太宰治とは-雑学大事典-た


太宰治


98年上半期の芥川賞・直木賞の発表は、「該当者なし」という結果に終わった。ちなみに、第1回芥川賞(1935年)は石川達三の「蒼氓」で、太宰治の「逆行」は次席であった。

落選はかなりショックだったらしく、友人への手紙に次のように書いている。「芥川賞はずれたのは残念であった。『全然無名』という方針らしい。……ぼくは有名だから芥川賞などこれからも全然ダメ。へんな二流三流の薄ぎたない候補者と並べられたのだけが、たまらなく不愉快だ」

この年、彼は腹膜炎の治療中にパビナール中毒症にかかり、以後約1年半は狂乱の時代となった。今官一あての手紙にこんな一節がある。「必要なものは、叡知でもなかった。思索でもなかった。学究でもなかった。ポーズでもなかった。愛情だ。蒼空よりも深い愛情だ」。いい言葉だ。
- 太宰 治「愛と苦悩の手紙」角川文庫

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