)

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