「おたく」の精神史 一九八〇年代論【大塚英志】

「おたく」の精神史 一九八〇年代論


書籍名 「おたく」の精神史 一九八〇年代論
著者名 大塚英志
出版社 講談社現代新書(448p)
発刊日 2004.2.20
希望小売価格 950円+税
書評日等 -
「おたく」の精神史 一九八〇年代論

大塚英志は、自分はオタクを「オタク」でなく「おたく」と書くと言っている。80年代から使われはじめ、いまではすっかり定着してしまったこの言葉は、ふつう「オタク」と書く。

 たとえば「パソコン」と書くように、外来のもので日本語表記しにくいものはカタカナで書くのが普通だから、「オタク」というカタカナ表記には、大多数の日本人にとっては自分と関係ない、外部からやってきたものというニュアンスと、さらにはいくらかの揶揄の気分が混じっているのだろう。

 それに対して大塚があくまで「おたく」という表記にこだわるのは、「本書が記述しようとすることは、かつて「オタク」が「おたく」と平仮名で表記されていた時代についてであり、その語の始まりの光景……を、ぼくは他の人々よりは近い場所でたまたま見ることになったからだ」と書いている。

 80年代を論ずるに当たって、この本で大塚は二つの視点にこだわっている。

 ひとつは、個人的体験。「おたく」という言葉がはじめて使われた1983年、大塚はその表現が誕生した当のロリコン・コミック誌の編集者になった。その後、彼はまんが誌の編集者や原作者、コラムニストなどをしながら、「おたく」の象徴となった宮崎勤事件に弁護側としてかかわることになる。

 80年代を、現実そのものが記号化し、他者のいない自己完結的世界が社会化してゆく過程ととらえる大塚の記述は、言葉や論理として取り出せば、格別に新しいこと、独自のものが提出されているわけではない。東浩紀「動物化するポストモダン」のような、すっきりした鳥瞰図が描かれているわけでもない(東は「オタク」と書く)。

 大塚自身、評論家としての立場とまんが編集者・原作者としての立場を使い分けていると書いているが、そこから発する論理的には不透明な、時には互いに矛盾することもある記述は、「おたく」発生の現場にかかわっていたゆえと考えれば納得がゆく。現場で生起するさまざまな出来事の細部は、往々にしてすっきりした理論化からははみだし、それゆえにこそリアリティーを宿すものだからだ。

 もうひとつは、女性の問題。大塚がはじめて編集の仕事をしたロリコン・コミック誌の読者は、実は半分近くが10代の女の子であり、描き手のマンガ家の半分は、もう少し上の世代の女性たちだったという。

「おたく」が問題とされる場合、宮崎事件がそうだったように、女性は男の側からのヴァーチャルな欲望の対象としてのみ考えられることが多い。でも、大塚の体験では、80年代は女性の側からも、性表現を軸として自己実現、自己表現への欲求が高まった時代でもあった。大塚は、幼児的なエロティシズムをもった「おたく」表現や、岡崎京子ら女性マンガ家の進出、黒木香らAV女優の活躍を、その視点から考えてゆく。

 もともと大塚のデビュー作は「少女民俗学」だったし、「「りぼん」のふろくとその時代」も面白かった。僕は読んでいないが、連合赤軍事件をフェミニズム批評の視点から論じた「「彼女たち」の連合赤軍」は、上野千鶴子が評価しているくらいだから、きちんとしたものなのだろう。女性の視点への関心は一貫していると言っていい。

 この本では、ニューアカ、新人類、ロリコンまんが、宮崎勤、岡田有希子、都市伝説、UWF、糸井重里、黒木香、岡崎京子、ディズニーランドなどなど、80年代を彩った色んなアイテムと人々が論じられている。

 なかでも僕が面白かったのは、まんがの「おたく」表現のルーツを手塚治虫に求めた部分だった。

 手塚治虫自身、自分の描くまんがについて、「純粋の絵画じゃなくて非常に省略しきった記号なのだと思う」と語っている。だから手塚の描く女性は、劇画のリアリズムではなく、女性の身体を符丁として示したにすぎない。たとえば、手塚には珍しくデモーニッシュな作品である「三つ目がとおる」の和登サン(三つ目が憧れる年上の彼女は、いつもセーラー服姿)を考えればいいか。

 大塚はそのような絵を「記号絵」と呼んでいる。生身の身体と切り離された手塚の「記号絵」を継いで、「おたく」表現の元祖となったのが吾妻ひでおのロリコンまんがだった。一方、コミック・マーケットの同人誌では、やはり「記号絵」の流れを引く宮崎駿や安彦良和の女性キャラクターがポルノとしてパロディ化されていた。

 そしてこれらの「おたく」表現には、劇画のように(石井隆の「名美」のように?)女を犯す主体としての男が表現されることが少なく、男性主体が喪失していることが特徴だ。だからこそ、皮肉にも描き手としても読者としても女性が参加することが容易になったのだ、と大塚はいう。

 80年代の「おたく」表現は、その後、洗練され、商品化され、いまでは「コンピュータゲームやジャパニメーションといった日本経済の中枢を占めつつあるソフト産業」となった。ポストモダンの言説はその事態を肯定的にとらえているが、大塚の大塚らしいところは、この事態をむしろ否定的にとらえていることだ。

「ぼくはこれらの文化に対し何か特権的な価値があるなどと気軽に謳う気分になれないのだ。僕は根源のところでそれらが不毛であるという感情を捨てることができない」

 大塚が自らもその渦中にいた「おたく」と「おたく」的なものの進化を不毛と感ずる、その理由については、ここでは断片的にしか触れられていない。この本の守備範囲を超えることでもある。そうした判断の根拠を彼が使っているキーワードで示せば、「成熟」とか「戦後民主主義」ということになるのだろう。それらについては、また別のところでゆっくりと大塚の論を読んでみたい。(雄)

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