甘粕正彦 乱心の廣野ほか【佐野眞一】

甘粕正彦 乱心の廣野ほか


書籍名 甘粕正彦 乱心の廣野ほか
著者名 佐野眞一
出版社 新潮社(480p)
発刊日 2008.05.30
希望小売価格 1,995円
書評日等 -
甘粕正彦 乱心の廣野ほか

今いちばん脂がのっているノンフィクション作家・佐野眞一の分厚い新作が2冊、たてつづけに出版された。この2冊、佐野によれば互いに補いあう関係にある。彼はこう言っている。「日本の戦後社会を透視するため、満州という『時間軸』と、沖縄という『空間軸』を立てる。そしてその二つの軸がクロスしたところに結ばれた像こそ、われわれがいま暮らす日本列島の掛け値なしの姿ではないか。この仮説に、私はかなり前からとらわれていた」

  「甘粕正彦 乱心の廣野」 満州と沖縄。満州は大日本帝国が中国東北部につくった傀儡国家で、そこでの国家的な実験と人脈は戦後日本に陰に陽に引き継がれた。沖縄は戦後、日本から切 り離され、1972年に返還されるまで米軍統治がつづいた。どちらも、日本本土から見えにくい場所であり、それだけに、日本社会から排除されたさまざまな 夢の残骸が埋めこまれている。

佐野がその仮説に従って「満州という『時間軸』」をテーマとした第1弾が『阿片王 満州の夜と霧』(2005)だった。これは満州国の隠れ財源だった阿片、というより満州侵略そのものが阿片獲得のための「阿片戦争」だったともいえる歴史の裏側で、密売の総元締めとして巨大な利権を操った男・里見甫に焦点 を当てた、めっぽう面白い読み物だった。

『甘粕正彦 乱心の廣野』は、それにつづく「満州という『時間軸』」検証の第2弾に当たる。

甘粕正彦といえば、近代日本史を暗く彩る最高のヒールのひとりと言っていいだろう。憲兵大尉だった甘粕は関東大震災の混乱のさなか、アナーキスト・大杉 栄、彼と同棲していた伊藤野枝、甥の少年の3人を惨殺した。服役した後、満州に姿を現した甘粕は関東軍と連動して謀略工作に従事し、また満映(満州映画協 会)理事長として絶大な権力をふるった。

教科書ふうに言えばそう要約される甘粕の生涯を、残された資料と関係者へのインタビューから辿ってみせたのが『甘粕正彦 乱心の廣野』である。

甘粕は本当に大杉栄ら3人を殺したのか? この本を手に取る誰もが最初に持つ疑問だろう。

実際、事件直後から大杉殺害は陸軍上層部が主導したもので、甘粕はその罪をひとりかぶったのではないかと囁かれていた。

佐野も戦後に発見された「死因鑑定書」などを検証しながら、激しい暴行を加えられたとする「鑑定書」と、甘粕が軍法会議で述べた絞殺という殺害方法の矛盾から、実際に大杉らを殺害したのは甘粕の指揮下にない東京憲兵隊の3人の憲兵だったと結論している。

甘粕は「過剰なまでの正義感」を持ち、「どこまでも組織の規律に殉じた男」だった。武士の血を引く家系に生まれた彼が沈黙のうちに罪を背負った決断が、満州に渡った後の後半生で、彼に接した人々に曰く言いがたい畏怖と恐怖の印象を与えることになる。佐野は、満州国を支配した高官のひとり星野直樹のこんな文章を紹介している。

「いわば甘粕氏は、陸軍の名誉を救った恩人であった。こんなわけで、その後、陸軍部内において、甘粕氏は特殊な力をもって」いた、と。

甘粕が満州へ渡ったのは、軍部と密接に結びついた右翼・大川周明の手引きによるらしい。そこで甘粕は「内藤機関」と呼ばれる組織をつくり、関東軍の別働隊として謀略工作に従事した。

そのひとつは、満州事変を拡大することを狙ってハルビンの日本総領事館に爆弾を投げ込んだ破壊工作。この事件を口実に関東軍は北満に出兵し、狙いどおり戦線を拡大することに成功した。

もうひとつは、満州国をでっちあげるために、逼塞していた清朝のラスト・エンペラー溥儀を脱出させる工作に一役買ったこと。溥儀は脱出に同行した甘粕に強い印象を受けたらしく、後に彼を側近に起用しようとしたこともある。

「満州の昼は関東軍が支配し、夜は甘粕が支配する」と言われたのは、このころのことだろう。中国人労働者の口入れ屋と鉱山採掘権を資金源として、湯水のように金を使ったけれど、児玉誉士男のように金を私的にねこばばすることは一切なかったらしい。

甘粕が満映理事長になったのは放漫経営で傾いた国策映画会社・満映を立て直すためで、「超合理主義者」甘粕の抜群の実務能力が買われたのだった。

もっとも彼は無駄をはぶき人員を整理する一方、退職者に職を斡旋し、中国人社員の俸給は逆に引き上げ、国策映画より娯楽映画に重点をおくなど、ただのコス ト・カッター、実務家ではなかった。やる気さえあれば、本土にいづらくて逃げてきた右翼も左翼も受け入れ、満映は「一種のアジール」「(甘粕の)理想を実 現する小さな王国」となった。

この本に登場する多彩な登場人物のなかで、評者が会ったことのある人物がひとりだけいる。『遊侠一匹』『明治侠客伝 三代目襲名』など東映股旅・任侠映画の傑作をつくった映画監督の加藤泰。

もともと東映は、戦後に満州から引き揚げた内田吐夢や加藤ら満映の残党が流れ込んだ映画会社だった。

小生が雑誌記者をしていたころ、チャンバラ映画を撮影中の加藤泰に話を聞いたことがある。カーキ色の作業帽と作業服でカメラ脇に座った加藤は撮影現場でい ちばん目立たない存在でありながら、その折り目正しい職人が発する空気で無言のうちに現場に君臨していた。そんな加藤の気配と、彼の映画に満ちている憤怒 と抒情のただならぬ激しさは、いま思えばあれが満州と満映の遙かに戦後に伝えられた匂いだったのか。

大ばくち 身ぐるみぬいで すってんてん

ソ連軍侵攻の直後に服毒して果てた甘粕の辞世の句だそうだ。大杉殺害の汚名を自ら背負った男の高笑い。武士の末裔を誇った謹厳実直なだけの男の句ではない。

天皇絶対主義者。組織の規律に殉じた男。正義漢。謀略を趣味とした闇の帝王。仁義に厚く私欲のない男。超合理主義者。お洒落で几帳面なスタイリスト。腹の底で何を考えているのか分からない男。酒乱。

互いに矛盾する形容で語られた甘粕正彦という複雑怪奇な人間が、どのような歴史のねじれのなかから生まれてきたかを浮かび上がらせて間然するところがない。

「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」 『甘粕正彦 乱心の廣野』が甘粕というひとりの男に焦点を当てた完成度の高い作品だとしたら、『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』はいくつものテーマを取り上げ、多くの関係者へのインタビューから沖縄の裏の戦後史を多角的に語ろうと試みたスケッチになっている。

この本で取り上げられた素材をいくつか紹介してみよう。

沖縄県警と米軍の公安組織が絡み合った対日・対米・対左翼スパイ戦。 米軍物資略奪グループと空手道場の不良グループが対立した沖縄の「仁義なき戦い」抗争史。 与那国島の密貿易史。 國場組、大城組、オリオンビールなどの地元企業を創業した「沖縄四天王」列伝。 陰の「沖縄の帝王」軍用地主。 沖縄女傑伝。

こんなふうに項目を上げただけでも、ふだん目にする沖縄についての本やテレビ番組とはだいぶん趣がちがうことが分かるだろう。

この本を書いた動機について、佐野はこう説明している。

「沖縄についてはこれまで夥しい数の本が書かれてきた。だが私から言わせれば、ほとんどが“被害者意識”に隈取られた“大文字”言葉で書かれており、目の前の現実との激しい落差に強い違和感をおぼえる」

「そこには、沖縄の歴史を1945年6月23日の沖縄戦終結の時点に固定化させ、この島にその後六十年以上の歳月が流れたことをあえて無視しようとする欺瞞と、それにともなう精神の弛緩が垣間見えるからである」

佐野の言葉の当否はさておき、ここで彼が「大文字」と言っているのは、「戦争の惨禍」や「基地の現実」といった、まぎれもない事実でありながら繰り返し常套句で語ることによって紋切り型と化し、その結果、否応なく言葉にまとわりついてくるうさんくささを指している。

それに対して、佐野は自分は「小文字」で沖縄を語りたいと言う。「小文字」とは、具体的には関係者へのインタビューを通じてにひとりひとりの個人的視線と体験の集積によって歴史を語る、ということだろう。

これは『甘粕正彦』でも佐野が採用したノンフィクションの王道だけれど、『沖縄』ではそれがより効果的に用いられている。多彩な登場人物が本来のテーマ から横道にそれつつ語る体験の数々が乱反射して、沖縄の戦後史を巡って粗っぽいけど魅力ある万華鏡のような一冊になった。

そのなかで特に印象に残ったことを一、二、挙げてみよう。

例えば対立する暴力団の組長をナイトクラブで射殺したヒットマンへのインタビューがある。彼は刑期を勤めた後、いまは観光漁師として生計を立てている。

終戦直後、米軍のフィリピン人軍属だった父が沖縄人の母を強姦して生まれた彼は、父が沖縄を去った後、極貧のなかで成長した。「フィリピーナー」と呼ば れ差別されたが成績は良く、学校のトップクラスだった。貧しさから高校をあきらめた彼は、中学を卒業して採石現場で働き、19歳でヤクザ稼業に足を踏み入れる。

佐野から父のことを尋ねられた彼はこう答えている。

「いまは憎しみはないですね。いまは、自分がこうして存在しているのは、父があってくれたからであって、まあ、いかがわしいことであろうが、レイプであろうがなんだろうが、僕をこの世に存在させてくれたのは父だったと思っていますので、憎いとは思っていないですね。人間の悲しさとか愚かさとか、負の部分を人間は持ち合わせているじゃないですか。そのことに対する理解ができる年齢に達したんでしょうね」

彼の語る半生は、そのまま沖縄の戦後史に重なってくる。このヒットマンの語りは、佐野の言う「小文字」の見本のようなものだろう。

もうひとつ、小生が知らなかったのは沖縄と奄美大島の複雑な関係についてだった。

米軍の占領下、貧しかった奄美からは多数の奄美人が基地建設景気に湧く沖縄本島へ出稼ぎに来た。でもアメリカが沖縄に先立って奄美を日本に返還したことで、沖縄と奄美の往来は閉ざされた。沖縄に残された奄美人には「外国人登録」が義務づけられ、公職追放、参政権剥奪、土地所有権剥奪、融資の制限など基本的人権が制限された。また民間でも、職場を追われるなどさまざまな差別があった。

「沖縄人にとって奄美の本土復帰は厄介者払いのできる絶好のチャンスだったんです。いま沖縄には奄美出身者が5万人いるといわれていますが、自分から奄美出身者だと名乗る人は、めったにいません」

これは沖縄に住む奄美人の言葉だ。沖縄本島人による八重山諸島人への差別については、これまでにも何度か聞いたことがある。でも沖縄による奄美差別は不勉強にして知らなかった。差別を受けている者が差別を再生産する。しかも沖縄が「本土(となった奄美)」を差別するという倒錯した関係に悲しみを覚える。

正直に言えば、『甘粕』と『沖縄』の2冊には、どちらも表現の足らないところや粗っぽい断定がそこここにある。ちょっと一方的な見方じゃないの? 思い込み過剰じゃないの? と思う部分もある。

でもその粗っぽい力技によって初めて満州と沖縄の「見えない部分」が可視化されたことも確かだ。それが、いま僕たちが住む日本の陰画であることもまたまぎれもない。(雄)

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