東京大学のアルバート・アイラー( 東大ジャズ講義録・歴史編)【菊地成孔・大谷能生】

東京大学のアルバート・アイラー( 東大ジャズ講義録・歴史編)


書籍名 東京大学のアルバート・アイラー( 東大ジャズ講義録・歴史編)
著者名 菊地成孔・大谷能生
出版社 メディア総合研究所(264p)
発刊日 2005.5
希望小売価格 1680円(税込み)
書評日等 -
東京大学のアルバート・アイラー( 東大ジャズ講義録・歴史編)

本書は東京大学において2004年に行われた11回にわたるジャズ講義をまとめたもの。また、この年はJazz評論家の故油井正一氏の残したレコードや文献・資料が慶応義塾大学に寄贈され「油井正一ジャズ・アーカイブ」としてその研究・整理がスタートした年でもある。

こうして考えると、期を一にして慶応大学と東京大学両校でJazzの歴史が大学の場で公的に語られ始めた画期的な年であった。本書は話言葉でつづられているためかなり臨場感を持って読むことができる。面白い。プレーヤーの目線と楽理、そして幅広いジャズに限らぬ知識が混然としており、期待以上の内容で、この講義を聞けた学生と不法聴講者の人たちは幸せだったと思う。

ジャズの歴史といえば菊地も言っているように、油井正一氏に代表される戦前からジャズを楽しみ、戦後ジヤズの評論をリードしてきた諸氏によって語られてきた「一般的なジヤズ史」と呼ばれているジャズ観に対して、あえて批判的な史観として構成されている。批判的という言葉が言い過ぎているとすると、油井氏や同世代の牧芳雄氏といった戦前からのジャズ・ファンが好きなものを語るという視点が強かったのに加えて、菊地の視点は楽理としてのジャズを問うことをプラスして新たな史観を提唱している。評者は年齢的には両世代の間で、油井氏や牧氏と会話したこともあり心情的には相対する論ではなく、補強されたジャズ史観として読み進んでいった。

「ジャズ史に限らず、およそ人間が編纂する歴史は全て偽史である。この「歴史」がもつ構造的な不全性が近代を牽引しているのではないかと思われる。我々は巷で喧伝される「一般的なジャズ史」が、余りにロマンチックで思考停止的で自己完結的で非越境的であることに辟易としていたところだった・・・とりあえず「一般的なジャズ史」という、じつに厄介な巨魁の綻びを丁寧に、丁寧に縫い合わせていく、という、中世フレスコ画の修復職人もかくや、といった仕事をすることになった」

こうした発想から彼らは、講義の構造を「十二等分平均律」「バークリー・メソッド」「ビバップ」「1950年代のアメリカとジャズ・モダニズムの結晶化」「1959~1962年におけるジャズの変化」「マイルス・デイヴィス」「MIDIとモダニズムの終焉」といったポイントで構成している。

平均律についてはこんな位置づけ、認識をしている。

「18世紀以前・・・それまでの世界のさまざまな場所で、さまざまなチューニングによって演奏されてきた微妙な彩のある音楽たちが平均律という極めてデジタルな・・ある種、記号化され、標準化され、再現可能性がぐんと高まることになる。こうした音楽的ムーブメントが西欧の十八世紀からはっきりと存在し、音楽を記号化して処理する試みのビッグバンを認めている。・・・二十世紀に生れた音楽の殆どはこの調律の重力圏にある」

楽譜による表現が可能になりシステム化されたという点を強く主張している。その彼らのいう「平均律の重力圏」にあるバークリー・メソッドについての認識を次のように言っている。

「バークリー・メソッドというのは二十世紀の半ば頃からボストンのバークリー音楽院で教えられはじめた。・・・この音楽教育の体系の基盤にあるのは平均律のシステムに沿って、いま演奏の現場で普通に使われている「コード・シンボル、和声」をシンボルとして処理するという方法を体系化して教えることに成功した。・・・それまでは上から下までがっちり一塊になって作られるのが普通だった曲の旋律と和声というものを、メロディーとコードという二つのブロックに分割してコードを「シンボル」つまりある体系に従って、記号化して表記して処理していく方法。・・・・」

こうした体系がジャズの進化にどう結びついたのか。

「ジャズは第二次大戦前スウィング・ミュージックの一ジャンルとして受け入れられていた。この中から殆ど革命的と言ってもいいようなスタイルを持ったジャズ・ミュージックが生れた。後に所謂「ビバップ」と呼ばれるものが出現した。・・・当時としてはバリバリのアンダーグラウンド・ミュージックだったが、その演奏は殆ど言語的とでも言えるような明確なメソッドに基づいて作られていることが理解できる。それはその頃普及しはじめたバークリー・メゾッドでうまく分析できることが分ってきた。それらが互いに支え合い、競い合って強いパワーを得ることに成功する。この力がアメリカのポピュラー・ミュージックの一つに過ぎなかった「ジャズ」を極めて独特な性格を持った「モダン・ジャズ」という特殊な音楽ジャンルへと導いていった。

・・・・ビバップの演奏では曲の終わりは予め決められていない。演奏者のアイデアさえ尽きなければ、ルールに従って何コーラスでもソロを取っていられるというオープン・エンドの構造によっている。・・・ポップスというのは、それまでは、基本的には唄と踊りに奉仕するものだった。その構造はまったく変わる。このビバップに含まれていた新しい音楽的な可能性と、それを上手いこと「モダン」および「クール」という単語でパッケージングすることに成功したマスメディアのイメージ戦略。この二者ががっちり手を組むことで、ジャズのメイン・ストリームはビッグ・バンドという歌謡ショウ的な興行スタイルから四人から五人の腕利きによるアブストラクションとバトルという方向に向かっていった」

こうした1950年代後半のジャズ・シーンをからジョン・コルトレーンの究極のコード奏法とマイルス・デイビスのモード奏法が世に出て来る。そんな状況をマイルス・デイビスの“Kind of Blue”から“Freddie The Freeloader”を学生に聞かせて説明している。

「・・この曲はブルースをモード化したものです。既存の曲をコーダルにではなく、モーダルに演奏するという実験です。ピアノはウイントン・ケリー。彼がさ、これ、モーダルってことがよく分からないで、結局普通のブルースとして弾いちゃてます。・・・」

これは有名なエピソードで、このときのマイルスのバンドのピアノはビル・エバンスなのだが、ウイントン・ケリーはマイルスに呼ばれてアルバムの中でこの曲だけを演奏している。こんな事を示しながら菊地のジャズ観を伝えている。

この本からまた若い人達がジャズを聴いてみたくなり、1950年代から60年代のジャズに接する人が増えるに違いない。今はCDも廉価で沢山復刻されている。僕たちがLPの輸入版を四苦八苦して入手していた時代も懐かしく思える。そう思うと、僕は油井さんにより近いジャズ小僧で「好きなものは好き」という単純なジャズ観の持ち主であり、それでもいいじゃないかと一人納得したりもした。(正)

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