検証 戦争責任【読売新聞戦争責任検証委員会】

検証 戦争責任


書籍名 検証 戦争責任
著者名 読売新聞戦争責任検証委員会
出版社 中央公論新社(l/348p ll/304p)
発刊日 2006.10.10(ll)
希望小売価格 1800円(l) 1500円(ll)+税
書評日等 -
検証 戦争責任

タカ派的な放言で話題をまいてきた読売新聞のドン、渡邉恒雄会長がその論調を転換させた(?)のは、小泉純一郎前首相の靖国参拝問題がきっかけだった。

渡邉会長…じゃ感じが出ないな、ナベツネは前首相の行動に反対の意思を明らかにして靖国参拝慎重論を唱え、同時に靖国にA級戦犯が合祀されたままなら別の追悼施設をつくるべきだと主張しはじめた。

そのA級戦犯についてもナベツネは、東京裁判には疑問もあるが、かといって戦犯として指名された彼らに責任がないということではない、と語っている。話題になったナベツネと若宮啓文(朝日新聞論説主幹)の対談から引くと――、

「今、靖国神社に祀られている多くの人は被害者です。やはり、殺した人間と被害者とを区別しなければいかん。それから、加害者の方の責任の軽重をきちんと問うべきだ。歴史的にそれをはっきり検証して、「我々はこう考える」と言ってから、中国や韓国にもどういう迷惑をかけていたのかという問題が出てくるのです。やっぱり彼らが納得するような我々の反省というものが絶対に必要だ」(「「靖国」と小泉首相」朝日新聞社)

うーむ、正論(雑誌のことではない)じゃありませんか。

日本人は一千万を超える犠牲者を出した太平洋戦争の戦争責任について頬かむりし、自分で決着をつけることをしなかった。連合国による東京裁判にゆだね、今になってそれが「勝者による裁き」だと文句をつけている。

それなら遅まきながら自分の手でやろうじゃないかというわけで、読売新聞が1年にわたって連載したものをまとめたのが本書。鶴のひとこえで1000万部の紙面を長期に独占するあたりは、さすがにドンの力健在ということか。

2巻のうち「l」ではまず、専門家へのインタビューを交えながら、「陸軍参謀」「対外認識と国際感覚」「石油エネルギー」「特攻」「大日本帝国憲法」「メディア」といった具合に、戦争責任を考える上での論点を示していく。

「ll」では、満州事変から敗戦、東京裁判までの歴史を整理した上で、「「昭和戦争」の責任を総括する」「「昭和戦争」責任検証最終報告」「「昭和戦争」から何を学ぶか」の3つの章がおかれている(「昭和戦争」というのは、太平洋戦争、十五年戦争、大東亜戦争など、人によって呼び方がまちまちな「あの戦争」について、そう呼んだらどうかという提案)。

なかでも興味深いのは、戦争責任があると判断された者の個人名を挙げた「総括する」の章だけど、その前に全体の感想を述べておこうか。

「l」と「ll」の前半は、コンパクトにまとめられた昭和史といった趣がある。「読売=右派」というイメージから想像されるイデオロギー臭は抑えられ、事実を淡々と記述するスタイル。フジ産経系の新聞・雑誌お得意の「大東亜戦争は自存自衛の戦争だった」という見方は明確に否定されている。

評者の世代にとって昭和史の教科書といえば遠山茂樹らの「昭和史」(岩波新書)だったけど、これは教条左翼的な見方と文体の臭みが(当時、新左翼のはしくれだった評者にも)気になった。その後、歴史研究が進んだこともあわせて、今では現役の本とは言えないだろう。

いま、昭和史が手際よくまとめられているのは半藤一利「昭和史」(平凡社)あたりだろうか。非左翼リベラリズムの立場から語られた体験的昭和史として読みやすい本だけど、「検証 戦争責任」も昭和史の基礎知識を仕込んだり、手軽に調べたりする役に立ちそうだ。

ただ、専門家でもなんでもない者から見てバランスを欠いていると思える箇所もある。

そのひとつは「南京事件」。本書はごくあっさり、「攻略時、捕虜や民間人への虐殺や暴行が多発した」と言うにとどめている。読売が虐殺を認める記述をしたこと自体に驚いたり落胆したりする人もいるかもしれないけど、犠牲者の数について今もホットな論争がつづいている問題だし、歴史的事実から目をそらした「虐殺はなかった」なんてキャンペーンすら存在する。

「南京事件」は日本人が責任を問われる太平洋戦争の最大の戦争犯罪(非戦闘員の虐殺)のひとつなんだから、ここは虐殺のどこまでが明らかになっていて、どこから先が明らかでないのか、ちゃんとページをさいてはっきりさせてほしかった。

さて、この本の最大の読みどころは「「昭和戦争」の責任を総括する」にある。

たとえば「満州事変」で「責任の重い人物」と指名されたのは次の4人。

石原莞爾(関東軍参謀)
板垣征四郎(関東軍参謀)
土肥原賢二(奉天特務機関長)
橋本欣五郎(参謀本部第2部ロシア班長)

中国東北地方の奉天郊外で満鉄線を爆破するという陰謀をめぐらし、満州事変を引き起こしたのは石原、板垣の関東軍参謀2人だった。土肥原は、満洲国をでっちあげた。橋本は、板垣らと連携して本土で革新派将校を組織し、クーデター事件を起こした。

参謀というのはもともと軍隊組織のラインに属する存在ではない。作戦は練るけれど命令権はない。しかも彼らは、参謀の長でもない。命令権はなく、組織の長でもない彼らに満州事変を引き起こした最大の責任がある、とこの本は判断している。

似たような例は、その後も出てくる。例えば「満州事変」から「日中戦争」への拡大に「責任の重い人物」として、近衛文麿、広田弘毅の両首相と並んで、またしても土肥原と、中国への派兵を推し進めた武藤章(参謀本部作戦課長)が指名されている。

あるいは、「日中戦争」が「対米英戦争」に変質するきっかけをつくった「三国同盟」「南部仏印進駐」について、近衛、松岡洋右(外相)らと並んで、独断で日独防共協定の交渉を始めた大島浩(ドイツ大使館付武官)と、日米開戦を主張した石川慎吾(海軍省軍務局第2課長)が「責任の重い人物」として指名されている。

「危機を前にすると、声高に積極論を唱える幕僚の存在は、陸軍における一つの典型」で、彼ら少壮軍人が軍事力を次々に拡大する過激な方針を主張し、軍や政府の責任者がそれを抑えられず、結果的に大日本帝国を破滅に導いた。

「昭和戦争で日本を動かしたのは、主に陸海軍の軍官僚たちだった」

「作戦部の人事については参謀総長らが握り、東条英機首相といえども思い通りにはならなかった。作戦・政策について、天皇が希望を述べても、軍官僚はこれを突き放していた」

「軍官僚主導の政策決定システムでは、最初に起草するトップエリートの中堅幕僚(注・班長、課長クラス)が大きな力をもっていた」

「統帥権」の実態とは、確かにこういうものだったのかもしれない。外に対しては「統帥権」をかざして内閣や議会の干渉を排除する。内部では、時に「統帥権」をもつ天皇をも無視して現場や中堅スタッフが暴走し、ラインにいて責任をもつ誰もそれを止められない。

責任があるとされた個々人への評価が適切なのかどうか、歴史の専門家でない自分には分からない。でも本書全体に今まで知らなかった名前がいくつも出てきたのは勉強になった。なかでも沖縄戦直前に本土へ逃げ出して住民の避難対策を放り出し、そのまま他県の知事になってしまった沖縄県知事・泉守紀なんて名前は、しっかり覚えておくことにしよう。

このなかでいちばん議論になりそうなのは、やはり昭和天皇の戦争責任をめぐってだろう。本書では、明治憲法に天皇は国政上の責任をいっさい負わない(無答責)と定められていること、開戦にいたる過程で「立憲君主としての枠内で一貫して戦争回避に努めた」ことから、昭和天皇に戦争責任はないと結論している。

法的には、確かにそういう考え方も成り立つかもしれない。国内的には法的責任を負わないと定められていたわけだし、国際的には、連合国の間に天皇の戦争責任を問う声はあったものの、天皇制を占領統治に利用したいアメリカの政治判断から天皇を免責し、いわば昭和天皇の身代わりとしてA級戦犯が東京裁判にかけられた。

昭和天皇自身はマッカーサーに「全責任を取る」と述べ、退位する意向もあったらしいけど、結果的には戦争責任について何のメッセージも発さず、どんな行動も取らずに亡くなった。

そして国内で300万、アジア各国や連合国で1000万を超える兵士・市民が、天皇の名のもとに戦われた戦争で犠牲になった歴史的事実だけが残っている。そのことの「道徳的責任」については、もっと広い議論が必要だろう。評者は、「道徳的責任」はある、と考える。

最後にひとつ。新聞社の手になる検証として欠かせないのがメディアの戦争責任。ここでは戦争気分をあおり、国民に嘘を報じつづけたメディア(特に朝日、毎日、読売の全国紙)の責任も検証されている。これについては、別の1冊をつくるくらいの規模でやってもよいテーマだろう。

その後、テレビやインターネットが登場して、メディアの影響力は当時よりはるかに大きくなっている。新たな戦争に向かって世界中がきな臭くなっている今、それは過去の問題ではないんだから。(雄)

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