ガラスの巨塔【今井 彰】

ガラスの巨塔


書籍名 ガラスの巨塔
著者名 今井 彰
出版社 幻冬舎(383p)
発刊日 2010.02.25
希望小売価格 1,680円
書評日 2010.04.05
ガラスの巨塔

本書の帯には「この小説を書くためにNHKを辞めた」とある。NHKを退職したから書いたのではないのだという意地の宣言だ。著者の今井彰はプロジェクトXのプロデューサーとして名を馳せてきた男。退職を余儀なくされた経緯については各種メディアの報道で断片的に聞くことあったが興味半分の報道も多かったように感じていた。本書は小説と銘打っているものの、NHKにおける今井の生き様を書き綴った内容であることは言わずもがな。したがって、暴露本的な興味から本書を手にする人も多いことだろう。かく言う私もその一人。

「プロジェクトX」は具体的な企業や発明・商品開発などを対象として作られていた番組なので、一歩間違えると企業宣伝や商品広告になりかねない内容だった。それだけに、あまりNHK的ではないドキュメンタリー番組だったといえる。番組スタート時はともかく、回を重ねる毎に視聴率は確実に上昇し、「親が子供に見せたい番組」の堂々一位になったことなど、一時代を画したNHKの看板番組であった。

ただ、2002年の年末の紅白歌合戦では中島みゆきが黒四ダムからの中継で番組タイトル曲を歌って4000万円の費用を使ったとか、とある経済団体の会合で今井の講演を聞いた時にTVプロデューサーというよりも経営者然として自信満々で経営を語る彼の姿を思い出すにつけて、どこか違和感を覚えていたのも事実である。評者のような一視聴者がそう感じるのだから、NHK内部ではいろいろな思惑が交錯していたであろうことは十分想像出来る。その後、プロジェクトXのやらせ疑惑による番組の中止や今井本人の万引き事件発生など、私の意識からは「プロジェクトX」も「エグゼクティブ・プロデューサー今井彰」もどんどんと色あせてフェードアウトしていった覚えがある。

さて、本書は今井の自己体験をストレートに表現していると思うが、その文章表現からは組織や人に対する怨みや悔しさが漂ってくるものの、自慢話で終わるわけでもなく、さりとて「万引き」で捕まってしまった懺悔でもないところはジャーナリスト今井の抑制された良さと言うべきだろう。

主人公はある公共TV局(公共放送といったら一つしかないのだが)のディレクターである。地方勤務から東京に配属になり、たまたま湾岸戦争勃発にともなう報道体制に駆り出された結果、チャンスを掴んで制作した米国捕虜に関するドキュメンタリー作品が出世作となっていく過程で、各局組織縦割りの序列主義や職員の官僚的な体質が描かれている。主人公が学歴や入社時に配属された組織などから、この放送局のバリバリのエリートでなかったということがポイント。

「西(主人公)が所属するのは短い紀行番組や語学講座など、教育テレビや深夜早朝の誰も見ていない視聴率0%の三流部署だった。・・・・・」と、公共TV局の特質を表現している。どんな組織や会社でもこのような部門ごとの差別感覚や選民意識が多少なりともあるのだが、さすが半官半民の公共TV局だけあって、民間人では想像も出来ないくらいの格差社会として表現されている。主人公、自らが三流部署の人材と卑下している中で経営上層部に自己をアピールしていく苦労や信念が多少カッコをつけて表現されている。それも、反骨精神の発露なのだが、反骨精神だけでなく、才能の裏づけがなければ成果を出すことも不可能だったはず。主人公はこの作品での成功を契機として、その後、多くの番組を手がけて赫赫たる栄誉をものにしていく。今井がNHKで辿ったサクセス・ストーリーそのものである。

いよいよプロジェクトXとおぼしき番組、小説内では「チャレンジX」のスタートとなる。 戦後日本が物も無ければ金もない中で発想力と努力だけで国力を回復させ、先進各国というか第二次大戦の戦勝国を凌駕していった日本人の活躍を題材としているということもあり、経済界の経営者達からも高い評価を得ていた。そうなれば必然的に、天皇と呼ばれている会長(NHKの海老沢元会長とおぼしき人)からの覚えもめでたく、それまでは物分りの悪い上司を説得してやっと捻出してきた人材や、予算の確保など、格段に優遇されていくことになる。

加えて、公共TV局の広告塔のように売れっ子プロデューサーは外部に使われていく。今までの職場経験ではけして付き合ったことのない経営者や政治家たちとの付き合いがあり、そうした環境変化に戸惑いながらも自分自身が権力や経営の中枢を担う人たちの近くに身を置くことや社会の仕組みの中核に触れることによって、権力が持っているある種の魅力に染まっていっていき、反骨のプロデューサーもいつしか権力構造に組み込まれていく。

こうした成功による上昇志向の達成感と高揚感がある一方、巨大組織における定番の出世と嫉妬が本書のもうひとつのテーマである。別にNHKという舞台を借りるまでも無く、そうしたサラリーマンのやっかみもある程度は日常的な事柄ではある。しかし、多少面白おかしく誇張しているとは思うものの、足の引っ張り合いや社内に怪文書が飛び交う様子などは普通の会社からは想像も出来ない。普通、企業経営といえば、業績、品質、お客様満足度といった尺度で侃侃諤諤の議論を果てしなくするものだが、まったくそうした尺度と無縁な内部抗争に血道をあげている管理者の姿は、公共TV放送局はそんなに暇なのかという印象が第一である。

さて、成功の後の転落も劇的である。彼の成功は所詮は官僚的組織の中で最高権力者の意向によってのみ支えられていたことを思い知らされることになる。最高権力者たる会長が職員不祥事の責任をとる形で退任すると、全てが主人公にとって逆風となってくる。しかし、組織の中の戦いとは、正しいものが勝つわけではなく、勝ったものが「正しい」と言い張る、そんなルールなのだが、そうした権力闘争を生きがいに出来る人はそれはそれで一つの人生なのだろうと思う。しかし、この主人公は最後「病に倒れ」「躁うつ病と診断され」、はては「万引きで拘束されたり」とボロボロになって退職に至るというのは、華麗なサクセス・ストーリーの主人公であった人間としての人生のバランスは明らかにとれていない。しかし、全てのしがらみから解放されてからの夫婦の会話の情景は、主人公と同様に永らく組織人として生活してきた評者としてはほっとする場面である。

それにしても、舞台となっている組織で、頭の良い人間たちが非生産的なところで膨大なエネルギーを費やしている姿は滑稽でもあり、悲しくもある。頭が良いだけにくだらないことをするにも精緻な計画と努力をする訳で、その壮大な無駄に思いをはせると暗澹たる思いに襲われる。(正) 

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