イラクの小さな橋を渡って【池澤夏樹・文 本橋成一・写真】

イラクの小さな橋を渡って

普通の人たちの暮らし


書籍名 イラクの小さな橋を渡って
著者名 池澤夏樹・文 本橋成一・写真
出版社 光文社(88p)
発刊日 2003.1.25
希望小売価格 952円
書評日等 -
イラクの小さな橋を渡って

「忘れることができる過去」か「忘れられてしまう過去」と理解するのか。題名からして荒川ワールドにまず引き込まれる。先年出版された「夜のある町で」の弟分か妹分と荒川が言っているように、この本には2001年から2003年にかけて各種メディアに発表された文章を集めている。

 詩人であり、評論家でもある彼が持ち前の緻密かつ敏感な感性で組み上げた各行は、凝った文章でもなければ、小難しい単語を振り回しているわけでもない。独特な物事の把握やアメリカのイラク攻撃が刻一刻と近づいている。ブッシュは、武力攻撃を容認する国連決議抜きでも、たとえ決議にこだわるイギリスが抜けても、単独で開戦に踏みきりかねない強硬な姿勢を崩さない。

最近のアメリカ、特に9・11以後のアメリカの行動は、「帝国」という言葉を使って説明されることが多い(例えば藤原帰一「デモクラシーの帝国」=岩波新書。アメリカがなぜ「正義」や「民主主義」を輸出したがるのかが、よく分かる)。

この場合の「帝国」は、「帝国主義」と言う場合の近代的な国家ではなく、もっと古代的なローマ帝国のような国家がイメージされている。要するに他に並ぶもののない強大な国家が「オレが正義だ」とばかりに好き勝手なことをしている、というニュアンスだ。

もし国連安保理の決議なしで戦争ということになったら、世界はどういうことになってしまうのか。20世紀の二度にわたる世界大戦の経験は国際連盟と国際連合を生みだした。それは一面では戦勝国連合にすぎないけれども、反面、どんな不完全なものとはいえ民族国家を超える連合体への試みでもあった。また、近代のヨーロッパ世界は、戦争に「正義の戦争」などないこと、戦争にもルールがあることを、国際法という形でつくりあげてきた。

ブッシュがしようとしているのは、それがどんな不十分なものであろうと、20世紀にいたるまで、世界が血を流しながらひとつひとつ積み上げてきた約束事をご破算にしようということだ。西部開拓時代の「ガンマンの正義」を、世界にそのまま拡大しようというわけだ。

この本は「ガンマンの正義」に蹂躙されるのはどんな人々で、どんな生活を営んでいるのだろうかと、作家と写真家が「普通の旅行者として」イラクを旅したレポートだ。

池澤夏樹と本橋成一は、バクダッドの市場で人々が何を食べているのかを確かめ、知り合った何人かの家を訪問して話を聞き、いくつかの町を訪れ遺跡を観光して歩く。古書市で役立ちそうな日本語の本に出会って「あまり値切らずに」買いもとめ、迫りくる戦争など知らぬ気に石材をゆっくりと削っていた老石工に共感し、泥だらけの顔の子どもたちと一緒に歌を歌う。

「ミサイルを発射するアメリカ兵はミリアムたちの運命を想像しない。……だが彼女たちと出会い、その手で育てられたトマトを食べ、市場でその笑顔を見たぼくは、彼女たちの死を想像してしまう自分を抑えることができない」「この子らをアメリカの爆弾が殺す理由は何もない」

イラクには言論の自由や民主主義がなく、多くの人がフセインの偉大さを信じ込まされているとしても、そこに暮らしている人々を見るかぎり「今のイラクは普通の国」だと池澤は言う。

イラクの人々が何を思い、どんなふうに暮らしているかという「ニュースではない普通の情報」が、今の世界には欠けている。あるいは、9・11で亡くなったビジネスマンや消防士のことだけはよく知っているというふうに、偏頗にしか存在していない。そうした情報の偏りを埋める作業が、ここにはある。淡々とした池澤のレポートと、それ以上に日常的な眼差しで人々を捉える本橋の写真が見事なコラボレーションを生んだ。(雄)

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