満洲国のビジュアル・メディア【貴志俊彦】

満洲国のビジュアル・メディア


書籍名 満洲国のビジュアル・メディア
著者名 貴志俊彦
出版社 吉川弘文館(242p)
発刊日 2010.06.10
希望小売価格 2,940円
書評日 2010.07.15
満洲国のビジュアル・メディア

この本には106点に及ぶ満洲国の「ポスター・絵はがき・切手」(本書のサブタイトル)の図像が収められている。満洲国については数えきれないほどの歴史書や体験記、研究書が出ているけれど、ポスターや伝単(宣伝ビラ)、絵はがき、切手といったビジュアル・メディアに焦点を当てた本は、僕の知るかぎりではなかった。これまでも挿画的に何点かが紹介されてはいたけれど、この本はポスターを中心に、現在、目にすることのできるビジュアル・メディアを最大限集めようとしたところに面白さがある。

皇帝・溥儀や「ミス満洲」、満鉄特急「あじあ」号を描いたイラストレーションや、「大満洲帝国萬歳」「王道政治」「開け行く大陸 鮮満の旅」などと書かれたタイポグラフィーをながめていると、それだけで飽きない。学術書の出版社が出した研究書だからやむをえないとはいえ、もう少しカラー頁を増やしてほしかったなあ。

満洲国が「建国」されたのは1932年。1930年代といえば、商品やイデオロギーを宣伝するためのグラフィック・デザインが発達し、そうした世界の潮流が日本に入ってきた時期にあたる。

もともと19世紀末、大量生産・大量消費時代の入り口で、店や商品を広告するためにロートレックやミュシャの絵画がポスターに使われ、それが20世紀に入って資本主義の拡大とともに花開いた。商品ばかりでなく、ロシア革命のように、イデオロギーを宣伝するためにもビジュアル・メディアが多用されるようになった。そういう世界の趨勢が満洲のポスターにも反映されている。

色鮮やかな民族衣装に身を包んだブリヤート女性と背後に花のパターンを配した満鉄ポスター(本書の表紙に一部使われている)は、デザイン的なミュシャの女性を連想させる。「ミス満洲」を描いた「新興大満洲国」のポスターは、当時の三越や資生堂やビール会社の美人画ポスターと同じテイスト。カッサンドルふうな満鉄「あじあ」号のポスターもある。シャベルを画面いっぱいに配し満洲建設を訴えるポスターや、体操する青年を描いた「建国体操祭」のポスターは、ソ連の国家宣伝の下手くそなパクリのようだ。

おや、と思ったのは、満洲国の謳い文句だった「五族協和」を描いたポスター。当時、五族といえば日本・満洲・朝鮮・蒙古・漢民族を意味すると理解されていた。ところがポスターによっては、「五族」のうちに白人が描かれている。これはロシア革命から逃れてきたユダヤ系ロシア人がハルビンを中心にコミュニティーをつくっていたからだ。満洲国には、ユダヤ人を定住させることで「六族協和」を実現させれば国際的な宣伝にもなるという考えもあったらしい(山室信一『キメラ 満洲国の肖像』中公新書)。

そして白人が描かれることによって「五族」から省かれているのがどうやら漢民族らしい(ポスターによっては満州族と漢民族の区別がつきにくい)のもまた興味深い。

本書によると、1938年の満洲国の人口は3862万人だった。その内訳は、「満人」(漢満族)が総人口の93%というから約3600万人。「朝鮮族」が105万人。「蒙古族」が102万人。「日本族」は52万人に過ぎなかった。

でも住民の大多数を占める3600万人の漢満族のうち、どれくらいが満洲族で、どれくらいが漢族だったのか、その内訳は明らかにされていない。貴志の推定によれば「満洲人の人口は1%未満だったろう」という。内訳が明らかにされない理由は、「満洲の住民のうち、漢族人口が圧倒的に優位であることを示すことは、満洲国の正統性そのものを揺るがすことになってしまうためである」。

満洲国と称しながら、実際に満洲人はごく少数で、大多数は漢族だった。ポスターの「五族」から漢族が落ちることがあるのは、圧倒的多数だった漢族の存在を一方で恐れ、一方で認めたくないという無意識の心理が働いたからかもしれない。

ところで本書に収められたポスターやビラを見ていて、そこから満洲国の実相が垣間見えるかといえば、そういうことはない。描かれたものから、満洲という土地と住民のリアリティーを感ずることはない。

それは、もともとこうしたビジュアル・メディアが国内外への宣伝を目的としていた上に、その多くが日本人によって企画され、描かれ、デザインされ、印刷されていたからだ。なかには満洲に行ったことのない本土の日本人によって描かれたものもある(例えば洋画家・岡田三郎助の「民族協和図」を基にした絵はがきや切手)。「ミス満洲」のモデルになったのも、実は満洲服を着た日本女性だったことを貴志は明らかにしている。

また例えば「天国と地獄」と題された伝単(宣伝ビラ)は、日本軍が支配している地域は天国で、軍閥の支配地域は地獄という単純なもの。こんなもので実際に民衆に「宣伝」効果があったとはとても思えない。

要するに、これらポスターや伝単、絵はがきなどは満洲国の土地と住民のリアリティから生れたものではなく、日本人が満洲をどう見ており、またどう見たかったかを示すイメージ群と理解するのが正解だろう。満洲国のビジュアル・メディアは満洲を映しているのではなく、日本と日本人を映しているのだ。

文章についても触れておこう。テキストは実証的で堅実。今後のこうした研究の基礎的な資料になるのだろう。ただ研究者ではなく僕のような一般読者にとっては、満洲国のビジュアル・メディアと満洲国の宣伝戦略について、またそこへ流れ込んだアーティストや写真家、デザイナーについて、もっと大胆な解釈や仮説がほしかった。

なかで興味を引かれたのは、貴志もちょっと触れているけれど、満洲国には国籍法が存在しなかったという事実だ。国籍法は、どういう人間がその国の国籍を有する国民であるかを定める法律。その国籍法がなかったということは、満洲国に住民はいても国民はいなかった。

軍隊についても、関東軍が満洲国の実質的な軍隊だったから、満洲国軍は徴兵制ではなく募兵制で、関東軍の補佐的役割しか果たしていなかった。日中戦争が激しくなるにつれて、満洲国政府は徴税と徴兵を目的に「国兵法」をつくって国勢調査を実行し、「国兵」をつくったけれど、国籍法がつくられることは遂になかった。

その理由について、山室信一は次のように言う。

「満洲国で国籍法が制定されなかったのは立法技術上の困難さによるものではなかった。/国籍法制定を阻んだ最大の原因、それは民族協和、王道国家の理想国家と満洲国を称しながら、日本国籍を離れて満洲国籍に移ることを峻拒し続けた在満日本人の心であった、と私は思う。/王道楽土満洲国とは、国民なき兵営国家にならざるをえなかったのである」(『キメラ』)

そのような空虚な国家であれば、満洲国民になることを拒んだ日本人によって生みだされたポスターや伝単や絵はがきや切手が、満洲という土地と住民の心を映しだすはずもなかったのだ。(雄)

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