@Fukushima/裸のフクシマ【高田昌幸 編 ほか】

@Fukushima/裸のフクシマ


書籍名 @Fukushima裸のフクシマ
著者名 高田昌幸編/たくきよしみつ
出版社 産学社(456p)/講談社(352p)
発刊日 2011.12.31/2011.10.15
希望小売価格 1,785円/1,680円
書評日 2012.02.08
@Fukushima ほか

福島第一原発の事故は「この国のかたち」を変えてしまう出来事、いや、変えたくない人もいるようだから、変えなければいけない文明史的な出来事だった。だから直後から事故に関して、あるいはどんな新しい「かたち」を目指すかについて、たくさんの本が出版された。そのうちの何冊かを読んでbook-naviで紹介したけれど、多くは専門家や社会科学系の研究者の手になるものだった。それぞれに刺激を受け説得力のあるものだったが、もっと生の福島の声も聞いてみたい。

もちろん事故直後から新聞やテレビを通じてたくさんの地元の声が紹介されてきた。でもマス・メディアの流すものは、僕自身かつて週刊誌の記者・編集者をやっていたから分かるが、強いられた犠牲にせよ再生の希望にせよ、限られた分量の中で分かりやすい物語に流し込まれることが多い。現場で聞こえる声はもっと混沌としていて、時に矛盾していたり、ニュアンスに満ちたものであるはずだ。そんなものがないかと探していたら、この2冊が目についた。

「私たちの望むものは」というサブタイトルの『@Fukushima』は、福島に住む(住んでいた)33人へのインタビュー集。サクランボ農園の農民、子供を連れて札幌へ避難した主婦、原発を推進した大熊町の元町長、地元紙の記者、避難せず飯舘村に残った特養老人施設の責任者、福島市のラーメン店店主、いわき市で水族館を再開させた飼育係など、さまざまな場所でさまざまな立場の人たちが体験と思いを語っている。

一方、『裸のフクシマ』は第一原発に近い川内村に住む小説家である著者の体験記。「原発30キロ圏内で暮らす」というサブタイトルと、「マスコミがまったく報じない 3・11後に地元で始まった悲喜劇」という帯のキャッチコピーが中身を伝えている。

例えば『@Fukushima』で、富岡町で美容院を営み今は福島市に避難する三瓶淳さんは、事故前の富岡町についてこんなふうに語る。

「原発は安全だから『大地震が来たら原発に逃げろ』っていう教育されてたんです。……特定の誰かの教育っていうのではなくて、町全体の雰囲気としてあった。生まれて物心ついたときに、原発ってありましたから。東京の人たちは『原発は危ないもんだ』って認識してると思うんですよ、第三者的に。でも、すぐ目の前にあってそれを見ていると、まったくその感覚がなくなっちゃう。/福島県内の人だと知ってますけど、週に一回はなんらかの事故があって、止まったのどうのこうのって、毎っ回あったんです。でも、それが毎回やってくると、慣れっこになっちゃうんですね。ああ、またかと」

「安全神話」と言われるものの内実は、現地ではこんなふうに日常的な小さな事故への慣れの集積として形づくられてきたのだろう。原発に限らず、日常にひそむ危険への慣れと麻痺は、たいていの人に覚えがあるにちがいない。原発という、いったん事故を起こせば途方もない被害をもたらす存在でさえ、日常のなかで危険に対する感覚を麻痺させられてしまう。人間というのはそういう動物なんだと自覚しておくしかない。三瓶さんは、こんなことも言っている。

「原発の作業員は普通のサラリーマンより何倍もお金もらっちゃうけど、田舎で遊ぶところないし、お金使うといえば、家か車。持ち家の人は車に金を使うし、家を持ってない人は家を建てて、どんどん大っきくしてく。ベンツとかBMWが異常に多い。豪邸ばっかしですよ。ちっこい田舎なのに。(定期検査で)流れ流れてる人は、ギャンブルに金使うから、6号線沿いは異常なぐらいパチンコ屋が多い。みんな、そこに金落としていくんでね。/定期検査のときは小さな町に、4000人規模の人たちがばっと入ってくるわけですから、地元の人間以外の人がどっかで飯を食う。髪を切る。そうすれば潤ってきますね。まち全体が当然。/いまは東京電力と国が悪いってことになってますけど、実際は住民だって悪いんですよ。『自分たちが悪い』って、住民は知ってるんですよ」

「髪を切る」という言葉でもって、美容師の三瓶さんは第三者としてでなく自分のこととして、こうした言葉を語っているのだろう。『@Fukushima』は特定の意見を持つ人ばかり選んでいるわけではないし、そこから結論を出しているわけでもない。でも、いろいろな声に耳を傾けるということ、それ自体に意味があるんだと思う。耳を傾ければ傾けるほど、物事をすっぱりと割り切れなくなり、結論を出すのがむずかしくなることがあるとしても。

ところで3月11日に地震が起こったとき、『裸のフクシマ』の著者で原発を素材に小説を書いたこともあるたくきよしみつは、隣家の犬を連れて散歩の途中だった。幸い家は無事で、村にもほとんど被害はない。ご近所の老人世帯の安全を確認し、その夜は「高いびきで寝た」。が翌日、第一原発1号機が爆発を起こしたテレビ映像を見て事態は一変する。

「心臓が軽くバクバクし始めた。……外に出ていくより家の中に留まったほうが被害が少ないのではないか……いや、それではダメだ。一刻も早く、できるだけ遠くへ逃げなければ。目に見えない、臭いもない、痛くも痒くもない。相手を感知できないということが、どれだけの恐怖なのか、このとき初めてわかった」

爆発から3時間後、たくきはパソコンからハードディスクをはずし、通ってくる野良猫のためにドライフードを洗面器に残して妻と車に乗り、川崎市の仕事場を目指した。その後、たくきは川崎と川内村を往復しながら原発事故の情報を収集しつづけることになる。

川崎に避難した著者が2週間後に村へ戻ったとき、放射線量を測ると0.8マイクロシーベルト/時。第一原発から近いとはいえ、川内村の大部分は周囲の山にさえぎられて「奇跡的に汚染が低かった」。でも村の一部は原発から20キロ圏内にあり、そこは立入り禁止の警戒区域になった。30キロ圏内であるたくきの自宅は、学校や病院が閉鎖される緊急時避難準備区域。だから20キロ圏内の村民や、30キロ圏内でも子供や老人をかかえる家は避難せざるをえない。そうした村民の多くは郡山に避難しているのだが、実は郡山は川内村の中心部より放射線量が高い。

「(川内村の)汚染の低いエリアの住民に関しては、線量の高い郡山市内に避難している期間が長引けば長引くほど、外部被爆量は増えていく。村民の中には『郡山の仮設住宅にずっといると被爆が怖いので、週末以外は家に戻っている』と言う者までいる。/こうした状況が今も続いている背景には、国が何もわかっていないのと同時に、県や村の側には、避難指示が解除されると賠償対象からも外される、あるいは賠償額が下げられてしまうのではないかという思いがあるからではないのか」

事故からしばらくして発表された汚染地図を見てもわかるように、「浪江町や南相馬市では、むしろ20キロ圏内よりも30キロ圏外に高濃度汚染地帯が多いという一種の逆転現象」があった。一方、10キロ圏内でも海岸部を中心に福島市や郡山市以下の線量の場所もある。

事故後の国と自治体の対応を見ていて感ずるのは、さまざまな対策を20キロ圏、30キロ圏という同心円に従って決めていることの愚かさだ。たくきの言うように、そのために圏内でも圏外でも無用の犠牲を強いられる多数の人々が出てしまった。事故直後、汚染の実態が正確につかめなかった時期に「何キロ以内は避難」のやり方は仕方なかったとしても(それでもSPEEDIでおおまかな予測はできたし、米軍はいち早く航空機を飛ばして汚染地図を作っている)、ある程度正確な汚染地図ができた時点で、それまでの同心円の避難区域に計画的避難区域をつけたすような中途半端でなく、正確な汚染地図に従って物ごとを決めるよう転換するのが当たり前だったはずだ。

それができなかったのは、国には一度決めたことを覆さない「お上の伝統」があり、自治体には賠償金が絡むことでおいそれと変えられない事情があったからだろうか。たくきは緊急時避難準備区域をめぐって、こんな話を紹介している。設定された準備区域は正確な同心円になっていない。なぜなら同心円上にあって30キロの圏内と圏外に分断される自治体に、いろいろな思惑があったからだ。いわき市は指定されると風評被害を生むから30キロ圏内でも指定からはずしてくれと主張した。田村市は30キロ圏外が賠償の対象にならないのは困るから圏外も指定してくれと主張した。その結果、緊急時避難準備区域は同心円でなくでこぼこになった。

もうひとつ、この間の対応を見ていて感ずるのは、福島県中通りの都市部(とりわけ福島市、郡山市)をどんな避難の対象にもしたくないという国と福島県の「無言の意思」だ。表立っては誰も言わないけれど、その「無言の意思」がいろいろな混乱を引き起こし、不安を増幅させる要因のひとつになったようにも見える。

事故後、一般市民の年間被爆基準値が年間1ミリ・シーベルトから20ミリ・シーベルトに引き上げられた。放射線を扱う病院や研究所など放射線管理区域の基準が年5.2ミリ・シーベルトだから、都市部を含む福島県のかなりの人々が本来なら厳密に管理されなければいけない放射線管理区域で暮らしていることになる(「RADIATIONDOSE」HPによると、3月15日以来の積算放射線量は福島市8.9、郡山市6.7ミリ・シーベルト)。

低線量被爆による健康への影響は専門家の間でも意見が別れるけれど、子供に甲状腺ガン発生の確率が高まることはチェルノブイリで明らかになっている。放射線管理区域以上の被爆とは、少なくとも子供の避難について検討しなければならない数値ではないだろうか。にもかかわらず、国も県も都市部について何も言わなかった。たくきの言葉を借りれば「中通りの都市部住民は『切り捨てられた原発被災者』」なのだ。

被爆や除染に関する基準のあいまいさは、そもそも専門家の合意がないことに加えて政府の言うことは信用されていなかったから、限りなくリスク・ゼロに近づかないと安心できない人々も生み出した。海外や沖縄に避難した人もいるし、首都圏より汚染度の低い宮城や岩手のがれき処理を引き受けることを拒否する動きも各地で生まれた。その不安は理解できなくはないが、がれきがあるために再生が進まない宮城や岩手の現状を見ると悲しい。

放射能汚染されてしまったこの国で、私たちはこれから長いこと放射性物質とつきあっていかざるをえない。そもそも福島第一原発自体まだ不安定で、いつ大量の放射性物質を再び放出するかもしれない危険と隣り合わせだ。除染するにしても、お金も人手も無限にあるわけではないから限度と優先順位をつけざるをえない。「中間貯蔵施設」を双葉郡に押しつけて誰も何も言わないのは(仮にそれ以外の選択肢がないにしても)どういうことかとも思う。

どの程度の汚染なら我慢できるのか。それは人によってさまざまだ。自分たちはある程度の被爆を我慢しても、子供や孫には安心できる環境がほしいという人もいるだろう(僕もそうだ)。地域のみならず、家族のなかでさえ無数の分断がありうる現状は、これからも続く。ひとりひとりが自分で考え、自分で判断していくしかない。(雄)

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