小山さんノート【小山さんノートワークショップ 編】

小山さんノート


書籍名 小山さんノート
著者名 小山さんノートワークショップ 編
出版社 エトセトラブックス(288p)
発刊日 2023.10.30
希望小売価格 2,640円
書評日 2024.03.16
小山さんノート

2013年、東京都内の公園で小山さんと呼ばれるホームレスの女性が亡くなった。65歳だった。小山さんが暮らしたテントには、80冊ものA6判ノートと、キラキラと銀色に輝く紐のような、たくさんの手づくりの小物が残された。

身体をこわした小山さんを見守っていた人たちは、いったんはノートを遺体と共に焼いてしまおうと考えた。でもノートを読んで、これは残さなければと思いとどまったという。達筆の大きな文字で記された膨大な文章を、野宿者、ひきこもり、非正規労働者、アーティスト、留学生らが集まってパソコンで文字起こしを始め、そのワークショップは現在も続いている。小山さんがテント生活を始めたのは1998年だが、それ以前の1991年から、路上生活6年目の2004年までのノートから抜粋されたのが本書だ。

それがどんなものか。まずは、ある日(2001年1月28日)のノートを引いてみよう。

「九時三十分起きる。怒られ外に出る。一面、雪化粧、光と雪……。千百円。清まる時間と静けさと空間。町に出る。昨日の恵みを大事に使おう。二時間半、ドトールで本読む。/四十五分、駅に立つ。ビール一本戴く。四百五十円。/三時より、シャノアールにて読む、書く。夢とロマンを失いたくない。美しい時間、精神を豊かに育もう。どんな状況、環境においても、好きなこと、きらいなことをはっきりしておこう。好きなこと、善いことと思ったことを止められても、持続していく意志を保とう。今日もたくさんの人間を見た。思考、好みが皆違う人々が歩いている。リズムと機能を大切にいだく幸福を作ろう」

小山さんは十代のころ、文学と芸術を志して東京へ出た。アパート暮らしでいくつかの職業を転々としながら、本を読むこと、文章を書くことを続けていた。40代で男性Aと同居したが、Aの精神的・肉体的な暴力を受け、何度かの野宿を経てホームレスとなり、公園でのテント生活に移る。ところが、Aも小山さんを追ってテントに移ってきてしまう。先に引用した「怒られ外に出る」とは、Aに怒鳴られたということらしい。

「俺の言うことを聞かなければ出て行けと口ぐせのように叫び、神経をびりびりさせている人に、一生支配されていかなければならないのかと思うと、精神も経済も文学の魂も奪われてしまいそうだ。……雨がやんでいたのに、また降ってくる。/もどろうか。もどるまい。/黄色のカサが一本、公園のごみ捨て場においてあった。ぬれずにすんだ。ありがとう。今日の光のようだ」(2001年3月18日)

小山さんがなにより大切にしたのは、喫茶店の好みの席に座って音楽を聴き、本を読み、ノートをつける時間だった。喫茶店に行くことを、若いころ憧れた「フランスに行くつもり」と表現し、好みの席を「太陽の席」「月の席」と名づけた。「一食しなくとも、私はこうして、生活より離れた一人の精神の時間がほしい」。それは小山さんにとって、ものを食べることより大事な、文字どおり身を削ってつくりだす時間だった。読んだ本を古書店でわずかな硬貨に換え、「つまりの中で過ごした精神がわずかでも解放されるものなら、残四十五円、のちのことは考えられない」と記す。

「つまり」は「詰まり」で、精神的また金銭的に行き詰った状態のことだろうけど、小山さんには独特の言葉づかいや造語があって、その巧まざるユーモア(小山さんが自分のことを距離をもって眺めている証左でもあろう)に、つい笑ってしまう。お金がないことは「金苦」。「苦しいなりくり」の「なりくり」は、「なりゆき」と「やりくり」を合体させたらしい造語。またAのことを「共の人」、Aが亡くなってからは「金真」(どういう意味か不明)と書いている。Aはヒステリックにどなり暴力をふるって小山さんを苦しめたが、穏やかなときもあり、日々の食べもの集めや金の算段が苦手、しかも男性が圧倒的に多い「テント村」のなかで、小山さんにとってAは耐えがたい同居者であるとともに、その陰に隠れて暮らすことのできた存在でもあったようだ。

とはいえ、小山さんはAのふるまいに我慢できなくなり、同居のテントを出て、再び一人でテント暮らしするようになる。ひとりでテントをつくるのも、初めての経験だった。「銀のボウを地にさし、大きなカサをテープで止め、高めにする。まわりにカサ八本ばかりをおき、下に小さなダンボール八枚、ビニール。天上の三枚のビニールかぶせたらお堂のような形になった。これはおもしろい形になったと我ながら喜び、ロープ、木のささえがなくとも安定感があり、一畳半ばかりのきれいな中の空間ができた」。

自分ひとりのテントと、テントにある数十冊のノート、たくさんの「キラキラ」のある空間が、そこへ誰も入ることを許さない小山さんの城となる。アルミ箔を切って美しい小物の「キラキラ」をつくったり、大事なものを整理することを小山さんは「聖作業」と呼んだ。

やがてAが急死する。本書の後半は、ひとりになってからの小山さんのノートで構成されている。小山さんはいよいよ窮乏し、「テント村」のボスのセクハラじみた干渉にも悩まされる。

「朝早くボスが弁当四個置いていった。うどん、スキヤキ、タコヤキ、食パン一キン。無事十一月を迎えることができた。食べものが好きであった金真に弁当をそえ経を供養し、残二百七十一円をもち町に出る。ノート、ミニパイプ、酒、駅近くの喫茶に入り、ノート、本を読む。マンガ本一冊、五十円にかえてもらう。残六十七円」(2002年11月1日)

酒もタバコも大好きらしい小山さんは、なんとかそれらを調達し、たまにお洒落な服を身に着け、公園の音楽堂で奏でられる音楽にあわせて踊っては時間を忘れる。また夜はテントで、「幻想の部屋」と呼ぶ世界に入ることが多くなる。そこには「ツェール」とか「ルーラ」と呼ぶ「縁ある諸霊」がいて、「聖なる灯」が輝いている。「深夜、幻の世界に入る。一年ほど前につかんだ光の愛は、ほのかな灯となって心の奥深くに消えずひそんでいる。我が身、金霊を包む光の愛は、深夜の静じゃくをうちやぶるような激しさとなって、恐怖や不安より解き放す」。

テント生活の小山さんは、体調を崩してからも公的な福祉や医療に頼ることを拒んだという。実際にそうなのかはともかく、小山さんにとってそこに身をゆだねることは身体的にも精神的にも自らの自由を束縛するものと映ったようだ。

小山さんは野宿生活に移る1年前は5つものパートの仕事を転々としていた。でも「人間関係が一番恐い」と書く彼女にとって、100人ものホームレスが暮らす公園のテント村もまた、もうひとつのストレスの多い社会だったろう。貧窮にあえぎながらも、昼は喫茶店で、夜はテントの「幻想の部屋」で、ひとりになる時間をつくることで小山さんは自分を支えていた。それが現実からの逃避といったネガティブな姿勢でないことは、ノートを読んでいけばわかる。どんなに困窮しようとも、意思して「意識、日常より切り離し、我が根源にたどりつく時間」を大切にした。その強靭な精神の営みが80冊ものノートとして残された。

「失われた30年」と呼ばれる時代をその底辺で誠実に生きた、貴重な記録だと思う。(山崎幸雄)

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