見ることの塩 上・下【四方田犬彦】

見ることの塩 上・下


書籍名 見ることの塩 上・下
著者名 四方田犬彦
出版社 河出文庫(上320p・下328p)
発刊日 2024.03.20
希望小売価格 各1,320円
書評日 2024.06.18
見ることの塩 上・下

上下2巻のこの本には、「イスラエル/パレスチナ紀行」(上)、「セルビア/コソヴォ紀行」(下)とサブタイトルがつけられている。著者の四方田犬彦が2004年にこれらの地域に大学の客員教授や文化庁の文化交流使として長期滞在した旅の記録で、2005年に出版された。今回の文庫版は、原著に「見ることの蜜は可能か」(上)、「書かれざる『最後の旅』への序文」(下)という二章が新たに書き加えられている。言うまでもなく、日々犠牲者が増えつづけるイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への侵攻や、今も緊張がつづく旧ユーゴスラヴィア情勢を踏まえてのものだ。

タイトルの「見ることの塩」とは何か。「私の見ることは 塩である/私の見ることには 癒しがない」という高橋睦郎の詩から取られたこの言葉について、著者は「眼に塩を擦り付けられたときのように、それを見続けることが苦痛であるという状況を指している」と書く。

この紀行が書かれた2004年。イスラエルでは、ガザを根拠地とするハマスの指導者が相次いでイスラエルによって暗殺された。一方、小康状態にはなったもののパレスチナ人によるイスラエルへの自爆攻撃が続いていた。著者はテルアヴィヴに滞在したが、バスの乗車口は危険なので後部座席に座ること、ガラスの近くは避けることを教えられた。

旧ユーゴのセルビア・モンテネグロでは、分離・独立を目指すモンテネグロの国民投票が決まったまま棚上げされていた。またセルビア領内のコソヴォ自治州では、州内の多数派アルバニア人と少数派セルビア人の対立・衝突がつづき、セルビアの首都ベオグラードにも対立は飛び火していた。

著者はふたつの未知の、しかも民族対立が激しい地域へ旅に出た理由について、十代のころから自覚していた「見るまえに跳べ」の性癖からだと書いている(著者は20代のころ軍事独裁政権下の韓国で大学の日本語教師として働いたこともある)。またその理由を別の言い方で、「有体にいって、ここまで嫌われる国というものを一度観ておきたい」(イスラエル)、「(旧ユーゴの解体と「民族浄化」、NATOによるセルビア軍空爆、コソヴォからセルビア軍撤退という)敗北した側から世界を眺めてみたかった」(セルビア)とも書いている。

映画(史)研究家である著者は、どちらの国でも大学で日本文化や日本映画を教えるかたわら、民族問題にかかわる劇映画やドキュメンタリーを渉猟し、それらをつくった監督たちに会って話を聞くことを繰り返した。それが本書のかなりの部分を占めている。同時に旅人として、イスラエルの都市やパレスチナの西岸地区、セルビアやコソヴォ、ボスニア・ヘルツェゴビナを歩いている。ここでは彼がどんなふうに街を歩き、何を感じたかを紹介してみたい。

砂浜の上に築かれた都市テルアヴィヴは、海岸から内陸に向かって3本の大通りを中心に都市計画が進められた。ドイツから移住したユダヤ系建築家の手でつくられたバウハウス系、最新流行の建築群は「白い街」と呼ばれ、著者が滞在した年にユネスコ世界遺産に指定されている。その北には1960年代に開発された住宅地が広がる。緑地と商店が組み込まれた集合住宅がいくつものブロックにわかれているが、どのブロックにも一つか二つの出入り口しかついていない。著者は別のところでイスラエル人の「病的なまでの警戒心」を指摘しつつ、こう書く。「(この住宅地に)横たわっていたのは、いかにも生活に快適なように公園を適宜に点在させながらも、本質的には他者を厳密に排除する、徹底的に管理された空間であったといえる」。

一方、テルアヴィヴ中心地から南へ歩いた著者は、ニューヨークのソーホーのような骨董ポスター店やモロッコ風のアクセサリー屋、ポストモダンふうのレストランやバーが軒を連ねるなか、雑草が生い茂りゴミ捨て場になっている一角を発見する。帰宅して地図を見ると、そこは廃止された駅の跡地だった。その付近ではまた、「妙に寂しい」「がらんとした公園と駐車場になっているばかりで、以前にあった建築物を取り払われて更地になっていたような」地区に出くわす。大学図書館で調べると、そこはイスラエル国家成立以前はアラブ人の居住区だったと分かる。

「アラブ人が1948年に追放された後はただちに廃墟となり、ある時期に更地とされたのだろう。テルアヴィヴは長らく無人の砂漠にゼロから建設された、無罪性の宿る都市であるという神話をつねに誇ってきたが、実はそれは偽りであった。バウハウスの白さを誇りに思う背後で、この都市もまたイスラエルの他の多くの町と同様に、アラブ人の町を破壊し、彼らを排除することで発展していったのだった」

セルビアでは著者は、アルバニア人が多数を占めるコソヴォ自治州の少数派セルビア人地区の大学分校で講義する機会を得、ミトロヴィツァの町を訪れる。小さな大学分校の学部長室や教員控室で、同じ絵画の複製が掲げられているのに気づく。それは「コソヴォの乙女」と題され、14世紀にセルビア人とトルコ人が戦った戦記物語の一シーン。トルコ兵を倒したものの傷ついて野原に横たわる瀕死のセルビア青年を、許嫁の少女が助け起こし水を飲ませている。二人とも民族衣装に身を包んでいる。この絵画の複製は、コソヴォの修道院や土産物屋やキオスクなど、いたるところで売られ、「セルビアの民族主義にあって、神聖なる原初の映像であるといえた」。

ある学生は、この絵は時代考証的に間違いが多いと指摘したが、「わたしはといえば、この絵画がコソヴォのセルビア人地区のいたるところに掲げられ、絵葉書として売られていること自体を、興味深い現象だと受け取った。あらゆる民族の起源はこうして神話的映像に基づいて、後からイデオロギー的に形成されてゆくのではないか」。

ある夜、著者は詩の朗読会に誘われた。会場である高校の大教室は、300人ほどのセルビア人で熱気にあふれていた。詩人たちが思い思いのやり方で詩を読む。最後に白髪の男性が壇上に上がり、スライドをバックに自作の詩を暗誦した。スライドは、ひとつの映像で静止したままになった。大学のセルビア系教員と学生がモスクを背景に何十ものセルビア国旗を振りかざし、横断幕にはセルビア語で「我々はヨーロッパだ」と記されている。アルバニア人の暴力に抗議するデモの映像。朗読は鳴りやまぬ拍手と昂奮で終わったが、「わたしは……どうしても納得のいかないものを感じていた」。

「この声明は、ヨーロッパという固有名詞のもとにアカデミズムと文明を擁護し、その一方で頑迷なる暴力の徒であるアルバニア人の野蛮を非難していた。そこにはミロシェヴィチ政権時代にアルバニア人がいかに大学から追放され辛酸を舐めさせられたかをめぐる、セルビア人側の反省意識もなければ、セルビアが西側諸国からどこまでも野蛮な好戦国家として非難されてきたことの認識もなかった。……セルビア人は西側の、より『ヨーロッパ人』から野蛮と好戦という不名誉なステレオタイプを与えられていたが、あたかもそれを心理的に補償するように隣人であるアルバニア人の東方性を差別し、返す刀で自分のヨーロッパ性、文明性を確認しようと試みていた」

著者はイスラエルやパレスチナ、コソヴォやボスニアを歩き回ったこの旅の印象を「廃墟」という言葉で象徴させている。彼が足を向けた場所の多くは、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教など一神教の聖地であったり、シオニズムという理念の聖地であったり、ティトーの社会主義的ユートピア国家の聖地であったりした。でも、その多くはこのとき物理的にも精神的にも荒廃し、強い憎悪と緊張だけが残っていた。「わたしが廻っていたのは、聖地という観念がことごとく廃墟と化し、そのグロテスクな残骸を晒している世界の現実のあり方だったのだ」。

イスラエル、パレスチナも旧ユーゴも、古来、いくつもの民族、国家、宗教がやってきて、その歴史は幾重にも錯綜している。同じ民族内でも出身地や言語や階層によって、同じ宗教内でも宗派によって、対立や差別がある。そのようにしてある重層的な「現在」を、二項対立的に単純化するのでなく錯綜は錯綜のままに示そうとする視線が、この紀行を支えている。

ところで四方田犬彦で驚くのは100冊以上の著書を持っていることだ。編訳書を加えれば150冊にもなる。

『封切り日が待ちどおしい』『怪奇映画天国アジア』『われらが「他者」なる韓国』『貴種と転生─中上健次』『叙事詩の権能』『月島物語』『白土三平論』『モロッコ流謫』『「かわいい」論』『ひと皿の記憶 食神、世界をめぐる』『女王の肖像 切手蒐集の秘かな愉しみ』とタイトルのほんの一部を並べてみれば、専門の映画だけでなく、その興味があきれるほど多分野にわたっているのが分かるだろう。なかで本書のような紀行的な文章も確かな位置を占めていて、その一部しか読んでいないけれど、それぞれの場所にまつわる歴史と文化と記憶をめぐる思索的エッセイというべきものになっている。

ある本の書評で、鹿島茂は四方田犬彦を「永遠の高校生」と評したそうだ(wikipedia)。たしかに、高校生のような好奇心と行動力をいくつになっても持ちつづけ、ジャンルを越境する幅広い知識と歴史感覚に裏打ちされて、そのときどきの現在形で、その目が見た世界の断面を指し示す。現在から過去へコンパスの針を伸ばしている分、未来へも届く。それが、2004年の記録である本書がパレスチナやウクライナで戦争がつづく2024年に再刊されたことの意味だろう。(山崎幸雄)

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