ハリケーンの季節【フェルナンダ・メルチョール】

ハリケーンの季節


書籍名 ハリケーンの季節
著者名 フェルナンダ・メルチョール
出版社 早川書房(256p)
発刊日 2023.12.20
希望小売価格 3,410円
書評日 2024.04.15
ハリケーンの季節

考えてみれば、メキシコの小説を読むのは初めての経験だった。なぜこの本を書店で手に取ったかは、自分でもよくわからない。なにか外国の新しい小説を読みたいと思って翻訳小説の棚を探していたのだった。もしかしたら、近年のメキシコ映画の印象があったかもしれない。アルフォンソ・キュアロン、ギレルモ・デル・トロ、アレハンドロ・イニャリトゥといった新鋭の秀作が次々に現われ、彼らはいまハリウッドでそれぞれ個性的な映画をつくっている。なら、小説も面白いんじゃないか? 

もうひとつ、帯の惹句に「『2666』に連なる」とあったのにもそそられた。ロベルト・ボラーニョの大長編『2666』(本サイトでも取り上げた)は、メキシコで起こった多数の若い女性の行方不明事件を素材にしている。どちらもエンタテインメントではないものの、犯罪を主題にしている点で共通している。

著者のフェルナンダ・メルチョールは1982年生まれの女性作家。本書はいくつもの国際的な文学賞を得ているが、女性の眼からメキシコの風土や犯罪がどう描かれるかには興味がある。

『ハリケーンの季節(原題:Temporada de huracanes)』冒頭で、殺されるのは魔女。場所はメキシコ南西部でメキシコ湾に面したベラクルス州の海辺だ。サトウキビ畑と葦原が連なる単調な風景のなか、近くの油田へ向かう道路脇にバラックや飲食店が建っているだけの小さな村。そこに二代にわたって魔女と呼ばれる人物がいた。村の女たちは、金や亭主や身体の不調など悩みごとがあると魔女の家へ行き、魔女は彼女らの話に耳を傾け、時に煎じ薬を飲ませた。しょっちゅうトランス状態に陥る魔女には、かつて人を呪い殺しただの、淫乱だの、いや実は金を隠し持っているだの、いろんな噂があった。そんな魔女が、用水路のなかで腐乱死体として浮いていた。

物語は、章ごとに四人の登場人物の眼から語られる。四人の語りの中心には、魔女と愛人関係にあったといわれ、アフリカ系の肌をした青年ルイスミがいる。その四人とは、ルイスミの従姉で、ルイスミら従弟妹の面倒を見ているジェセニア。ジェセニアの祖母が一家の長で、ルイスミを溺愛する祖母は、ことあるごとにジェセニアをリュウゼツランの鞭で叩く。ルイスミの母親の亭主であるムンラ。ムンラは交通事故で障害者になり、今では淫売宿を営む妻(ルイスミの母)のヒモになっている。三人目は、義父から性被害を受けて妊娠し、自殺しようと家出してきたインディオの少女ノルマ。ノルマはルイスミと出会い、惹かれあった二人はルイスミの小屋に一緒に住むことになる。もうひとり、ルイスミの弟分で悪童仲間のブランド。兄貴分のルイスミに同性として惹かれているようだが、当人はそれを自覚していない。

ほかにもたくさんの登場人物が出てくるが、作者はそれを説明しないし、時制があちこちとぶから、読んでいて物語の海を溺れないよう夢中で泳いているような気分にさせられる。人間関係や事態の全体が見えてくるのは小説も中盤になってから。魔女がトランスジェンダーであることが明かされると、それまで見えていた風景が一変する。

訳者の宇野和美によると、本書はきちんとしたスペイン語でなく「コテコテのベラクルス方言」で書かれ、卑猥語や罵倒語に満ちている。例えばルイスミの、金髪で豊満な肉体を持つ母の独白。

「その頃はまだ、マウリリオ(注・獄中にいるルイスミの父)にぞっこんだったからね。楽しめるのはマウリリオとやるときだけで、客とやってもさっぱりだったしね。ただ仕事とわりきっていちゃいちゃするだけ。マウリリオとは違った。あの人のチンコはこんくらいあってさ。セックスはへたくそだったけど、いつもあたしは会うなり、あの人をベッドに押し倒して上に乗っかって、すっかり突っ込ませてやりまくったものさ」

こうしたセリフもカッコでくくられず、地の文と区別がつかない。またひとつの章に改行がひとつもなく、時に数十ページが一段落で続いている。これも物語の海という比喩を使えば、目の前の波しか見えず遠望が利かないことを作者が意図しているからだろう。

四人の語りはそれぞれに印象深いが、なかでも記憶に残るのはインディオの娘ノルマによるものだろう。ノルマの母は縫製工場で働いていたが、男たちを引き留めたい一心で次々に子供を産んだ。ノルマは弟妹たちの面倒を見ることになったが、母が仕事に出たある日、義父がノルマをベッドに押し倒した。ノルマは「心地よさと同時に嫌悪」を感じたが、それが繰り返されることでノルマは「自分の中に、邪悪で恐ろしいものがある」と感じ、母を裏切っているという思いから自分への憎悪を覚える。そして妊娠。

「一番いいのは、いっそ家出することかもしれない。……五月になっても夜明けには骨までしみる寒さから逃れて、プエルトに行こう。母と一緒に夏休みを過ごしたあの時に戻り、崖に登って、体の中に育ちつつある命もろとも海にとびこもう。どこに行ったか、母には絶対にわからないだろう」

そうしてノルマは家出しルイスミと出会い、ルイスミの母の導きで魔女の家へ行っておどろおどろしい液体を受け取る。薬を飲んだ直後にノルマは強烈な痛みに襲われる。気がつくと彼女は病院のベッドにくくりつけられていた。

「できるものなら、病院からも、痛くてたまらない自分の体からも、いまいましいベッドにくくりつけられた、血と怯えとおしっこでいっぱいになった、はれあがった肉のかたまりからも逃れたい。……手をぎゅうっと締めあげ、自分の首を切り落として、原初の叫び声をあげたい。尿と同じようにこみあげてくる叫びを、もう一秒たりとも堪えきれなくなって、生まれたばかりの赤ん坊と声をそろえてノルマは叫んだ。ママ、マミータ、うちに帰りたいよう、マミータ、あたしがしたことを全部許して」

ルイスミはノルマが死にかけているのは「魔女のせいだ」と思い、魔女の金を盗もうと狙うブランドとともに魔女の家に向かう……。

メキシコの小さな村。貧しさと、大家族で絡みあう人間関係に閉ざされた出口のない空間。異性同性がもつれあう性の風景。魔女に象徴される非合理。抜きがたい男性優位のマチズモ。そんな風土のなかで繰り広げられるこの作品は2017年に発表された。明らかに世界的な#Me TooやLGBTQと同時並行で出現した文学と言えるだろう。でも多様な人種、多様な性が描かれるここでは、単線的な加害被害の二元論や、あるべき論でなく、いくつもの要素が絡みあった混沌が混沌のまま投げ出されている。だからこそ豊饒な言葉の海が生み出されたに違いない。

物語の表面には出てこないが、かすかにほっとするものがあるとしたら、これはルイスミとノルマの、裏返しのボーイ・ミーツ・ガール、青春物語でもあることだろう。ゲイであるらしいルイスミと、異常出産で生命の危機に瀕したノルマがこれからどうなるのか、誰にも分からないけれども。(山崎幸雄)

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