子どものうそ、大人の皮肉【松井智子】

子どものうそ、大人の皮肉


書籍名 子どものうそ、大人の皮肉
著者名 松井智子
出版社 岩波書店(248p)
発刊日 2013.06.26
希望小売価格 2600円
書評日 2013.08.19
子どものうそ、大人の皮肉

著者は、「言語学・語用論」を専門とし、子どもの成長過程とコミュニケーション能力の発達について「発達心理学」の手法を用いて研究してきた人と紹介されている。「語用論」とか「発達心理学」といった言葉が並ぶと読書ハードルが高くなってしまいそうだが、学問領域の定義や方法論に関わりなく読み進んでいくのが本書の正しい読み方のように思う。

この数年を考えても、表現力、会話力、コミュニケーション力といったタイトルの本が多く出版されている。それだけ、対人関係で疑問や悩みを抱えている人が多いということだろう。しかし、言葉遣いだけに頼るノウハウ的な対処策が一人歩きすると、画一的な総ファスト・フード店員のような会話が街に満ち溢れるということになりかねない。

本書では、そもそも日常会話という自分が無意識で行っているメカニズムを客観的に把握することの難しさの前提に立って、実際の会話例や実験の結果を通して会話の原理を解き明かしているのが判りやすく、面白いところだ。

本書はいくつかのトピックスに分かれているのだが、まず、三歳児から九歳児までの子どもの会話力の発達のステップに焦点を当てている。三歳児になると大人相手にようやく会話ができるようになるものの、聞き手としてはまだ相手の意図をつかめず、文脈の選択もうまくできないという。話し手としては相手には判らないかもしれないとはけして思わず、曖昧な表現を使い続ける。三歳児同士では会話がひとりごとの繰り返しのように聞こえるのもそのためであるという。

四・五歳児になると会話を通して相手の意図や考えていることを理解できるようになり、やっと単純なうそを理解し始める。九歳児ぐらいになると、皮肉がわかるようになると言われている。しかし、うそや皮肉を理解することは大人でもなかなか難しい。こうした子どものコミュニケーション能力の発達と仕組みを理解することによって「大人の鏡として、三歳児の会話の特徴をとらえ、大人も陥る会話の失敗のメカニズムを示している」という点が著者の言わんとするポイントである。

子どもを対象とした実験が数多く紹介されている中で興味を引かれたものがある。それは、子どもたちが話し手に対して信頼・信用の判断をどう行っているのかの実験である。ひとつは文末助詞の違いによる信頼度のテストである。「・・・よ」という言い方で強い自信を示すケースと、「・・・かな」という言い方で自信のないことを伝える。三歳児と六歳児への実験では双方ともに「・・・よ」と言ったほうに信頼を高く寄せた。すなわち文末助詞による信頼度の判断は小さいころから出来るということだ。

次に「・・・と知っている」と「・・・と思う」との動詞の違いによる実験では、三歳児では動詞の違いで信頼度の差が出なかったが、四・五歳児では動詞によって話し手の確信度の違いを理解できたと説明されている。ほかにはイントネーションの違いからの信頼度の判断など紹介されている。

次に、上記のような、話し手の自信といった一時的な信頼性の要素と、他人より身内を信じるというより恒久的な信頼性の要素が年齢によってどんな変化が出てくるのかという実験である。同一条件では母親と他人での信頼度は当然母親が高く出る。しかし、母親と他人の確信度が異なる言葉遣いでの実験は興味深い結果だ。母親が「・・・かな」と自信を弱く言い、他人が「・・・よ」と自信を強く言った場合。三歳児は「・・・よ」を使った他人を信頼し、五歳児は「・・・かな」を使った母親により高い信頼度を示したという。

評者は直感的に、年齢の低い層が言葉から得られる確信度よりも身内かどうかで信頼する傾向を示すのではないかと想像していたのだが逆の結果であった。それでは、身内の中で母親と父親の信頼度比較実験はどうなるのかと想像したが、どう考えても父親に勝ち目は無さそうで、同輩諸兄にとって悲惨な結果が予想されるのが怖いところである。

「マシュマロ課題」という実験。子どもの目の前にマシュマロを一つ置いて、子どもたちは実験者から、「すぐにマシュマロを食べてもいいけれど、もし私が部屋の外に行っている15分間食べずに待てたらマシュマロを2つもらえるよ。だから待っていようね」と言われる。その結果、四歳児の7割は15分間待てずに目の前のマシュマロを食べてしまい、3割は我慢して2つのマシュマロを貰えたという。この実験はまだ続きがある。その後の追跡調査で、この課題に参加した子どもたちが高校生になったときに調べた結果、15分間待ってマシュマロを2つ貰った子どもの学業成績は待てなかった子どもより明らかに高かったということだ。話し手の意図を正確に理解して、より多くの利益を得るという努力というか忍耐を出来るかどうかといった性格がこうした年齢で形成されるということである。

ただ、より新しい研究によると「待っていれば2つ貰える」と言った大人が信頼に値する人物と思えば子どもは待つことが出来るという研究結果もあり、15分待てないのは、子どものせいばかりではないというのも重要な点だ。

うそを見抜く力についての発達は以下のように説明されている。
「これまで判ってきたことは、相手が意地悪だとか、悪人だとか聞かされていると、その相手がうそをつくかもしれないということを四歳児でも推測できるということである。それ以前の年齢では、意図的なうそをつかれても、相手が自分を騙そうとしていることが理解できない。相手の言っていることが自分の知っている事実と異なっていることに気づいても、うそをつかれたとは考えず、単に相手が間違えたと理解することが多い」

やはり、生来、他人を疑うという前提で人間は作られていないということだ。このため子どもと同様に話し手の話す言葉の理解能力に障害のある人(語用障害者)にとっては騙されたり、詐欺に遭うことが多いという。それは、慣用句における言葉の意味の二重性や比喩的な表現を理解するのがむずかしいという能力上の限界にあるという。

父親に「空気を読めるようになりなさい」と言われた障害を持った子どもが驚いて「空気を読んではいけません、吸いなさい」といった比喩や、「そこのコップ取れる?」と聞くと、「ウン」と返事をしたきりコップを渡してくれない意味の二重性といったケースである。、語用障害者の人からすると「そこのコップ取れる?」という遠まわしな言い方は「コップを取ってほしい」という意味には解釈しようがないのだという。

つまり、我々の日常会話はかなり曖昧で大雑把な話し言葉でなりたっていて、効率的な反面、誤解を生じさせるリスクが大きいということ。つまり、意図が伝わる仕組みとは話し手と聞き手の双方が相手の推論を予測して、言葉を理解して会話がなりたっている。それは、相手の気持ちや置かれた状況、共有している背景・知識・社会規範といったものを総合して文脈として考え、可能性のある多様な文脈から、相手の意図した文脈だけを選択的に捉えられたときにコミュニケーションが成功するという。こうした能力は人間しかないといわれているようだ。心を伝えるために言葉を使う力も、言葉から相手の心を理解する力も、ともに時間をかけて成熟していく必要があるという著者のもう一つの主張がここにある。従って、大人は謙虚に対応することを著者は期待している。

「発話(言葉)のプロは聞き手に対して自分の意図を伝えるように話すことができる。しかし、私たちはおそらく話し手としては永遠に素人である可能性がある。・・・芸人の冗談を誰もが楽しむことができても、誰もが芸人にはなれるわけではない。・・・話す力は得意・不得意の差が出てくる領域である。その反面、話し手とは学習・訓練がものをいう領域でもある。そう考えると、日常会話であれば、コミュニケーションがうまくいかないこともあって当然というスタンスで、ただ失敗から学ぶことを忘れずに、コミュニケーションに臨めばよいと思う。子どもを手本とすることはここでも効果的かもしれない」 

子どもを手本にすることを薦め、そのために子どもたちとどんどん会話してほしいと本書は結ばれている。そうすることで子ども達の会話能力も向上することになるからと。あくまでも著者は子ども達に優しい学者である。(正) 

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