書籍名 | 松本清張の「遺言」 |
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著者名 | 原 武史 |
出版社 | 文春新書(266p) |
発刊日 | 2009.06.20 |
希望小売価格 | 840円 |
書評日等 | - |
サブタイトルは「『神々の乱心』を読み解く」。『神々の乱心』とは、1992年に亡くなった松本清張の遺作を指す。「満州国」建国直後の昭和を舞台に、ひとりの女官の自殺をきっかけに宮中をめぐる陰謀が明らかになる、大胆にして野心的なミステリーだ。ただ残念なことに、未完に終わっている。著者の原武史は『大正天皇』(朝日選書)、『昭和天皇』(岩波新書)が話題になった政治思想史を専門とする気鋭の学者であるとともに、鉄道マニアとしても知られる。松本清張の鉄道ミステリーの編者にもなっているから、本業でも趣味でも清張ワールドと重なるわけで、「読み解く」のにこれ以上の適材はいない。
だから本書を楽しむには、まず『神々の乱心(上下)』(文春文庫)を読まなきゃならない。なにしろ原は清張が書かなかったことを推理してみせるだけでなく、三つの選択肢を挙げて清張が書けなかった結末までつけてくれるんだから。
もっとも、読まなきゃ「ならない」どころか、読み出したら止まらない。数十年ぶりに松本清張を堪能してしまった。小生が清張を耽読したのは高校時代。『点と線』に始まり『ゼロの焦点』『砂の器』といった当時のベストセラーをむさぼるように読んだ記憶がある。
最晩年に書かれた『神々の乱心』では、さすがにその時代に清張を清張たらしめていた、登場人物の心理の襞に分け入った緻密な描写は薄れている。でも、豊富な資料にもとづいていることを想像させる文章と、資料と資料の間で登場人物を手際よく動かす手法は、その後、ノンフィクション的な作品を手がけるなかで完成させたスタイルなんだろう。
松本清張が昭和史に興味をもち、膨大な資料を集めて『昭和史発掘』(全9巻)を書いたことはよく知られている。『昭和史発掘』は2.26事件に大きなページが割かれているが、清張はこの事件を調べながら「ほぼ同時期に宮中を揺るがす大きな事件が起きていたことに気づいた」のだろうと原は考える。そこから20年以上も構想を温め、晩年の清張は史実の上に想像力を働かせて、この「フィクションとノンフィクションを融合させたような小説」を書いた。
原は『神々の乱心』のなかから、まず小説の舞台となった5つの場所を取り出してみせる。「皇居」「秩父」「吉野」「足利」、そして「満州」。これらの場所が意味するものを解読しながら、原は清張が何を意図し何を描こうとしたのかをあぶりだしてゆく。
「皇居」は、小説の核心となる場所だ。清張は『昭和史発掘』のなかで「島津ハル事件」に触れている。貞明皇后(昭和天皇の母)に仕える女官長だった島津ハルが神政龍神会という神道系の新興宗教に近づいた事件だ。不敬罪で逮捕された島津は、取り調べのなかで「昭和天皇は早晩死ぬ。自分たちは高松宮を擁立する」と予言したという。
一方、島津が仕えた貞明皇后は、夫である大正天皇の病が重くなるにつれ、東京帝大教授で法学者の筧(かけい)克彦が唱えた「神(かん)ながらの道」に心酔していった。彼女は、皇太子時代の訪欧でヨーロッパ風に染まり宮中祭祀に熱心でなかった昭和天皇に「神罰あるべし」とまで言っている。
そんなふうに宮中に新興宗教が入り込んだ事実を背景に、『神々の乱心』では島津ハルを思わせる深町女官と、その下で働く若い女官が設定されている。若い女官は深町の使いで月辰会という新興宗教団体に「御霊示」を受け取りに行く。その帰り道で特高刑事に呼び止められ、「御霊示」を見られそうになって自殺してしまうのが事件の発端となる。
「皇居」に次ぐ「秩父」は、小説のなかに直に登場する場所ではない。秩父に縁の深いところから「秩父宮」と名づけられた昭和天皇の弟を指している。秩父宮は貞明皇后に溺愛されていた。『神々の乱心』にも「秩父宮がご機嫌伺いに行かれると、大宮さま(注・貞明皇后)は『淳宮ちゃん(注・秩父宮の幼名)、淳宮ちゃん』と大はしゃぎで歓待される」という描写が出てくる。
秩父宮は2.26事件を起こした皇道派の青年将校と親しかった。実際、事件の報を受けた秩父宮は直ちに赴任先である弘前の歩兵第31連隊から上京し、皇居に入っている。反乱青年将校グループが秩父宮を擁立するとの噂もあった。
「貞明皇后は昭和天皇の実母ですが……、昭和天皇との仲は、うまくいっていなかった。その反面、次男の秩父宮を可愛がっていたのです。これはまさに『神々の乱心』全編を貫くひとつの大きなモチーフになっています」
小説のなかでは、自殺した若い女官が命に代えて守ろうとした「御霊示」の内容については書かれていない。でも原は以上の要素を考えあわせて、「御霊示」に書かれていたのは「決起、昭和天皇の否定」という「大陰謀」だったのではないかと推理している。
「秩父」にはもうひとつの意味がある。深町女官が出入りする新興宗教団体・月辰会の本部は、秩父のある埼玉県に設定されている。埼玉県を流れる荒川流域にはスサノオを祀る氷川神社が集中している。さいたま市浦和には、「月読(ツクヨミ)社」とも呼ばれた調(つき)神社がある。スサノオとツクヨミはアマテラスの弟で出雲系の神と呼ばれ、『日本書紀』にはスサノオの子孫オオクニヌシがアマテラス系の神々と争い、敗れて「国譲り」をしたと記されている。
月辰会は祭神としてツクヨミを祀っている。清張が月辰会を埼玉に置いたのは、そうした地域性と神話的背景を踏まえている。だから伊勢系の神であるアマテラスに対する出雲系のスサノオ・ツクヨミの反乱という神話の姉弟抗争が、小説のなかで昭和天皇と秩父宮の兄弟争いに重なってくるのだ。物語はそんなふうに、「アンチ天皇となる神を信奉する教団が宮中に食い込んでいくという構図」で進んでゆく。
自殺した若い女官は、第3の場所・吉野にある神社の出身と設定されている。吉野は南北朝時代に南朝の根拠地だった。第4の場所「足利」も南北朝と絡み、原は「少なくとも当初は、南朝(復興)を絡ませるという大胆なストーリー構想があったのかもしれません」と述べている。それが放棄されたのは昭和天皇と秩父宮という「北朝系同士の対立を鮮明にするためだったのではないか」とも。
小説の後半、物語は時間を遡って第5の場所・満州を中心に展開される。月辰会の代表になる男が、満洲のシャーマニズム系宗教である道院に接触し、シャーマンの女性を引き込んで(このあたりの描写は清張の面目躍如)月辰会をでっちあげる。男は元関東軍に属し、関東軍の闇の資金源である阿片にも絡んでいた。その過去を巡って、3つの殺人事件が起こる。
そんなふうに、『神々の乱心』は神話と昭和史、満洲と皇居を結んだ壮大なミステリーとして構想されている。病に倒れる直前、清張は担当編集者に、あと10回あれば連載は完結すると告げていた。清張があと数カ月元気でいたら、この未完の長編はどんな結末を迎えたのか。冒頭に書いたように原は3つの可能性を推理しているけれど、ここでそれに触れるのはやめよう。
ところで原は、戦後の宮中にも新興宗教が入り込んでいたことを明らかにしている。1970年代まで宮中にいて「魔女」と呼ばれた女官・今城誼子(いまきよしこ)で、彼女は「真の道」という宗教団体に出入りしていたという。彼女は昭和天皇の逆鱗に触れて罷免された。
「魔女」のことが記された『入江相政日記』が刊行されたのは『神々の乱心』連載と同時期だったから、清張がこれを読んでいたかどうかははっきり分からない。でも原は、『神々の乱心』を「昭和後期の皇室をも射程に入れた、スケールの大きな物語ではないか」と評価している。
大正天皇の病気をきっかけに貞明皇后の神がかりが始まり、宮中でシャーマニズム的世界が本格的に復活した。とすると、近代天皇制は古代天皇制とのつながりより、もっと原始的なシャーマニズムとの関連を考える必要があるのかもしれない。そして清張はそこまで目が届いていた、と原は考えている。
結論はこうだ。「松本清張を単なる国民的大作家として見るのではなく、いまなお解明されない天皇制の深層を見据えようとしたスケールの大きな思想家として見ることが必要だと思うのです」
この本に関係する原の著書『<出雲>という思想』(講談社学術文庫)や『大正天皇』『昭和天皇』(どれも読んでいて興奮する)は普通の読者を想定した一般書とはいえ、学問的な厳密さに支えられていた。それに比べると本書は語り下ろし、しかも対象がミステリーということもあって、原も学者であることを離れ奔放に論を展開させている。そこが面白い。
『バカの壁』以来定着した語り下ろし形式の新書というやつ、中身が薄く読んで損をしたと思うものが多いけれど、こういう効用もあったのか。(雄)
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