書籍名 | 超・格差社会アメリカの真実 |
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著者名 | 小林由美 |
出版社 | 文春文庫(352p) |
発刊日 | 2009.02.10 |
希望小売価格 | 720円 |
書評日等 | - |
昨年から一昨年にかけて、アメリカに1年間滞在していた。ひとりでニューヨークのブルックリンにアパートを借り、午前中は地下鉄に乗ってマンハッタンの語学学校に通い、午後はビレッジやチャイナタウンなど町のあちこちをほっつき歩き、暗くなるとスーパーで食材を買ってアパートに帰り自炊することが多かった。そんなふうに旅行者としてでなく日常生活を送っていると、生まれ育った国(日本)の常識や、無意識に前提としていることが通用しない小さな出来事にしばしばぶつかる。そのたびに、この国はどんなふうにできているんだろうと興味が湧いてくる。
だからこの間、アメリカに関する本はできるだけ目を通してきた。そのなかでは、ボストンの上流階級と中下層アイルランド移民の家庭に深く入り込んだ渡辺 靖『アフター・アメリカ』(慶応大学出版会)や、都市下層住民の抵抗と活力に目をこらした高祖岩三郎『ニューヨーク烈伝』(青土社)なんかが印象に残っている。
これらはいわば各論だけど、総論として、アメリカ社会の基本構造を知る上でいちばん役に立ったのが本書だった。もともと2006年に出版されたものだけれど、リーマン・ショック以降の「100年に1度」の事態を踏まえ、「アメリカ発世界経済危機はなぜ起こったのか?」という1章を新たに書き加えて文庫として再刊された。
著者はアメリカで経営戦略コンサルタント、アナリストとして働いている。他に著書もなさそうだし、まったく知らない人だけれど、ビジネスの最前線にいるリ アルと社会構造を歴史的に見る冷静な目、そして滞米26年という暮らしの実感が彼女の武器だ。それらがあいまって、この本で展開されるアメリカという「階層社会」の歴史と現状分析は、そんじょそこらの学者やジャーナリストでは追いつかない。
彼女は、まずこう書き出している。
「アメリカに住んでいると、この国は、4つの階層に分かれた社会だとつくづく思う。その4階層とは、『特権階級』『プロフェッショナル階級』『貧困層』『落ちこぼれ』である」
単純な「上流」「中流」「下流」の別ではない。それにしても、郊外に家を持ち、車で都会のオフィスに通う「中産階級」こそ、かつてテレビのホームドラマで親しんだ典型的なアメリカ人イメージだったんだけど、彼らはどこへ行ってしまったのか?
小林の解説によれば、「特権階級」とは国内に400世帯いると言われる資産10億ドル(1000億円)以上のビリオネアと、5000世帯いると言われる資産1億ドル(100億円)以上の金持ちとで構成される。
同じように「プロフェッショナル階級」とは35万世帯いる資産1000万ドル(10億円)以上の富裕層と、200万ドル(2億円)以上の資産を持ち、高度な専門的スキルやノウハウで20万ドル(2000万円)以上の年収を得る(つまり働いているということ。それ以上の金持ちは金が金を生むから働く必要が ない)アッパー・ミドル層から成っている。
これら「特権階級」と「プロフェッショナル階級」は全米総世帯の5%に満たないが、全米の富の60%を所有している。
それらの富裕層の下に、1950~70年代に中産階級を構成していた人々がいる。その多くはGMやフォード、USスチールといった製造業の従業員や普通のサラリーマンだった。でも1980年代以降、アメリカの製造業が衰えるとともに彼らは二極分解しつつある。
彼らやその子供たちの一部は高度のスキルを獲得して「プロフェッショナル階級」になったが、大部分は「貧困層」へと転落しつつある。著者の知り合いにも「父親の世代の中産階級リタイヤメント組が、そこから転落した息子や娘の世代を助けるという、今のアメリカを象徴するようなケース」の人たちがいる。
そしてアメリカ社会の最下層には、年間世帯所得が2万3000ドル(230万円)の貧困ラインに満たない「落ちこぼれ」層がいる。都市のスラムや南部に集中する黒人やヒスパニック、ネイティブ・アメリカン、密入国した移民といった人たちで、彼らは総人口の25~30%を占める。
彼らの多くは職がないか、あっても不安定な職しかなく、失業の恐怖と隣り合わせなのに貯蓄を持たず、医療保険もない。アメリカは人種・階層による徹底した「住み分け社会」だから、彼らの子供が通う地域の公立学校には麻薬・セックス・暴力が蔓延している。
こんなふうに現在のアメリカ「階層社会」の現状を分析した上で、小林はアメリカの特権階級がどうやってできあがったのか、その歴史をひもといてみせる。
それは単に歴史の問題ではない。アメリカの手で財閥解体が行われた日本では三井家や三菱の岩崎家が現在でも個人として(企業ではなく)政治経済に戦前のような力を持っているわけではないが、アメリカは独立以来の成金が数百年たった今でもビリオネアとして生き残り、政治経済文化に大きな影響力をふるっている。
アメリカ大陸が植民地となった当初のバンカー、ロスチャイルド家。独立戦争時に公認された敵商船の略奪(ソマリアの海賊なんてメじゃない)で財をなしたジラール家やボストンのブラウン家(ブラウン大学の創設者)。海賊から不動産業に転身し、ニューヨークの土地買い占めで財をなしたアスター家(ウォルドフ・アストリア・ホテルはアスター家の敷地に建っている)。
鉄道で財をなしたヴァンダービルト家やスタンフォード家(スタンフォード大学)。石油で財をなしたロックフェラー家。金融のモルガン家。鉄鋼のカーネギー家(カーネギー・ホール)やフリック家(フリック・コレクション)。
これらの家々は「レッセフェール(自由放任)」の掛け声のもと規制も少なく、所得税もなかったから、20世紀初頭までに大富豪になった。
「富がエリート層に集中して、その再配分がほとんど行われなかったにもかかわらず、アメリカが膨大な移民を吸収して…200年にも及ぶ高成長を続けられたのは、豊かな自然環境に負うところが大きい」
と、小林は書いている。アメリカ・インディアンの犠牲の上に、移住者は無償で土地を手に入れることができた。また資産(無償の土地)がある間は、税による所得再分配をしなくとも原資があるから、エリート層の資本蓄積が一層進んだ。戦争に負けることもなかったから、エリート層はそのまま特権的地位を維持することができた。
もちろん、1930年代には「ニューディール」政策で多少の所得再分配があった。第二次大戦後の1950年代には、アメリカは生産余力をもつ唯一の国だったから製造業を中心に労働者賃金が上昇し、社会福祉制度もある程度整備され、労働者階級の生活水準が向上して中産階級が生まれた。
アメリカン・ライフの象徴のように思われた中産階級は、歴史のなかでごく限られた時期に出現した一時的な現象だったのだ。しかしその中産階級も、1980年代のレーガン時代から急速に広がった所得格差のなかで二極分解してゆく。
その最大の理由は税制の改革だったと小林は指摘する。かつて77%あった所得税の最高税率を、レーガンは28%にまで引き下げた。露骨な金持ち優遇である。その一方、すべての労働報酬にかけられる給与税(社会保障税)を大幅に引き上げた。
その結果、2003年時点でアメリカの税収総額に占める割合は、個人所得税と給与税がそれぞれ7%、法人所得税は1.7%。主に低所得者層が負担する給与税と、主に富裕層が負担する個人所得税は総額が等しくなった。5%の富裕層が60%の富を所有しているのに、である。
所得階層別に実効税率を見ると、貧困層と特権富裕層では税率が10%しか違わないという。
「給与税は最低賃金にもかかるので、働いて賃金を得る限り、貧困ライン以下の人でも15.3%を払わなければならない。9万ドルを超す所得にはこの税金はかからない(注・受益者負担の原則から、最低生活保障の恩恵を受ける貧乏人がそれを負担すべしということらしい。よく分からん)から、労働所得が高い人ほど、全所得に占める給与税の負担は小さくなるし、不労所得(注・株の配当など)にはそもそもこの税金はかからない。逆累進課税の典型というわけだ。ただ し、まったく働かなければ給与税は払わずにすみ、保護給付だけは受けられる。『落ちこぼれ』層まで身を落とせば、逆累進課税は免れるわけである」
金持ちはいよいよ金持ちに、貧乏人はいつまでも貧乏人のまま。それならいっそ、低所得者用住宅に入って保護給付をもらえば働かなくても食っていける。こうして「階層社会」はいよいよ固定される。
もっとも、小林はアメリカの否定的な側面ばかり見ているわけではない。彼女は、アメリカは確かに自由で生きやすい社会だと言う。世界中の移民が今もアメ リカを目指してやってくる。アメリカ社会は、誰もが感じるとおり、欲するとおりに行動し、生きることを許容する社会だ。ひとりひとりのクリエイティビティも尊重される。ただし、経済的成功という裏付けさえあれば、だが。
「アメリカ社会はすべての人に対して経済的に成功することを期待し、その期待に応えてはじめて責任を果たしたことになり、人間としての価値を証明できる。それがなかったら、何をしても何を言っても大した意味はない。成功を測る基準は、生まれた家庭と同程度の経済水準を達成すればOK、それよりも低ければダメ、社会的に突出した水準に達したら尊敬と賞賛を浴びる。この責任と評価基準は、筆者が生まれ育った日本の環境とは全く異質のもので、それに気づくまでには相当の時間がかかった」
いま、世界中でアメリカ型市場資本主義への疑問が湧き起こっている。でも、金融恐慌を招いたカジノ経済は多少修正されるとしても、豊かな国と貧しい国、特権階級と貧困層を生みだし、固定化する資本主義の根っ子にどこまで有効な歯止めをかけられるのかは誰にも分からない。アメリカでも、この「超・格差社会」を根底から是正しようという動きはない。オバマは製造業従業員(中産階級)の生活を保障し、貧困層への援助拡大を考えているようだけど、それがどこまで実現するかも未知数だ。
日本でも1990年代以降、上下の格差が拡大し、親世代から子世代へと階層が固定化していることが明らかになっている。さて、小林が問いかけているように、「超・階層社会アメリカを日本は範とするのか」。(雄)
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