書籍名 | 滅亡へのカウントダウン(上・下) |
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著者名 | アラン・ワイズマン |
出版社 | 早川書房(上360p、下368p) |
発刊日 | 2013.12.20 |
希望小売価格 | 各2,160円 |
書評日 | 2014.05.16 |
日本では今、人口の減少が問題になっている。でも地球規模で見ると、世界では逆に人口の爆発的増加が危機として叫ばれている。一方の減少と他方の増加。両者の関係をどう考えたらいいんだろう。「人口大爆発とわれわれの未来」というサブタイトルのこの本は、アメリカのジャーナリスト、アラン・ワイズマンが世界二十数カ国を回って現状をレポートしながら人口問題を考える。アメリカのジャーナリズムの実力を見せつけると同時に、なかなかに怖ろしい本だった。でも日本の人口減少が必ずしも悲観すべきことではないことも分かってくる。
僕たちはそもそも人口問題について、あやふやな知識しか持っていない。確か20年ほど前、環境を悪化させずに地球上に生活できる人類の適正な数は20億とか30億とか聞いた記憶がある。でも今ではその数を遥かに超えて、70億以上の人類がこの惑星にひしめいている。ヨーロッパや日本など先進国では人口が抑制されている一方、開発途上国ではいまだに激しい人口増加が続いている──。
大方の理解はその程度ではなかろうか。僕自身もそうだった。でもこの本を読むと、それぞれの国にさまざまな歴史と事情があり、なぜ人口が増えるのかは国によって理由も異なり、だから人口問題の解決も一筋縄ではいかないことが分かってくる。
例えばイスラエルとパレスチナ。ニュース映像などを見て、砂漠が多いこの紛争地帯には都市の外に出れば人がまばらにしか住んでいないという印象を持っていた。ところが、狭いパレスチナにはいま1200万人もの人間が暮らしているし、イスラエルの北半分の人口密度はヨーロッパのどの国より高い。超正統派ユダヤ教徒は平均7人弱の子供をもち、2桁に達することも多い。「増加する子孫は…パレスチナ人に対する最良の防衛策だと考えられている」からだ。政府もつい最近まで超正統派に兵役免除したり出産報奨金を出してきた。ある信徒はこう言う。「世界のユダヤ人は、1939年よりもいまのほうが少ないのです。われわれはみずからを、西洋文化によって多くを殺された先住民のようなものだと思っています。われわれには、自分自身を元に戻す権利があるのです」
一方、パレスチナ人もかつては5~6人だった子供の数が更に増えている。「どのパレスチナ人の家族にも、監獄に入れられている人、ケガをしている人、殺された人がいました。だから(子供の数を)増やしはじめたのです。身内が殺されると、もう一人子供を産んでその名前をつけます。私たちにはもっと多くの子供が必要になるでしょうね」。イスラエルもパレスチナも、ともに戦争と虐殺の歴史の結果として人口を増やそうとしていることがわかる。
もうひとつ紹介してみようか。ニジェールはアフリカのサヘル地域にある国で出生率は世界最高だ。著者のワイズマンはある村の村長を訪ねている。彼は17人の子供を持っている。「生きているのが17人。死んだ子供も少なくともそれくらいいる」。この国の乳児死亡率は貧血(栄養不足)とマラリヤのせいで悲惨なことになっている。70代である村長の20代の妻(村長にはもう一人、10代の妻がいる)は子供を数え上げる。「最初の子供は男の子で、4歳で死にました。二番目は女の子で1歳7カ月で死にました」。三番目と四番目は生きている。「五番目は3歳で死に、六番目は1歳で死にました」
彼女は言う。「食料危機に襲われてかわいい子供たちが死んでしまう時代ですから、産めるうちに子供を産みつづけなくてはなりません。私が産むのをやめたら、いまいる子供が生きながらえることができなかったときに、子供が一人もいなくなってしまいます」
サハラ砂漠の南にあるニジェールは1990年代に比べて平均気温が1.5~2度高くなり、悲劇的な干ばつに襲われている。かつてアカシアの森、草地、バオバブの木々で覆われていた草原が現在は植物も育たず、砂漠化が進む。
高い出生率をもたらしているもうひとつの理由は奴隷だ。ニジェールでは2003年に表向き奴隷制度が廃止されたが、今も人口の10%が奴隷身分のままでいる。奴隷の子は奴隷なので、奴隷の主人にとって、奴隷、なかでも若く美しい奴隷の娘は高値がつく商品になる。主人は自分の家族や縁戚と奴隷を交わらせて子供をつくり、それで金を得ようとする。
20世紀に入って地球の人口は爆発的に増えた。それを可能にしたのは、ひとつは抗生物質の発明など医療の進歩、もうひとつは人工窒素肥料の発明、幼児用調整粉乳の開発、多収穫の米・麦を開発した「緑の革命」などによって食料供給が増加したことだ。でも地球規模での温暖化の進行、砂漠化、海面の上昇など生態系の破壊は誰の目にも明らかになってきている。現在の70億の人口が、予測されるように100億を超えたらどうなるのか。ワイズマンは言う。
「今世紀には、地球にとって最も望ましい人口はどれくらいかが決まることになりそうだ。この望ましい人口は、二つのうちどちらかの方法で実現するだろう。/つまり、人間がみずからの数を管理し…適正な範囲内に収めようと決意するか、さもなくば、人間に代わって自然が、飢饉、水不足、異常気象、生態系の崩壊、日和見感染、減少する資源をめぐる戦争といった形で同じことをするかだ」
もっとも「人間がみずからの数を管理」といっても、そこにはまた難問が待ち受けている。ある種の「産児制限」はナチスの優生学的な差別になりかねないし、中国の「一人っ子政策」のような強制的な手法も無理がある。宗教の問題もある。カトリックは避妊すら認めていない。また出生率の高い開発途上国には近代化を成しとげ大量のエネルギーを浪費している先進国に文句があるし、フェミニストならずとも女性には男性優位の社会について文句がある。
ワイズマンが注目するのは日本だ。「日本は多産多死から少産少死へ転換する最初の国だ。…人間は成長なしに繁栄できるだろうか? 日本は否応なく、それを試みる最初の近代社会になる」
日本の人口ピラミッドはいま逆三角形だが、出生率の高かった団塊世代(つまり僕たち)が死んで年齢バブルがはじければ、それに続く世代の人口はほぼ一定になって四角形になる。もちろん、そうなるまでにはかなりの時間(ワイズマンによれば2世代)が必要だ。
人口(労働人口)が減るということは、革命的な生産性の向上(先進国ではまず望めない)がない限りGDPが減ることを意味する。「だが、GDPは人口減少経済における生活水準には直接関係がありません」という松谷明彦の言葉をワイズマンは紹介している。GDPが減っても、人口も減るのだから1人当たりで見れば豊かさに変化はない。そうした成長によらない定常経済が、「金銭で買えるものではなく人々の生活の質に基づいて繁栄を定義する好機になる」。
ワイズマンは大半の人が納得できる生活について、アメリカや中国ほど浪費的・エネルギー集約的でなく、アフリカより安全な、ヨーロッパの生活に近いものだろうと言う。世界中の人々がヨーロッパの生活水準を享受するためには、時間をかけて人口を無理なく減らすこと、富の再分配を図って世界をもっと平等にすること、持続可能な生態系を地球規模で残すことが必要だ。逆に言えば、それができなければ人類は大きな危機を迎えることになる。
ワイズマンが日本の章で参照しているのは『「人口減少経済」の新しい公式』(日経ビジネス文庫)などの著書がある経済学者・松谷明彦の考え方だ。このところ松谷だけでなく藻谷浩介、廣井良典、水野和夫など、成熟社会あるいは定常社会において持続可能な仕組みをどうつくるか、といった視点からこの国のありかたを考えている論者は多い。僕も彼らの本から大きな刺激を受けてきた。
ワイズマンが言う転換、「その過程をわれわれ全員に示す最初にして最善の機会を持つ国」である日本が、果たして世界に範を示せるのか。その作業はかなりの痛みを伴うものになるだろうが、それがソフトランディングになるかハードランディングになるかは、事態をどれだけ正確に認識し、手遅れにならないうちにきちんとした対応が取れるかにかかっている。ワイズマンや松谷らが強調しているのは、まず成長がすべてを解決するという「成長神話」を捨てることができるかどうか。その神話の桎梏から逃れることが最初の一歩だろう。(雄)
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