棚田 その守り人【中島峰広】

棚田 その守り人


書籍名 棚田 その守り人
著者名 中島峰広
出版社 古今書院(250p)
発刊日 2012.04.10
希望小売価格 3,360円
書評日 2012.06.11
棚田 その守り人

山と谷の風景のなかに幾重にも重なる棚田の美しさに惹かれる人は多い。僕も、この本に取り上げられる滋賀県大津市仰木の棚田にはじめて行ったとき、棚田とそれを取り巻く雑木林が織りなす里山の懐しい光景にうっとりした記憶がある。

『棚田 その守り人』の著者・中島峰広には、既に『百選の棚田を歩く』(正続・古今書院)の著書がある。「棚田博士」と呼ばれる中島は棚田学会会長で、NPO「棚田ネットワーク」の代表。農業地理を専門とする研究者だ。『百選の棚田を歩く』は農水省が認定した「日本の棚田百選」を訪ね歩いたもので、本書はその続編。続編といっても、「百選」はもともと自治体がばらばらの基準で自薦したものなので、ここで取り上げる全国40カ所の棚田が「景観のうえで、あるいは保全の取り組みにおいて百選の棚田に比べて劣るというものではない」という。

著者の棚田への旅は、ローカル線とバスの公共交通機関で始まる。棚田はたいてい過疎地にあるから、鉄道もバスも便が悪いのだ。朝晩2便だけのバスも少なくなく、そんな時、著者は時に10キロの道のりを歩いたりもする。

「バスは、ターミナルを出てすぐに右折、国道四一七号を北上して下岡島の交差点を左折。今度は県道三二号を西へ、粕川がつくった扇状地上を扇頂に向かって走る。扇頂とは、扇状地の頂部のことで河川が山間地から平野へ出るところを指す。ここを頂にして扇状地が形成される。その扇頂、標高八〇メートルにある集落が市場。山間地の産物と平坦地の産物が交換される市がたち、その名が生まれたのであろう。このような集落を地理学では谷口あるいは渓口集落とよんでいる」(岐阜県揖斐川町寺本)

地理の専門家ならではの描写。実は評者は高校の授業で、著者から地理を教わっている(先生、敬称略で失礼します。ついでに言えばクラス担任であり、ほんの一時期所属したラグビー部の顧問でもあった)。授業での穏やかな口調を彷彿とさせる文章。「標高380メートルのバス停」とバス停の標高まで記す、細部をおろそかにしない姿勢。その丹念な描写が同時に、本書を読んで現地を訪れる人のためのガイドブックにもなっている。そしてバスを降りると、棚田が見えてくる。

「下から見上げると、五~六段のきれいな石積みが目に入る。少し乱れているが、丁寧に谷積みに積まれていることがわかる。……傾斜六分の一、法(のり)面石積み、一枚が四~五アール、段高は一~二メートルのものが多い。隆雲寺の墓地上から東を眺めると、左手に寺、背後に岩下の家並みが東に突出し、それに平行して数段の棚田と直下からの十数段の棚田が重なり、さらに右手狭間の家屋下からの十数段の棚田が一緒になって利根川の谷に向かって下っている。これらの棚田越し、ほぼ正面には御坂山地の上に四合目あたりからの富士山が背筋を伸ばし、すっきりと立っている」(山梨県増穂町平林)

「谷積み」とか「傾斜六分の一」「法面」とか、やや専門的な言葉も出てくるけれど、読んでいるうちになんとなく分かってくる。言葉ひとつひとつを頭のなかでイメージに置きかえて読んでいくと、やがて見事な風景が立ち上がってくる。作家やジャーナリストが書くものとは別の、研究者にしか書けない的確な文章だと思う。

前著『百選の棚田を歩く』と違うこの本の特徴は、「守り人」というタイトルから分かるように、棚田を耕作する人々について多くのページを割いていることだ。

東北から九州までを旅して話を聞いた棚田の「守り人」について、著者はこんなふうにまとめている。

「出会った人の多くが年齢は筆者と同じ昭和一桁世代か若くても昭和二〇年代生まれ……。家族は奥さんと二人、子供たちは独立して近くの中小都市か遠くの大都市に住んでいる場合が多く、重世代家族の世帯はきわめて少なかった。所有する水田は一ヘクタール未満、農業だけでは生活できないので定年までは土建会社などの企業に勤める兼業農家で、定年後は年金をもらう専業農家。所有する棚田の枚数は十数枚から数十枚、一枚の面積は数アールという小ささ」

ここ数十年、全国の棚田で過疎と耕作放棄が進行している。耕作放棄が広がったのは1970年に減反政策が始まってからだという。愛媛県西条市の「日本を代表する石積みの棚田」だったかもしれない千町棚田では、2500枚の棚田のうち現在耕作されているのは210枚、面積にして8パーセントにすぎない。

耕作放棄地が増えた理由はいくつもある。例えば生産性の低さ。棚田で米づくりだけで専業農家として自立するのは不可能に近い。畝町直し(複数の田を一枚にまとめること)をしても平地の田のように広くはならないし、静岡県菊川町の千框の棚田のように「0.1アール、畳1~2枚ほど」の田が今も残る。トラクターや田植機などの機械が使えないこともある。傾斜が急で農道が狭いところでは機械が入らないし、高齢者には扱いもむずかしい。

高齢化と後継者不足。これは棚田だけでなく、全国の農村が直面している問題だ。水不足。棚田は標高の高いところにあるから、水の確保もむずかしい。岐阜県揖斐川町の棚田では、周囲の自然林が植林されたことによって森に保水力がなくなり、安定的な水の確保ができなくなった。

もちろんどの棚田にも熱心な農業者がいて、棚田を守るためにさまざまな取組みが行われている。その代表的なものが、放棄された棚田を耕作するためオーナーを募集する棚田オーナー制度。オーナー制には、お金を出して出来た米を受け取る「保全・支援型」から、田植え・稲刈りなど年数回参加する「体験・交流型」、ほとんどの作業をオーナー自身が行う「就農・交流型」まで、地域によっていろいろなパターンがある。いずれにしても、都市住民と放棄された棚田を結びつける有効なやり方だろう。

団塊の世代が社会の第一線から退きつつある今、自由になった時間でなんらかの形で農業に関わりたいという人は多い。著者も「棚田地域を活性化させるのはオーナーの来訪頻度にある」として「作業参加」「就農」型のオーナー制を勧めている。その場合、遠くの大都市でなく「近隣都市に居住する定年退職者」との関係をつくるのが肝心だ。また農業者と都市住民の交流は、都市住民にとってだけでなく山間で孤立して暮らす農民にとっても大切だという。

ほかにも有機栽培米や大粒で味のよい突然変異米など付加価値の高い米をつくって直販している農家、農事法人をつくって農地を集積し棚田から利益をあげている農業者、第三セクターの公社をつくって機械を導入し高齢農家の作業を請け負っている人々などが紹介される。

こんなふうに著者の旅につきあうことで、僕たちは棚田に出会い、その魅力と現状に触れ、日本の農業が直面している問題を学ぶことになる。そしてなにより、棚田を耕作しつづけている「守り人」たちの素顔に出会う。

棚田の一枚一枚に「芋田」「鶴の首」と名前をつけ、いとおしむようにその名を呼ぶ「守り人」がいる。著者は言う。「土地にしっかりと根を下ろし、もの静かで淡々とした振る舞い。声高になにかを主張するでもなく、自慢することもない。万事目立たず、毎日田畑へ出かけもくもくと耕し日々を送っている。このような人たちが日本の原風景をつくり、守り育ててきたのである」

著者が行く先々で撮影した棚田のカラー写真と、「守り人」の肖像が添えられている。全体の半分をカラー印刷し上質紙を使ったために定価が高くなってしまったけれど、それだけの価値はある。(雄)

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