沖縄密約-「情報犯罪」と日米同盟【西山太吉】

沖縄密約-「情報犯罪」と日米同盟


書籍名 沖縄密約-「情報犯罪」と日米同盟
著者名 西山太吉
出版社 岩波書店(213p)
発刊日 2007.5
希望小売価格 735円(税込み)
書評日等 -
沖縄密約-「情報犯罪」と日米同盟

972年の春、沖縄返還交渉における密約の暴露が横路議員によって行われた。情報源は当時の毎日新聞記者であった本書筆者の西山太吉であり、その西山に極秘電文情報を流したのは外務省事務官だったので大きな波紋を呼んだ。しかし、その後、問題の本質たる沖縄返還交渉プロセスの実態解明とは別の方向にメディアの報道は展開していった。

報道は情報漏洩問題に集中し、加えて当該外務省事務官が女性であり、「情を通じ情報を手に入れ」と表現された、はなはだ個人レベルのモラルや興味本位の男女問題として取り上げられ、問題の本質はどんどんすり変えられていったのを昨日のように思い出す。また、当初、強気に問題を捉え報道していた毎日新聞が一挙にトーン・ダウンしていった姿はメディアの弱さの一面を垣間見たように思う。

この事件で、西山と事務官は国家公務員法違反容疑で逮捕され、事務官は一審で有罪、控訴せず確定。西山は一審での無罪が二審で有罪、1978年6月の最高裁判決で有罪が確定した。その後アメリカ側の公文書の公開などもあり西山は2005年4月に名誉毀損損害賠償請求裁判を提訴するも、2007年3月に請求却下となった。事実上門前払いである。そうした裁判経緯を踏まえて、本書の意図を次のように記している。

「この裁判の過程で沖縄密約なるものの全貌をつかむことが出来た。それは、二、三の密約に限定されるべきものでなく、沖縄返還全体を包み隠す巨大な虚構といえるほどのものであった。・・・また、この虚構は単なる一過性のものでなく・・日米軍事一体化の形成につながる起点といえるものだった。・・・・さらに、この虚構を隠蔽するために当時の政府が用いた手法は「情報操作」の域を超えた、まさしく「情報犯罪」であり、・・・・35年たったいま、改めて国と報道機関の関係について、示唆に富む現代的教材を提供している・・・・・」

まず虚構の始まりとして「沖縄返還」問題の登場した経緯をまず説き起こしている。佐藤栄作内閣(1964年-1972年)は「沖縄」にはじまり「沖縄」に終わったと言われているのだが、佐藤内閣がそもそも沖縄返還を政策の根幹に据えた、きっかけや理由・背景があまり定かでないとの疑問に対して、西山の考えは、池田勇人からの政権移譲過程(対抗意識)と佐藤自身の政治イデオロギーにその回答を見るというもの。時期的に言えば沖縄返還の議論とベトナム戦争は同時に進行し、沖縄は米軍にとってベトナム戦争の最大の前線基地となっていった時期であるとともに、沖縄復帰運動は反戦・反基地という民衆運動の高まりとなっていった。「・・・・いわば、沖縄の返還は“戦争反対”と“戦争遂行”という相互に矛盾した力学が寄り合って動きだすのである。・・・・」

こうした中、佐藤は戦後初の日本の首相として沖縄訪問を行った。そのときのスピーチは「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていないことをよく承知している。・・・」と、沖縄住民を前にその政治的優先度を宣言したものである。このような政治のタイムテーブルに従い、外務省の対米折衝が1967年末にスタートすると同時に極秘ルートが設定されたといわれている。それが福田赳夫と若泉某のチームである。若林の持つホワイトハウスへのチャネルを期待して、福田は佐藤と一蓮托生の「沖縄返還」という賭けに出たといわれている。福田の政治家としての嗅覚によってそのルートは動き出した。

こうした交渉経緯の中で西山が指摘するのは、米国側が国家として常に一貫した戦略で日本との交渉を続けたのに対し、日本側が複数のアプローチをばらばらな対応で行ったことに失敗があるというものである。それは、米国外交秘密文書の中の「沖縄返還---省庁間調整のケース・スタディ」(1972年に国務省内で作成された研究報告書)の引用や、米国から徐々に公表されていく事実からも読み取れるし、また、日本側の当事者からも発言が出てきたポイントでもある。

この沖縄返還交渉は沖縄における核兵器の取り扱いと基地の自由使用、そして財政負担に関する要求が大きなポイントであった。こと、財政負担の交渉に関して言えば日本側は外務省ではなく当時の大蔵省があたり、そのために外交交渉としての記録が日本側に残っていないという実態がある。こうした実情を当時の外務省としての交渉窓口であった元アメリカ局長の吉野文六の回想が紹介されている。

「沖縄に関わる資金の問題は、我々から言えばけしからんと思うけれど、・・アメリカ大使館が柏木財務官とひそひそと話をして・・・これだけの金額になると言って来たわけです。そんなもの知らんよ、・・・協定に書くわけにはいかん、と我々は頑張っていたのです。そのうちに、最終的には交渉に入ってきて、その交渉内容を電報にしたところが、それが漏れたということですね。」

吉野はある種、ふっ切れたように淡々と語っている。日本として外交力の弱さというべきか、内政の思惑の違いを外交の場でもさらけ出してしまう弱さというべきか、いずれにしても日本の国家間交渉と政治・政治家の未成熟さを見せ付けられる思いがする。

沖縄が返還された今においても、この事件は決着した訳ではなく、今後の歴史の中で事実が徐々にでも解明されていくのであろうが、西山が現代的教材として指摘する点をいくつか紹介してみると、
まず、日本において密約を生む土壌としての官僚機構・権力構造の視点である。それは細分化・精緻化された組織における閉鎖的体質がますます強くなっており、情報公開法といっても、限られた立場の官僚が公開の是非を決定する仕組みの限界の指摘。

「きれいごと」を語る、または「きれいごと」しか語らない政治家によるワン・フレーズのプロパガンダの功罪。沖縄返還で言えば「核抜き本土並み」という言葉が多く語られたが、「本土並み」という言い方で多様な事実は隠されていった。この手法は小泉内閣で多用されたわけだが、ワン・フレーズの危険性の指摘。

公正な報道を標榜するあまり、国の発信する情報に頼り、国民の目線での報道が弱くなっているという、メディアの客観主義への傾倒に対する指摘。これは、常に揺れ動く問題だろうが、このバランスが取れずしてメディアと名乗ってもらっては困るというのが私のような庶民の感覚である。

西山はこうも言っている。「日本人は外交・安全保障に無頓着だ」と。(正)

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