影の外に出る【片岡義男著】

影の外に出る


書籍名 影の外に出る
著者名 片岡義男著
出版社 NHK出版(238p)
発刊日 2004.5.27
希望小売価格 1470円
書評日等 -
影の外に出る

「アメリカからの光を日本が受けて影が出来る。その影が自分自身と思って日本はここまで来た。その影の外に出ることで、日本が自分をとらえなおす・・」と書名の思いを紹介している。

構成は、日々の報道として発信された「言葉」を片岡なりに厳密に解釈するという作業を積み上げてきたものである。従って、本としてまとめてなにを言いたいというより、2003年10月から2004年4月までの日記的に彼が日々考えた軌跡という捉え方をすべきだろう。イラクへの自衛隊派遣から始まり、日本がアメリカに対してなすべき事で終わっている。

 昨年夏ごろの自衛隊派遣論議における小泉首相を始めとする政府の発言の中で使われてきた、日本の主体的判断、国益、国際社会への貢献、非戦闘地域、といった言葉に片岡は「いわく言い難い奇妙な違和感から自分でも考えてみることにした。・・・自分ではどのような言葉が可能になるのか、自分の感じる違和感の内側へ、多少とも入ってみることが出来るかどうか・・・・」

 この発想の基軸は戦後50年の日本という国が自らの国家観を失っていったことの指摘であり、その理由として日本は戦後アメリカを軍事的には内在して進んできたことと主張している。したがって、軍事的にはもはや外圧ではなく、内圧とでもいうべき状況と指摘している。解釈憲法の限界という見方はこうして出てくる。それを「違和感」ということばで表現しているのだろう。何かは明確でないにしても何かがおかしいと感じる。彼はそれを別の言葉として次のようにもいっている。

「日米関係、という言葉の曖昧さはもはや「四文字熟語」の域に達している。その実態的意味を議論もしない現状が「日米関係」の異様さになっている。」

 確かに、日米関係という言葉を定義もなく極当たり前にそれぞれの想いの中で使っている。批判的な人も、肯定的な人も。呪文のような「日米関係」という言葉に内在する意味を自問する。

 アメリカ側からの発言に対しての考えもブッシュ大統領の発言を始めとして俎上に乗っているがR.アミテージ国務副長官の発言を紹介し、そこにキーワードを求めているようだ。

「おたがいの意見が一致する領域では、日本とアメリカはパートナーであり、意見が一致しないところでは、内容のある良き忠告を日本から受けて自分の益にする。・・・・日本とのこうした関係をいまアメリカは切実に求めている。」

 この発言を受けて、「要請に応じて派兵するだけではイークオルなパートナーにはなれない。・・アメリカと意見の合わない領域は到る所にあるはずだ。そしてアメリカが必要としている日本は半世紀を越えてさぼってきた日本だから、日本にとって今もっとも出来ないのは、アメリカに対して内容ある良き忠告をすることだ」

「半世紀をこえてさぼってきた」との断言は、読者なりに自分の考えを示せと問いかけている。「日本はなにもしてこなかった」というのは「君はなにもしてこなかった」ということと同じだ。「会社」「仕事」「家族」といった言い訳はあるにしても、そこに楽して安住してきたと言われているようだ。そんな感想を持ったとき、片岡が1970年代初めに発表した短編「スローなブギにしてくれ」の主人公である、男女の高校生の会話をふと思い出してしまった。

「高校・・・・かしら」
「うん。転校させられてな」
「あたしは、もう駄目。中退になっちゃってるだろうなあ」
「未練があるような口ぶりじゃねえか」
「学校いってるのは、いちばん楽だもの」(正)

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