はるかな碧い海【宮迫千鶴】

はるかな碧い海


書籍名 はるかな碧い海
著者名 宮迫千鶴
出版社 春秋社(316p)
発刊日 2004.6.20
希望小売価格 1900円+税
書評日等 -
はるかな碧い海

わが家のキッチンには、この本の著者、宮迫千鶴の水彩画がかかっている。「荒野のホテル」というその絵は、砂漠と土の建物とサボテンと野の花がこの人らしいプリミティブな形に単純化され、黄と橙を基調にした明るい色彩で描かれている。

アメリカ西部のサンタフェで想を得たらしいその絵を、数年前、彼女の個展で見てどうしても欲しくなり、ボーナスをあてにして衝動買いしてしまった。その弾けるような色彩と形を見ていると、月並みな言い方だけれど元気をもらえるような気がして、朝、食事の支度をしたり食べたりしながらその絵が視野のどこかに入っているのが心地よい。

「私のスピリチュアル・ライフ」というサブタイトルのこの本は、見る人の気持ちをそんなふうにポジティブにしてくれる宮迫の絵が、どんな「魂の旅」の果てに生まれたものかを教えてくれる。

評論家として、また画家として活躍していた著者が「煮詰まった思い」にとらわれたのは40代前半、ガンで亡くなった父親の死を看取ったのがきっかけだった。「それはガンとは何かという問いであり、西洋医学だけの治療でよかったのかという悔いにまといつかれた問いであった」

その問いは、けれども医学にだけ向けられたのではなかった。父親の死をきっかけに自分の内部に噴出した、幼い頃の両親の離婚と再婚、家族の葛藤、学校で身につけたカソリック的な教養との格闘といった、自身の過去へ向けての問いでもあった。

「近代主義的な…概念にとらわれている部分と、その枠組みの窮屈さに辟易としている部分とがせめぎ合って」いたという宮迫の内部での分裂は彼女ひとりのものでなく、この国の高度成長の末期に当たる1980年代後半、多くの人が共有する感覚でもあったろう。「「自分というキャラクター」を生きていることに飽きていた」という気持ちを、意識的にせよ無意識にせよ誰もが持っていた。

宮迫千鶴の描く絵やエッセーは、いつも颯爽としている。それは彼女が、どちらかといえば「見る前に跳ぶ」タイプの個性を持っているからだと思う。

そのとき彼女が直面した内部の分裂への対処の仕方にも、そんな資質が表れている。その分裂から、彼女は「霊性」のほうへと、思いきりよく身を投げ出した。しかも既成の宗教や権威に身を委ねるのでなく、彼女自身の目と心とでそれを確かめようとする。

宮迫がまず会ったのは、アイヌのシャーマン「愛子ババ」だった。「愛子ババ」は、宮迫を見るなり「羽織っていた儀式用の衣装を脱ぎ捨て、いきなり私に着せかけた」。直後に今度は「いきなり老女に背中をどんと押された」。そこから彼女の「魂の旅」がはじまる。

「チャクラ」とか「ヒーリング」とか「過去生」という単語に象徴されるその旅については、僕には理解できないところも多い。でもその叙述を、同意できないにせよ彼女の気持ちに即して追跡できるのは、彼女自身いつでも「魂は求めているのに、知性が怪しんでいる」懐疑を秘めながら行動しているからだろう(彼女自身はその懐疑を鬱陶しく感じていたにしても)。

宮迫は、「愛子ババ」に学んだアイヌ自然医学の治療者に会い、ロンドンで「霊的治療」をする治療者に会い、倉敷の神社でオーラが見える祢宜に会い、「霊的手術」を受けて元気になった患者に会う。熊本で会った霊能者には、「この人、人生終わってるで」と言われてしまう。

「私の四〇代から五〇代にかけての人生は、やみくもにその(「霊性」の・評者注)ジャングルに分け入り、西へ東へ翻弄されたような気がする。だが、それはなんとも面白い旅であった」と彼女は書く。

「旅の終わり」もまた、知性を手放さず大胆に「霊性」のほうへと身を投げた宮迫にふさわしい仕方でやってきた。彼女は、西洋医学の精神科医でありながら患者の「過去生」を見て治療する医師に会いに沖縄に行く。

宮迫が医師に、「ある霊能者に、人生終わってるといわれたのですが、これからどうしたらいいのでしょう。自分でもカルマが終わった感じがしたんです」と問うと、医師からは「これからは光の仕事をしてください。周囲に明るさをふりまいていればいいんですよ」という答えが返ってくる。

「そうか、と納得した。カルマというものが過去生からの闇の負債であるなら、負債を返却してしまえば、私という存在の中に入ってくる「光」の量は増えるのかもしれない。……そうだ、と私は気づいた。私の場合、「絵」の中でなら「周囲に明るさをふりまいて」いられる。……この言葉に出会ったとき、私の過去生の「治療」は終わったような気がする」

僕の知るかぎり、宮迫千鶴の描く絵は大きく二度、変化している。一度目は、彼女が絵とエッセーを生む根拠地を東京から伊豆に移したとき。以降、彼女の絵には、伊豆やニューメキシコの自然が(彼女の絵はリアリズムではないけれど)のびやかに入り込んでくるようになった。

二度目は、この本を読んで分かったことだけれど、「魂の旅」に彼女なりのケリをつけた時期に当たるのだろう。「光の仕事」という言葉にインスパイアされたにちがいなく、色彩と形がいちだんと大胆に、鮮やかになった。僕の衝動買いも、そんな「光の仕事」に引きつけられてのことだったのだと、この本を読んで理解できる。

宮迫千鶴が「我がグル」と呼び「霊性の師」と呼ぶのは、いまも現役の精神科医であり、同時に「霊性」に深い理解をもつ加藤清という70代の医師。この本で紹介されている彼の印象的な言葉に、「神話知でもなく、科学知でもなく、臨床知が大切なんや」(加藤先生は関西人である)というのがある。

その言葉を借りれば、宮迫千鶴は臨床知をもって「霊性への旅」をしたからこそ、あるいは「霊性への旅」の結果として臨床知を手に入れたからこそ、この旅のレポートが僕のような近代主義に未練を残す懐疑主義者にもきちんと届くことになったのだろう。(雄)

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