2666【ロベルト・ボラーニョ】

2666


書籍名 2666
著者名 ロベルト・ボラーニョ
出版社 白水社(870p)
発刊日 2012.10.20
希望小売価格 6,930円
書評日 2013.04.20
2666

大長編小説を読む楽しみは格別なものがある。ドストエフスキーにしろ、フォークナーにしろ、読んでいる数週間、あるいはそれ以上の時間(この本の場合2カ月)、ある時代、ある国の男と女が織りなす世界にどっぷり浸りこむ。もちろんどんな小説や映画でも似たような体験が得られるけど、読むのに数十日かかる大長編小説では、その深さ濃さは比べものにならない。その間、食事や仕事など日々の生活を送る自分と、別の時代、別の国にタイムトリップした自分と、同時に二つの生を生きているような錯覚を起こす。

チリ生まれで長くスペインに住んだ作家、ロベルト・ボラーニョの遺作『2666』は、そんな経験を味わわせてくれた。邦訳はひと昔前の文庫本のように小さな12級の文字でびっしり2段組の870ページ。著者自身が経済的理由から5分冊にすることも考えた小説が、著者の死後、後を託された編集者の判断で本来の構想である1冊本として刊行された。日本語版もそれに倣っている。

『2666』は、だからドストエフスキーやフォークナーを読むのと似た体験を与えてくれるけれど別の側面も持っている。というのは、5部に分かれたこの大長編は、それぞれが独立した小説として読むこともできるからだ。正体不明の作家、ベンノ・フォン・アルチンボルディを巡って展開するこの小説だが、真の主人公アルチンボルディは最終の第5部まで登場しない。それまでは、アルチンボルディの謎を追う何人もの人間たちの物語として進行する。

第1部「批評家たちの部」は、アルチンボルディに魅せられたヨーロッパの4人の批評家の物語。研究者である彼らのアルチンボルディ探索の旅に、彼ら自身の三角関係や四角関係が絡む。第2部「アマルフィターノの部」は、批評家たちがアルチンボルディを追って訪れたメキシコの地で出会う、もうひとりのアルチンボルディ研究者アマルフィターノが主人公。アルチンボルディが足跡を残した町、サンタテレサでは、若い女性の連続大量殺人事件が発生している。第3部「フェイト」ではメキシコを訪れたアメリカのアフリカ系ジャーナリスト、フェイトが連続殺人事件に興味を抱く。

第4部「犯罪の部」では、サンタテレサの女性連続殺人事件が語られる。その事件が主人公アルチンボルディとどう絡むのか読者には分からないまま、何十人もの被害者の人生が十数行から数十行で短く、執拗に描写される。それはまるで、殺された女性たちの墓碑銘を刻む作業のように見える。また事件を追う十人以上の捜査官の行動が語られる。被害者にしろ捜査官にしろ、誰か一人に焦点が当てられることはなく、何十人もの描写がフルネームや場所・通りの名前を丹念に述べながら延々と続く。例えば、被害者の一人はこう記述される。

「その日二人目にして三月最後の被害者は、レメディオス・マヨール区と不法ゴミ集積場エル・チレの西側、ヘネラル・セプルベダ工業団地の南側にある空き地で発見された。事件を担当した司法警察のホセ・マルケス捜査官によれば、とても魅力的な女性だった。脚は長く、痩せ型ではあるが痩せすぎているわけではなく、胸は大きく、髪は肩の下まで伸ばしていた。膣にも肛門にも表皮剥離の痕が見られた。レイプされたあとナイフで刺し殺されていた。監察医によれば、被害者は十八歳から二十歳くらいだった。身元を明らかにするものはいっさい持っていなかった。遺体を引き取りに来る者もなかったので、彼女の遺体は相応の期間保管されたのち、共同墓地に埋葬された」

第4部ほどでないにしても、第1部から第5部まで実に多くの人間が登場し、しかも主人公たちとどう絡むのか明確でない場合も多い。おそらく5部を通して名前が出てくる登場人物は、ちゃんと数えてないけど100人を超えるんじゃないだろうか。そんなたくさんの人間たちが因果関係もはっきりしないまま小説世界に放り出されているように見える。その結果もたらされるのは、この小説は大長編であるにもかかわらず断片の集積であるという印象だ。

しかも小説の舞台が、ヨーロッパ(ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、イギリス)、メキシコ、アメリカと世界各地を転々とする。だからこの小説からやってくるのは、ドストエフスキーやフォークナーのような土地と人間の因果関係が複雑に絡みあった濃密な世界でなく、この世界は無数の生の断片が無関係に集積したものである、という印象だ。それがドストエフスキーやフォークナーの時代と隔たったボラーニョの小説のスタイルであり、同時に世界を認識するスタイルであるかもしれない。

第5部「アルチンボルディの部」では、いよいよ主人公のアルチンボルディが登場する。ナチスが台頭した時代に成長したドイツの青年が、第二次世界大戦の東部戦線でどのような兵士として過ごし、戦後、どのように作家になったか。この章は、アルチンボルディを通して語る20世紀史といった趣も持つ。

第1部から第5部まで、物語をドライブするのは正体不明の作家アルチンボルディをめぐる謎と、連続殺人事件の謎という、ふたつの謎。その謎をめぐって、いわばミステリーのように小説が展開する。でも『2666』では、最後にミステリー小説のように因果関係が明らかにされ、謎が解かれるわけではない。謎解きの代わりに読者が楽しむのは、100人を超える登場人物がそれぞれに抱えている恐怖や狂気、幻想や悪夢といった、内面の「もうひとつの国」だ。

「彼は海が震動しているのに気づいた。さながら水も汗をかいているか、水が沸騰し始めたかのようだった。…それは波動となって広がっていき、ついには波に乗って走り、海岸で尽きる。するとそのとき、ペルチエはめまいがして、蜂の羽音が外から近づいてきた。そして蜂の羽音がやむと、家のなかやあたり一帯をさらにたちの悪い静けさが支配した。…ペルチエは泣きだした。するとそのとき、金属をかぶせたような海の底から、崩れかけた彫像が姿を現わすのが見えた。石の塊は巨大で、時と海水によってすり減り、形は定かではなかったが、そこにはまだ片方の手、手首、前腕の一部がはっきりと見て取れた。そしてその彫像は海から出てくると、海岸の上に上がった。その姿は恐ろしいと同時に実に美しかった」

物語の合間にこんな描写が次々にはさみこまれることで、世界は互いに無関係な人や事物の断片が集積してできているということの内には、恐怖や狂気や幻想や悪夢といった「もうひとつの国」も含まれているのだ、と感じられる。この小説で語られているのは、不安と恐怖と大量殺戮が集積された時代としての20世紀なのではないか、そう思った。

ところで、連続女性殺人事件が起きるサンタテレサは架空の町だけど、アメリカ国境のメキシコの町、シウダー・フアレスがモデルになっている。シウダー・フアレスでは現実に15年以上にわたって500人以上の若い女性が行方不明になっていて、いまだに真相が分からない。ジェニファー・ロペス主演の映画『ボーダータウン』はこの事件を基につくられていた。

僕は4年前に、テキサスのエル・パソから国境を越えて1日だけシウダー・フアレスに行ったことがある。アメリカとメキシコがFTA(自由貿易協定)を結んで以来、シウダー・フアレスにはアメリカ向けの自動車や電気製品を製造する工場がたくさんできた(日系の工場もある)。そこでは貧しいメキシコ少女が安い賃金で働いている。行方不明になった少女たちの大部分はメキシコ各地からやって来てここで働く工場労働者だった。

またシウダー・フアレスはアメリカとの物流の拠点になっているだけでなく、中南米から来る麻薬の中継地でもある。メキシコの一部の警官や政治家、企業家が麻薬組織と癒着しているのはよく知られていて、ドン・ウィンズロウの小説『犬の力』や、『トラフィック』『マイ・ボディガード』『闇の列車、光の旅』といった映画はそのことを描いていた。連続女性殺人事件は、そんなシウダー・フアレスの富裕層や闇の勢力が関係していると言われている。シウダー・フアレスはボーダーレスなグローバル経済と、一方、それがあることで激しい貧富の差を生じさせる国境の存在によって特徴づけられる町なのだ。

『2666』では5部を通して架空の町、サンタテレサが影の主役のようにして登場する。ボラーニョがこの長大な物語のなかでサンタテレサ(シウダー・フアレス)を主な舞台に選んだのは、この町こそが時代の矛盾が集中して現れた最前線の場所である、という認識があったからではないだろうか。(雄)

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