クルディスタンを訪ねて【松浦範子】

クルディスタンを訪ねて


書籍名 クルディスタンを訪ねて
著者名 松浦範子
出版社 新泉社(312p)
発刊日 2003.3.15
希望小売価格 2300円
書評日等 -
クルディスタンを訪ねて

この1年のあいだに、立てつづけに2本のクルド映画を見た。1本はイランのクルド人がつくった「酔っぱらった馬の時間」。イラク国境に近い山村で密輸で食べている家族の苦難を、少年の目からセンチメンタルにも告発調にもならずに静かに見つめた、まぎれもない傑作だった。

もう1本はトルコ映画で「遙かなるクルディスタン」。こちらは、クルド人と間違われて差別されるトルコ人カップルとクルド人のあいだの友情と悲劇を描いた、トルコ人の手になる社会派的な映画だった。

僕がクルド人とクルディスタンの存在をはじめて知ったのは、十数年前のユルマズ・ギュネイの映画だった(そういう人は多いだろう)。それ以来、とぎれとぎれながらもクルドに関心をもってニュースに接してきた。

クルドの総人口は3000万をこえるといわれるが、自らの国をもっていない。トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアなどに少数民族として暮らし、それぞれの国で抑圧を受けている。トルコでは近年までクルド人としての存在すら認められず、「トルコ語を忘れた山岳トルコ人」と呼ばれてきた。

オスマン・トルコの崩壊以後、大国の政争の具として20世紀を翻弄されてきた「国なき民」。このところ、フセイン政権崩壊後のイラクの政権構想やトルコのEU加盟問題などで、クルドは再び国際政治の危うい焦点になりつつある。

この本は、そうした情勢にタイミングよく出版された。写真家である著者は1996年以来、主にトルコのクルド人の町や村を丹念に歩いてきた。クルディスタンの風景のなかに身をおき、その風に吹かれ、人々の話に耳をかたむけ、それらを飾りのない言葉と写真で伝えてくれる。

彼女が「クルディスタンの原風景」と呼ぶのは、こんな情景だ。「この家では、羊のほかに馬が二頭、農耕用として飼われている。その馬に乗って、私たちは野山を散歩に出掛けることになった。自分の手で手綱を握り、馬の高い背から広々とした大地を見渡し、雪を被った青白いアララット山を眺めた。山で芝を刈る人々や羊の群れに出会っては、互いに手を振りあった」。

辺境の小さな村は近代化とは無縁で、人々は独自の衣装に身をつつみ、昔から変わりない牧畜と農業をいとなんでいる。しかしその美しい風景をもった地は、同時にクルド・ゲリラと政府軍とのあいだの戦闘と虐殺の地でもある。

旅の途中、著者はいたるところで廃墟となった村に遭遇する。それらの村は、ゲリラの拠点になるからという理由で政府の手で破壊されたのだ(その風景は映画「遙かなるクルディスタン」でも映しだされた)。村人たちはなんの補償もなく追い出され、都市に流れついてスラムに住むほかはない。

著者がバスから身を乗りだして廃墟となった村々を撮影していると、乗客の老人が、この風景を撮ってあんたの国に知らせてくれと頼む。著者がバスを降りて撮影しているあいだ、運転手もほかの乗客も文句を言わず、バスを降りるときには黙って著者に握手を求めてゆく。同じクルド人といっても、どこに密告者がいるかわからないのだ。

そんな土地をカメラ機材をもって旅していれば、当然のことながら警察官や兵士につきまとわれる。行く先々のホテルには警官が現れ、日々の行動を監視される。

ある町の友人を訪れようとしたとき、バスに乗っていた著者は軍の検問にあう。一人だけバスを降ろされ、軍の施設に連行されて尋問される。「お前は観光客だというが、ジャーナリストではないのか」。荷物を隅から隅まで調べられ、クルド人政党の幹部に書いてもらったメモが見つかってしまう。没収だという兵士に抗議すると、ピストルをこめかみに押しつけられる。

やがて友人が呼ばれて著者は解放されるのだが、著者は友人をトラブルに巻き込んでしまったことに苦しむことになる。なにしろ、ゲリラとの関係を疑われるだけで、ある日、突然に行方不明になってしまったりする非常事態下なのだ。

「何のために、私はクルド人の写真を撮っているのだろう。それがいったい何になるというのだ。ただ、親切なクルド人たちに災難を振りまいているだけではないのか」

ちょっと横道にそれてみたい。緊迫したこの部分は、この本のいちばんの山場になっているのだが、そこにはジャーナリズムをめぐるちょっとした問題がはらまれていると思うのだ。

この旅で、著者は警官の質問や検問に「旅行者」と名乗っている。それは間違いではない。写真家あるいはジャーナリストを志してはいても、その時点で著者はまだ作品を発表していないのだから。

著者は、その友人からもらったメールをプリントして持っていた。そのメールは、内容的に問題があるようなものではなかった。だからそれは、彼女の訪問がなんら政治的なものではなく、旅行者として友人に会うのが目的であることをわからせることに役立ったけれども、一方で、疑わしい外国人の「旅行者」を友人にもつクルド人の名前を軍に教えることにもなった。

検問があることがわかっている旅に、そのようなメールや政党幹部のメモを身につけていくことは、経験あるジャーナリストだったら絶対に避けるだろう。ジャーナリストという身分にとっては、たとえ友人であろうとも、彼を訪問することは他人から見れば取材と判断される。そしてジャーナリストにとって取材対象の秘密を守ることは、なににもまして大切な最優先事項だからだ。

著者も、もし警官や兵士の質問に「写真家」あるいは「ジャーナリスト」と答えるつもりなら、決してそのようなものは持たなかったろう。そしてそう答えれば、著者の行動は間違いなく制限される。

だからこの本は、写真家あるいはジャーナリストの目で行動する「旅行者」という、執行猶予中のような、ある意味で特権的な立場にしてはじめて可能になった「旅行記」なのだ。僕はそれを批判したいのではない。そのようなポジションだからこそ見えてきた現実があることを言いたいのだ。

この本の最後で、著者はイスタンブールで友人に再会する。そして友人に、なにかがあったらしいことを知る。「絶対に、あの町に来てはいけない」「何があったのか話してよ」「もう聞くな」。失敗はあったが、幸い友人は元気だったのだから、致命的なものではなかった。そこで著者は再び疑問にとらわれる。

「クルド人の町を訪ね、写真を撮るということ自体が、不幸な結果を招くそもそもの原因だったのではないだろうか。私には彼らの写真を撮る資格など、初めからなかったのではないだろうか」

苦しむ人々を目の前にして、自分はなにができるのか。なにもできないのか。場合によっては、彼らを更に苦しめてしまうのではないか。そのような疑問は、シチュエーションはさまざまでも、ジャーナリストが必ずといっていいほど突きあたる問題だろう。

それに対する明快な答えは知らない。ただ、突きつめれば、選択肢は2つにしぼられるのだと思う。ひとつは、永遠の観察者として見つめつづけること。断念に耐えて伝えつづけること。見つめる自らの視線の構造に敏感でありつづけること(例えば米軍に従軍してイラク戦争を取材する視線、といったことに)。

もうひとつは、傍観者ではなく参加する者として、加担の方向へ一歩踏み出すこと(例えば尾崎秀美やゾルゲは、その一線を確信的に踏みこえた者たちだろう)。その中間にさまざまな立場がありうるとは思うけれど、それらは結局のところ、どこかにあいまいさを残した姿勢で、繰りかえし同じ疑問に襲われつづけるしかない。

この本が出版されたということは、著者は次にクルドを訪問するとき、自らを写真家あるいはジャーナリストと名乗ることを選んだのだろう。得がたい経験をした著者の、次の仕事を楽しみにしたい。(雄)

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