トレイルズ 『道』と歩くことの哲学【ロバート・ムーア】

トレイルズ 『道』と歩くことの哲学


書籍名 トレイルズ 『道』と歩くことの哲学
著者名 ロバート・ムーア
出版社 A&E Books(376p)
発刊日 2018.01.25
希望小売価格 2,376円
書評日 2018.07.24
トレイルズ 『道』と歩くことの哲学

アメリカ東部のアパラチア山脈に沿ってアパラチアン・トレイルズという長距離自然歩道がある。本書はメイン州からジョージア州までの3500kmというこの道を5カ月かけて歩いた紀行文であると同時に、小さな細胞からゾウの群れまであらゆるサイズの生き物が「トレイル・道」を拠り所にして生きている実態や、人類が積み上げてきた「道」に関する歴史と将来を考察している。こうした幅広い視点をカバーしているため、読み手からすると話の飛躍と変化についていく努力が求められているのも事実。私は「旧街道歩き」を趣味にしているので、歩くことの楽しみは自分なりの理解をしているつもりであるが、「あなたは何故、歩くのか」という著者からの問いかけに応答しながらの読書となった。

本書は人間以外の生物のトレイルと人類が作り上げてきたトレイルの二つの視点から構成されていて、自ら歩き、体験した記録と多様な学術的成果を織り交ぜながらエピソードを紹介している。

古代からの生物たちが生きて行くために形成してきたトレイルについて語られているなかで、著者の考え方の特徴が垣間見られたエピソードがあった。それは、世界最古のトレイルとして、アメリカ北東部の岬で5億年以上前の生物が残したと思われる曲がりくねった移動跡を見に行った経験の中で、科学方法論を語っているところだ。古生物学の研究は科学者の想像力と発想力に支えられているだけに、科学としての不確実性というリスクは常について回ることになる。ただ、「カール・ポパー(科学哲学者)だったら宇宙物理学や古生物学は科学ではないと言っただろう」と伝統的な科学方法論の観点からは議論の余地があることも承知の上で、仮説に基づく楽しい推論を展開している。トレイル論だけでなく、著者の真面目さが表れている。

昆虫は群れの「集合知」によってトレイルを形成するが、もっとも活用しているものとしてアリが語られているところにも興味を持った。先鋒のアリが食物を見つけると、その発見に興奮して、帰り道に腹の先を地面に押しつけ、フェロモンを分泌していく。他のアリはそのフェロモンの道を辿って食物を手に入れる。これを繰り返すことで集合知としてのフィードバック・ループは完成される。それが、我々がよく目にするアリの行列だ。しかし、そこには悪循環を生むリスクがあると指摘している。グンタイアリは目が見えずフェロモンの道に依存し、通り道にある物を食べつくしながら生活しているのだが、そうしたグンタイアリの集団が時として30cmほどの円を描きつつ何時間も同じ場所を歩き続けて死に絶えるという事象だ。そういえば、同様の現象は雪山で道に迷った人間が円を描いて歩くという事象も聞いたことが有るが、それは単なる偶然ではなく生物の一般法則とまで言っているノルウェーの学者の考えも驚かされる。

ゾウ、シカ、ガゼルといった哺乳類は広大なテリトリーを移動するのだが、自らの種の能力と知恵だけでなく、他種の知恵を活用しながら、適切なトレイルを発見していくという。本書を読むと、ゾウが四足歩行哺乳類の中でトレイルに関する能力が高そうだ。ゾウの足はつま先立のように骨の構造になっていて、遠くにいる群れのメンバーからのメッセージを足で聞けるという驚きの能力に加えて、家族を中心とした集団生活や寿命の長さなどから食べ物、水場といった生きるためのトレイルだけでなく、家族の墓の場所といった記憶のトレイルをもゾウの集団は持つという話は断片的に聞きかじったことはあるもののトレイルという概念で考えることはなかった。
 
後半は人類が作ってきたトレイル「道」について語られている。人類は間違いなく陸上哺乳動物のトレイルに頼って生きており、動物から学び、その結果として自らの知性を高めて行った。人類のトレイルの一つのピークは15世紀のインカ帝国に見られるという。国土を縦断する形で、石畳などで整備された道路網を確立した結果、帝国の伝令はリレー形式で一日に240kmのメッセージ伝達が可能になったという。これは国が拡大し、統治が成熟するために「道」が重要なインフラだったということを示している。その後、人類は、動物の背に乗り、荷車を付ける事を発明し、道路は車輪付きの移動手段に適した形態に変化して行った。

また、北米の長距離トレイルが誕生するまでの経緯が詳しく述べられているのだが、その出発点は決して伝統や文化を保全するといった美談の上に成り立っているというものではなかった様だ。その中で二つの政策が核になると思われる。ひとつは、1830年のインディアン移住法によってチェロキー族は強制的に居留地まで「涙の道」といわれたトレイルを1000km以上歩かされ、彼らの生活圏は収奪された。こうして広大な土地を手に入れたヨーロッパからの入植者たちは先住民たちが形成したトレイルを活用して道路を作り効率的・迅速的な移動を可能にしていった。

次の変化は1864年のリンカーン大統領がヨセミテ渓谷とジャイアント・セコイヤの森を国有化したことに始まり、1900年連邦政府は国立公園制度を推進することにある。私としてはこの二つの政策にある70年間という長いタイムラグにも目を向けるべきなのだろうと感じた。

そして、1916年からトレイルをネットワーク化していくことが始まり、「ロードドライビング文化」が進化するとともに、交通テクノロジーだけでなく、現代の情報ネットワークのインフラ化によって、速さと引き換えに人間は現実社会の豊かさを感じ取る能力は衰退していった。この時代の集合的知性は共同体や国家を超えて成長し、制御できない程の力を持ちつつある、という警鐘は広義のトレイルの抱える課題と言っていい。

「私たちは足と大地の基本的な結びつきを失ってしまった」という著者の指摘が一つのポイントだろう。北米のトレイルの時代変遷を読んでいると、動物や先住民たちによって作られたトレイルはヨーロッパ人の入植により断絶したという歴史的事実があり、本書の底流にある歴史観にも大きな影響を与えている。加えて、トレイルの持つ先住民の伝統文化としての側面と自然歩道としてのハイクの側面が著者の中にも微妙に混在しているようだ。自ら歩き、体験するという考えとしては自然遊歩道ハイクをするという意味合いが強いように思え、「トレイルを歩いていて、コンクリートの道路に出くわしたら、ヒッチハイクをしてその部分は歩かない」と述べていることからも象徴的に示されている。

一方。日本における五街道に代表されるトレイル・ネットワークとの違いを強く感じる。我が国では長い年数をかけて街道は整備され、17世紀に確立している。そして、時代とともに徐々に変化して行ったものの、現代においても当時の文化と伝統を体感しながら旧道のほとんどを歩き通すことが出来るのだ。時として旧街道は姿を消してバイパスに吸収されたり、鉄道に分断されたり、川越えは渡しや徒歩で渡れなくなっていて大きく迂回しなければならないところもある。しかし、そうした迂回路を歩きつつも、なぜこの部分の旧道が変貌せざるを得なかったのかを考えることで歴史を感じることになる。著者が言う「足と大地の基本的な結びつき」だ。

最後に著者は人生の「道」を「老人は選ばなかった道のことは全て忘れ、自分のそれまでの選択を連続した一本の道と見做すことが出来る。」と語っている。

私も含めた老人にとって、辿って来た人生の道は肯定的に認めざるを得ない一本の道だ。若き時代に仕事であれ、個人的であれ人生の分岐点における選択に悩みはしたものの、決断した限りは思い返して悔やみはしない。ただ、現在を肯定しつつも、あの時に別の決断をしていたら、という夢想はあってもいいのかもしれない。そんな人生論を抜きにしても、歴史、風景、人に接しながらの道を歩く面白さを十分教えてくれる一冊だ。(内池正名)

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