三輪山 何方にありや【鈴木 慧】

三輪山 何方にありや


書籍名 三輪山 何方にありや
著者名 鈴木 慧
出版社 郁朋社(248)
発刊日 2019.01.29
希望小売価格 1,620円
書評日 2019.03.15
三輪山 何方にありや

タイトルの通り、古事記の中巻に記述されている神武東征(筑紫からの侵略)に対して、守る側の奈良盆地連合王国のリーダーたちの戦いの一年を描いている小説。神武東征がテーマであれば狭野彦(神武天皇)からの目線で語られる話が常であるが、本書では連合王国の王である饒速日と最大集落の首長である長髄彦を中心に、彼らの思惑と智謀、そして戦いの日々を通して一人ひとりを描写している。饒速日は長髄彦の義弟である。彼は王としての正統性や集落の開拓や運営におけるバランスの観点と、饒速日が権力欲がないこと、もっと言えば権力を握るだけの戦力を保持していないことを理由に王に推戴されているといった設定がこの話のポイントのひとつになっている。

西暦175年、連合王国の新年の幹事会からこの物語は始まる。筑紫勢が周防、吉備を制したといった情報は以前からもたらされていたものの、筑紫勢の目標が奈良盆地であるとは王国の人々にとって身近な問題としては考えていなかった。しかし、軍勢の動きから、侵略の危険が目前に迫った王国の首長たちにとって共通の敵の存在が明らかになり、結果として王国の結束を強めていく。最終意志決定機関である幹事会での首長たちの発言の順番、発言の表現や言い回しといった緻密な描写は首長間で微妙な駆け引きが必要だったこと、そして時代を超えて組織論としてのリーダーたちの思惑と心情が巧みに綴られている。

戦闘を目前にして敵の状況確認をし、戦略を策定し、戦術に落とし込んで行くという連合王国のリーダーたちの姿は現代のビジネスシーンそのものであるが、加えて当時の戦いが白兵戦という、「人」が戦いの中心的要素であり、戦略の核が戦闘員の数や戦場の地形であるということから、「戦闘中、目の前に敵がいると頭が働かぬ。今日の戦いでは諸君は兵の先頭に立ってはならぬ。・・・中段もしくは後段にあって、作戦通りに兵を動かし敵を叩いてほしい」と、その時代の戦いにおける指揮官のあるべき姿を長髄彦は語る。

徹底して、論理的で現実的な戦いを進めていくリーダーとして長髄彦は描かれているが、夜を徹して「物見」で敵の船舶の数、荷の積み下ろし状況、兵士の数等の敵に関する情報収集や敵が考えるであろう、戦略を想定しながら分析を繰り返す。長髄彦が「自分は、論理的に思考しているか」を常に自問し、確認し続けている姿は象徴的である。

両軍の技術の違いの決定的なことは「鉄製武器」を敵が装備していたということだ。一方、奈良盆地連合は青銅器武器で武装しており、戦闘の中だけでなく、敵から奪った鉄製武具を実験したりしてその性能や強度の違いを十分認識している。この武器の違いは地形を生かした防御陣、隊列の編成、奇襲的な対応といった戦術的なものでは乗り越えることのできないギャップであったはずだ。こうした、筑紫軍と連合王国軍の鉄に対する違いを、文明の進度の違いというよりも、利用発想の違いとして描かれているのが面白い。奈良盆地連合は鉄を手に入れるのに苦労はしていた。その貴重な鉄を武器に使わず農具に優先的に活用していた。奈良盆地連合は他所を攻めることも、他所から攻められることも想定せず、お互いの信頼を緊張に変えることを恐れたこともあり、新しい技術を経済力や生産力の増強に投入してきたとして描かれているのも近代の武装・非武装といった二元論の投射のように読めると思うのは考え過ぎだろうか。

最後の戦いを前に饒速日は「ここまで準備したので、あとはひたすら神々のお力にすがるより他に手立てはありますまい」と長髄彦に語り掛ける。長髄彦はこの発言に対して、「命を賭けて戦っているのは我等だ。神々ではない。その神々が我等の目に見える形で助けてくれることはない。……王国の全ての民の命運を負って全軍を指揮している我等がこの場で神頼みをするのは間違いだ」と違和感を覚える。しかし、彼は王に反意を示すことはない。それが王と首長の立場をわきまえているという事なのか。長髄彦は現実主義者であるから、こうした考えのギャップは二人の戦いに対する姿勢に大きく影響する。

一旦撤収した筑紫軍は熊野から紀ノ川沿いに進んでくる。東側からの筑紫軍の侵攻とともに、味方の裏切りや、巧妙な策略に戦術的敗北が続き、連合王国の敗北が濃厚になってくると両軍で和平の交渉が始まる。入植地の規模、筑紫軍の指導者を盆地内の王とすること、当然饒速日の退位等などが議論となる。この交渉の中で饒速日と狭野彦(神武)の王統の正統性について、お互いがその象徴としての璽(しるし)を見せ合い、同族の確認が行われるというエピソードがもう一つこの物語の伏線となる。

戦況も厳しく、もうこれまでと考えられた時、長髄彦は和平のために指揮官としての自らの首が必要との判断をする。しかし周りはそのことを言い出せない状況の中、長髄彦は自ら逆賊を演じ、義弟である饒速日が自分を殺害するチャンスをつくるため、饒速日に面会し「敵軍との交渉に当たっては兵を指揮した王の首を持参すること、これは古今の理。王国の全ての生き残りし民の生存のため王の首頂戴つかまつる」と語り掛ける。当然、饒速日の従者たちは王を守るため、長髄彦を殺害する。後日、饒速日は長髄彦の首を携えて筑紫軍本陣を訪れ、これで和平条件は満たされたとして、戦争の終結がなされた。

こうした結末を読むと、第二次大戦の終結が天皇制の継続と軍・政府指導者たちの処刑で決着した姿そのものを見るようである。本書を通して、現代・近代・古代を行ったり来たりしながらの読書が楽しめる。加えて、古事記に出てくる神武東征のエピソードも巧みに盛り込まれていて、戦いの中で五瀬命(神武の兄)が深手を負って戦死するというエピソードや金鵄に関連するエピソードを巧みにストーリーに取り込んでいて、読み手は古事記の世界に引き戻されていく。

古事記や日本書紀に書かれている東征の時代は考古学的に言えば、神話の世界という事だろう。別の言い方をすれば、考古学の対象とならない。三世紀前半の集落や人口分布、物流、墳墓の実態などが考古学的には徐々に明らかになってきているが、北九州勢の近畿への大規模な東進説などを考古資料から特定することは難しいとする学者は多い。それでも地道な発掘調査が続けられていて、固有人名と結びつける決定的な発見は難しいとしても、当時の人々の生活や集団のあり方を徐々に明らかにして行くだろうと期待したい。

古事記の現代語訳を読み返し、「もう一度読む山川の日本史」に目を通して自分の歴史理解を整理しつつの読書だった。そして、私は著者と一緒に仕事をした仲間であったことを考えると、首長たちの戦略会議の場面などは、私たちの現役時代の営業部長会議の様子を描いているかもしれないと想像しながらの刺激的な読書であった。 ( 内池正名 )

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