書籍名 | 脳はなぜ都合よく記憶するのか |
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著者名 | ジュリア・ショウ |
出版社 | 講談社(306p) |
発刊日 | 2016.12.14 |
希望小売価格 | 1,944円 |
書評日 | 2017.03.18 |
年齢のせいか記憶という言葉に敏感になってきた。物忘れも加齢の結果と割り切ることにしているものの思い出せないイライラ感がないわけではない。本書は「朝起きたら、自分でしてきたこと、学んだことなどを何ひとつ覚えていなかったらどうだろう。それでも、この人物はあなたなのか」との問いかけから始まる。著者は「過誤記憶(記憶エラー)」という脳心理学の領域の数少ない研究者。人の記憶については近年多様な視点からの研究が行われていて新しい発見も多いといわれている。それらの多くは人の記憶の不完全さを明らかにしてきているのだが、そうした成果をもとに冤罪の危機にあった多くの犯罪容疑者たちを救う活動をしてきた実績を持つ人である。
イノセンス・プロジェクトという冤罪を無くすことを目的とした団体は、DNA鑑定を利用して337名の容疑者を釈放させたが、驚くべきことにこの釈放された容疑者の内75%は「誤った記憶」による証言が有罪の根拠とされていたという。この数字は米国におけるDNA鑑定が可能であった事件だけに限られているということを考えると、世界でどれだけの曖昧な記憶による証言で罪を負っている人が居るかは想像に難くない。こうした状況に対する科学からの問題提起である。
本書は、記憶の原理の基本にはじまり、人が覚え・忘れる生物学的理由、人が記憶をするために社会環境の果たす役割、記憶力に対する誤解、メディアと教育がもたらす影響、記憶の誤り、変化、思い違いといった領域の最新の研究成果を精緻に示しつつ、人間の記憶の曖昧さ、不完全さに焦点を当てている。しかし、ネガティブな内容ではなく「脳は記憶の正確さを犠牲にしてでも、人間がより豊かに創造的に生きることを選んだ」というサブタイトルの通り、まずは自分の記憶機能を正しく理解することを著者は求めているのだ。
扱われているトピックスをいくつか取り上げてみよう。
「人の最初の記憶が実際にあった出来事かどうかは確かではない」という仮説である。通常、成人が乳幼児期の記憶を正確に思い出せないのは赤ちゃんの脳は長期記憶を形成・蓄積することは生理学的に不可能だから。赤ちゃんの脳領域が成長し始めるのは8~9カ月前後なので、それ以前では30秒以上記憶を保持することは出来ない。しかし、記憶力はまたたく間に向上し2歳になれば体験した出来事を最大1年間は覚えていられるようになる。しかし、赤ちゃんの時の記憶があるという人が居るのも事実であるが、それらは自分自身の体験ではなく、別の情報源として、親から繰り返し語られた昔話であったり、古い写真、大切にしていた物を見せられてきた結果だと考えられる。
こうしたことが「無意識」に起こる「作話」と「情報源の混乱」を生む元凶としている。一方、成人になって子供の頃のことを覚えていないからといって、幼年期の出来事をとるに足りないものだと言っている訳ではないと著者は釘をさしている。人がもっとも成長する時期がもっとも記憶に残らない時期であるというのは不思議でもあり驚くべきことだが、著者は記憶を忘れる事の重要さも指摘しているのだ。
また、記憶は人生の特定の時期に集中するらしい。われわれも時々語る「昔が懐かしい」という言葉の対象の時代こそ、その時期かもしれない。最近の研究では、5歳~10歳になると記憶が増え始め、男女とも10代後半でピークに達し、20代前半でまで続き、その後減少していくという。この傾向は全ての文化圏で同様な結果だが、記憶の内容は文化の差が出ているという。中国人被験者では妻の出産、隣人や同僚との交流といった社会的な集団や出来事が中心となり、米国人は自分が中心の成功、達成、挫折などの事象が主となるという。時期はほぼ同等であるが内容が文化に左右されると言う視点は面白い。
ハイパーサイメシア(非常に優れた自伝的記憶を持つひと)呼ばれる34歳の女性のケースが紹介されている。彼女はよちよち歩きの頃から今日まであらゆる日を曜日からその日に自分がしたことなどを思い出すことが出来るという。例えばテレビである日付が眼に入ると、瞬間的にその日に戻り、次々と事柄が思い出され、それは一度始まると途切れることはなく、疲労困憊するという。こうした能力を持った人はその後何人か発見されているのだが、研究者としては、そうした人達は自分の出来事については並外れた記憶力を持ちつつも、人生に関係のない情報の記憶は特に優れていないことが確認されている。これと対照的な人達が自閉症と言われる症状を持つ人だ、ハイパーサイメシアが自伝的記憶に強いのに比較し、自閉症の人達は自伝的記憶は欠けるが事実と情報といった非自伝的事柄には強い記憶力を持っているという。こうした両極端の記憶の有り方をこう説明している。
「人間は非凡な記憶力を手にすると、別の桁外れな記憶力を排除するのかもしれない。または認知資源には限界があるため、脳は全てを記憶出来ないのかもしれない。……加えて、記憶は忘れるために形成される。忘却とは脳の効率をさらに上げて、自分にとって最重要な情報だけを貯蔵できるようにニューロンの結合を刈り込むという美しいメカニズム」
記憶の固定化と呼ばれるニューロンの結合を繰り返し、経験を再生することで記憶を長もちさせるという睡眠の意味を具体的には、睡眠でシナップスの刈り込みを行い日々の経験が生んだノイズを取り除くといった効果を紹介している。まさに、毎年の樹木の剪定や枝打ちといったところだろうか、新しい芽吹きのために古い枝を断つことに似ている。
犯罪に係わる観点からの指摘としては、曖昧な目撃証言、信憑性の低い被害者からの告発、証拠をどうやって集めたのかも忘れてしまったらしい刑事など、いろいろな事象を紹介しているのだが、その一つロンドン大学の研究である英国の警察官について全体的な心理学と法律の問題は一般人と同等の理解と誤解をしているが、自分の回答には一般人よりも自信を持っているという結果を紹介している。加えて、人には出来事の意味を理解する必要があると、足りない部分についてもっともらしい何かを組み込んで情報の隙間を埋めようとする傾向があるという。心の中で情報を矛盾の内容を繋げ、妥当な理由を付けずにはいられないという。そうして、もっともらしい物語が出来上がると、それに信じられないほどの自信を抱く。あぶない連鎖がそこには見て取れる。
一個人として反省させられるトピックスも多い。被験者の写真を撮って、それを基にデジタル修正を加えて魅力度を上下させた連続性を持った写真を作る。撮影後2-4週間後に被験者にオリジナルを含んだそれらの写真群を見てもらい未修正写真を探してもらうという実験。その結果は男女を問わず被験者はオリジナルより10%から40%魅力度を増した写真を選択し、25%の被験者だけがオリジナル写真を選んだという。こうした人間臭い研究結果だけでなく、SNSやインターネット検索の時間と学業成績の相関を調べたアラバマ大学の研究、インターネットなどでいつでも判らないことを検索できることで結果として記憶力が弱まる、といった多くの論点と研究成果が紹介されていて面白い一冊になっている。
しかし、自分の記憶は信頼できず、不正確というのが実態だとしても、不良品として切り捨ててはいけない。実像を否定するのではなく、そうしたことが起き得ることを皆に伝えるというのが著者の前向きなメッセージであることは忘れてはならないだろう。それにしても科学的な考察に係わりなく、加齢とともに記憶力が薄れて行くのが現実の実感の日々である。昔の事を忘れ、昨日の事も忘れ、やるべきことを忘れると言う日々で、まさに自分の都合の良いことばかり記憶しているよねと言われてしまうと、反論は出来ない。それにしても我々の脳の機能は複雑で面白い。 (内池正名)
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