駅前に上智大学や雙葉学園などがあり、ちょっとおしゃれな街というイメージが強い四谷周辺だが、明治の半ばごろまでは東京の3大スラム街の一つが存在していた。
当時、3大スラム街が存在していたのは、四谷、芝、浅草の3地域。浅草万年町は、市中随一の繁華街に隣接していたので当然としても、四谷、芝にはどんなメリットがあったのか。四谷鮫ケ橋は付近に陸軍士官学校があり、芝新網町は海軍兵学校に近接していたので、そこから大量の残飯が発生したからだ。
火事発生以来、新宿の地下街からホームレスは姿を消したけれど、昔から大量の残飯が発生するところに、貧しい人々は集まってくるのだ。
- 紀田順一郎「東京の下層社会」新潮社
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