現在もテレビキャスターなどで活躍している演歌歌手の水前寺清子。もともとはポップス歌手をめざしており、「東京マリ」という芸名まで用意していたが、なかなかデビューのチャンスに恵まれなかった。
コロンビアから日本クラウンが独立するとき、一緒に移籍するはずだった畠山みどりが、急遽コロンビアに残ることになり、クラウン側が畠山のために用意していた「涙を抱いた渡り鳥」が宙に浮いてしまった。お蔵入りさせるのは惜しいと、1965年、この歌で水前寺がデビューすることになったのだ。
このとき、芸名も「水前寺清子」と演歌風に改めた。出身地熊本の水前寺公園と、熊本城主・加藤清正にあやかったものだ。
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