大往生したけりゃ医療とかかわるな【中村仁一】

大往生したけりゃ医療とかかわるな


書籍名 大往生したけりゃ医療とかかわるな
著者名 中村仁一
出版社 幻冬舎(213p)
発刊日 2012.01.28
希望小売価格 798円
書評日 2012.06.11
大往生したけりゃ医療とかかわるな

著書は、「がんになったら治療しないで大往生しなさい」と説いている。ある意味、大胆な主張だから、賛否両論があるだろう。ところが結構売れているらしい。おそらく、この本の読者は、ある程度の高齢者で、しかも健康な人たちに違いない。現在闘病中の人や、家族が闘病中という人は、本書を手に取らないだろうし、例え読んでも共感はしないだろう。私自身、闘病中の友人がいて、その友人にこの本を推めようとは思わないし、共感しにくい部分も少なくない。だから、ここでは、がんに関する部分についての論評は最小限に留めておく。むしろ、私が共感したのは、前段の「孤独死」に関する記述である。

人はなぜ「孤独死」を忌み嫌うのだろうか? 同情、哀れみ、上から目線、ひいては悪意さえ感じるのは私だけだろうか。例えば、ウィキペディアの定義を見てみよう。「孤独死とは主に一人暮らしの人が誰にも看取られる事無く、当人の住居内等で生活中の突発的な疾病等によって死亡する事である。特に発症直後に助けを呼べずに死亡するケースがこのように呼ばれる」(下線筆者)とある。私は「誰にも看取られる事無く」や「助けを呼べずに」などの形容詞は本来不要ではないかと思っている。

人は死ぬ時は、家族に看取られていようといまいと、その苦痛や孤独感は自分一人で引き受けねばならない。それを「看取られる」ことにこだわるのは、その覚悟がない人に違いない。また、残された人たちや、第三者が「寂しかっただろう」「無念だっただろう」と感じるのは、傍観者としての勝手な思い込みだろうと私は思っている。この本を読んで、「孤独死」予備軍の私としては、著者の主張に大いに共感を覚えた。

著者は自然死について次のように述べている。

「『自然死』は、いわゆる“餓死”ですが、その実態は次のようなものです。
『飢餓』・・・脳内にモルヒネ様物質が分泌される
『脱水』・・・意識レベルが下がる
『酸欠状態』・・・脳内にモルヒネ様物質が分泌される
『炭酸ガス貯溜』・・・麻酔作用あり
・・・死に際は、何らの医療処置も行わなければ、夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になるということです。これが、自然のしくみです」

「今や、誰にも邪魔されず、『飢餓』『脱水症状』という、穏やかで安らかな“自然死”コースを辿れるのは、『孤独死』か『野垂死』しかないというのが現実です」。我が意を得たり、という感じである。

本来、私たちの先祖は、みなこうして穏やかに死んでいったはずなのに、ここ30〜40年で様相が一変してしまった。今では死にかけるとすぐに病院に駆け込むようになり、そこでは過剰なまでに延命措置が行われるからだ。

「例えば、食べられなくなれば鼻から管を入れたり、胃瘻(お腹に穴を開けて、そこからチューブを通じて水分、栄養を補給する手技)によって栄養を与えたり、脱水なら点滴注射で水分補給を、貧血があれば輸血を、小便が出なければ利尿剤を、血圧が下がれば昇圧剤というようなことです」

「これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして不安も恐ろしさも寂しさも感じない幸せムードのなかで死んでいける過程を、ぶち壊しているのです」

ある程度の年齢になると「ピンピンコロリが一番」などと口にする人が多いけれど、なまじっか周囲に「看取る人」や「助ける人」がいたりすると、そう簡単に死なせてはもらえない。病院に連れて行かれて、前述した「延命措置」という医療という名の“虐待”を受けるか、介護施設で「食事介助」「吸引」などの介護という名の“拷問”を受けることになるからだ。それは多くの人が望む「ピンピンコロリ」とは、ほど遠い現実ではないだろうか、と私には感じられる。

ところで、日本人の死因の上位を見ると、1位:悪性新生物、2位:心疾患、3位:脳血管疾患の順になっている。まあ、悪性新生物というのは平たく言えばガンということになるのだろう。「がんは老化ですから、高齢化が進めば進むほど、がんで死ぬ人間が増えるのはあたりまえです」と著者は言う。最近、私の周囲でも治療中や、検査入院中の友人が何人かいる。私たちもそういう年齢になったのだなあ、としみじみと思う。

著者は、「がん検診」は、早すぎる死を回避する手段だから、ある年齢を過ぎたら「がん検診」は受けないほうが得策だと主張する。

「これまで、70歳前後の何人もの有名人が、よせばいいのに、健康であることの証明欲しさに『人間ドック』を受けてがんが見つかり、目一杯のち血みどろの闘いを挑んだ末、見事に玉砕し、果てています。自覚症状は、全くなかったでしょうから、『人間ドック』など受けさえしなければ、まだ一線で活躍していただろうにと思うと、残念のひとことに尽きます」

「よしんば、早期がんといわれて取り切れた場合でも、その後は、一定期間ごとに苦痛を伴う検査を来り返さなくてはなりません。また、無事に5年経った後でも、生きている間はずっと『再発』に怯え続けなければなりません。というのも、ちょっとでも身体に異変が生じれば、ひょっとしたらの思いが脳裏をよぎるはずだからです」

定年後、これといった自覚症状もないのをいいことに、意識的に「健康診断」を回避している私としては、「早期発見の不幸」「手遅れの幸せ」という著者の主張には大いに共感できる。ま、こんな調子だから、健康な人にはそれなりに面白く読めるのではないか。個人的には、がんの部分はともかく、一人でも多くの人が本書を読んで、「孤独死」に対する誤解を解いて欲しい。(健)

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