書籍名 | 『諸君!』『正論』の研究 |
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著者名 | 上丸洋一 |
出版社 | 岩波書店(448p) |
発刊日 | 2011.06.29 |
希望小売価格 | 2,940円 |
書評日 | 2011.09.13 |
著者上丸洋一は朝日新聞の編集委員。朝日のオピニオン誌「論座」の編集長経験者だ。もし「論座」の編集長を経験していなかったら本書に着手することはなかったと言っていることからわかる通り、2年半に渡る「論座」編集長時代に体験した「諸君!」「正論」との確執が色濃く投影されている一冊。冷静な文章からの説得力や納得感が得られる反面、挑発に乗ったかのようないささか感情的な文章も散見されるのは計算づくだろう。
題材となっている「諸君!」は文芸春秋社から1969年に、「正論」はサンケイ出版社から1973年に創刊された月刊誌であり、一方「論座」は「月刊Asahi」の後継誌として1995年に創刊されている。二元論的にいえば「右派対左派」「保守対リベラル」などレッテルの貼り方はいろいろあるのだろうが、「諸君・正論」の研究というタイトルではあるものの、両誌を発表の場としていた「保守の論客たち」に対する「朝日」という構図が本書の狙いである。
俎上に上がっている論点は、「日本の核武装」「東京裁判史観」「靖国神社へのA級戦犯合祀問題」「天皇の戦争責任」「北朝鮮拉致問題」など終戦直後から長く議論されてきた問題とともに今日的な視点からの後発事象も取り上げている。「諸君!」と「論座」両誌の存在した時間軸だけではなく、まさに本書の副題である「戦後の保守言論の変質」を問うている。
「諸君!」や「正論」が創刊される以前は「文芸春秋」「中央公論」「世界」などの月刊総合誌が、日本の中産知識層向けに確たるポジションを得ていた時代が長くあった。特に、終戦後から1960年代にかけての四半世紀は週刊誌文化も未成熟で、TVにしてもまだまだ娯楽的要素が強かったこともありメディアの柱は新聞と月刊誌だったと思う。
その頃の生活環境を振り返ってみても、評者の父はポツダム中尉で復員してきた銀行員。我が家の茶の間には「世界」「文芸春秋」という常連雑誌に加えて「漫画読本」(文春刊)などが時々転がっていると思えば、新聞は「朝日」と「読売」で、「右も左も」「硬も軟も」ごちゃまぜの状態で敗戦という大転換から人々がゆっくりと生活を取り戻していた時代。そして、1960年代も半ばになると世の中が騒然としはじめたというのがわれわれ団塊の世代としての実感。
こうした、歴史の流れを映しつつ両誌の創刊経緯を冒頭の章で取り上げている。「諸君!」は文芸春秋の当時社長であった池島信平の肝いりで創刊されたものだが、70年安保を目前にした1968年に発足した日本文化会議がベースとなって、田中美知太郎、林健太郎、伊藤整、小林秀雄、福田恆存、三島由紀夫、阿川弘之、中根千枝、などがメンバーとなって設立されている。
この日本文化会議の機関誌を作るという提案を池島がしたものの、「思想の如何を問わず特定外部団体の機関誌を出すことは編集の自由と独立を放棄するものである」との文春社内の反対に遭い、結果としてオピニオン雑誌「諸君!」として創刊されることになった。この経緯は「諸君!」という雑誌の成り立つ基盤として理解されておくべき点だと思う。
一方、「正論」についての上丸の指摘はサンケイ・グループの体質を知る上で面白い。
「産経新聞社には社史がない。・・・縮刷版もない。従って、この新聞社の歴史をたどるのは少々骨が折れる。『歴史の証言者』たる新聞社が、それも1933年の創立以来、70年以上の歴史を持つ新聞社がなぜ社史を出さないのか。忖度するに、鹿内とそのファミリーの位置づけが難しく、出すに出せないのかもしれない。・・・・・」
鹿内はジャーナリスト以前に経営者として日経連で目立つ活動をしていたこと、産経新聞紙面を個人の自己顕示欲に使っているといったところに「産経新聞」や「正論」の体質を見ているようだ。要すれば個人的に鹿内信隆が嫌いなのだろう。
こうした「諸君!」「正論」の創刊経緯が本書全体の大きな伏線として述べられている。
「日本核武装論」の清水幾太郎についての掘り下げは興味ある分析だ。清水が活動の立脚点とした各メディアはその時代においてわが国で超一流の場であった。
「・・・清水幾太郎は東大文学部社会学科卒、敗戦前は、朝日新聞の嘱託として学芸面のコラムを担当、1941年から終戦まで読売新聞の論説委員を務めた。・・・当時は戦争協力的な論説を書いており思想の科学研究会の『転向』研究の対象になっている。・・・・戦後の1946年に丸山真男らとともに二十世紀研究所を設立。50年代は雑誌『世界』に拠る進歩派知識人のグループ『平和問題懇話会』の一員として全面講和・非武装中立を主張した。・・・60年安保では反対運動を言論でリードした。・・・・『世界』1960年5月号に掲載された『いまこそ国会へ----請願のすすめ』である。・・・そして、『諸君!』1980年7月号にあの『核の選択』が掲載された・・・」
戦争中から清水幾太郎はマスコミの寵児の一人として陽があたっていたのは事実だ。朝日新聞嘱託、読売新聞論説委員、戦後の「世界」、そして「諸君!」をベースとして執筆してきたわけだ。しかし、彼ほど思想が変節した人物も珍しい。1980年の「諸君!」掲載の「核の選択」という漬水の日本核武装論は極めてセンセーショナルに迎えられた。
上丸の指摘の通り、遡ること約10年前に石原慎太郎が「非核の神話は消えた」という論文を同じ「諸君」に掲載したもののマスコミのリアクションは冷ややかだった。要は、石原が核武装を唱えても大きな反響を呼ばないが、清水の「核の選択」が反響を呼んだのは、その「論」にリアクトしたのではなく、「いまこそ国会へ・・請願のすすめ」を「世界」に書いたあの非武装論者の清水が日本核武装論を展開したからだと考えるしかない。この状況は、本人だけでなく、清水幾太郎というブランドを支援・確立してきたメディアや論壇の責任もあるのだろうと思う。
読み終えてみると、「言葉が明らかに劣化しているタイトル」が乱発されていた「諸君!」への批判書としての重心が主にあると思うが、「正論」もその俎上に上げることで保守言論としての範囲が広く検討されることになったのは正解だったと思う。それだけに、膨大な資料の読み込みと分析には圧倒される。しかし、読んでいてどこか虚しさが残ったのは、ここで取り上げられている雑誌や掲載された論文を同時代的に通読していないことにある。「文芸春秋」「世界」「中央公論」「諸君!」「正論」「産経新聞」「朝日新聞」「論座」などを一般人が読み比べることは不可能だ。それ以前に、私の周りで「産経新聞」と「朝日新聞」両紙を併読している人すら居ないと思う。それだけに、この上丸研究と同一領域を違う視点から研究してみたらどうなるのかという興味はある。
二点目として、「保守」と総称して語る難しさである。本書でも紹介されている鈴木成高は「自由主義が平等を貴び、保守主義が不平等を肯定するのは、本当は『思想』の相違というものではない。自由主義が進歩的で、保守主義が反動的な思想であるというのではない。実は、それは自由主義が思想を貴び、保守主義が事実を貴ぶというところから起こってきた、一つの結果に他ならない。・・・」と定義している。これを是とするならば二元論的に「多様な保守」を語る限界もありそうだ。
三点目は、「諸君!」と「論壇」という二つの雑誌メデイアを同一次元で比較できるのかという点である。メディア装置としては出版社系メデイアと新聞社系メディアは明らかに異質だ。雑誌系メディアはいわばお茶屋で、そこに集う人達に場を貸している。従って、その発信の場に集う人たちを例えば「岩波文化人」という漠たる概念の集合で語ることは出来る。一方、「朝日文化人」という概念はあまり聞いたことはない。メディア論も本書の問題提起を契機として深化すると面白い。(正)
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